俺様>>あやしげなやつらとあう
公爵家の執務室に勝手に侵入するとは、なんたる不届き者だと、アンネマリーは憤慨した。のだが、後ろから追いかけてきたフェリクスが、なぜここにと驚きの声を上げた。
それを見ていたアンネマリーが呆れた様子を隠す事なく言い放った。
「お前ちょっと鈍間過ぎないか、来るの遅すぎるぞ」
アンネマリーの言葉に、フェリクスはぐっと押し黙った。アンネマリーが応接間を飛び出した後で、フェリクスも全力で追いかけた。普段から鍛えているフェリクスならば、いくら部屋を出るのに時間差があろうともアンネマリーを捕まえるのは容易い事だった。
なのに何故か後ろに引っ張られるような感じがして、うまく体が前に進まなかったのだ。
そう、誰かが服を引っ張っているかのような。
慌てて振り返るが、ミアはソファに座ってお茶を飲んでおり、一緒に連れてきたメイド達は壁際に立っているだけだった。誰もフェリクスに近付いていないのに、一体どうしてと背筋が寒くなったのだ。
まさか、アンネマリーが何かしたのだろうか。そんな事はあり得ないが、しかし。
だがそれを、今ここで話しても意味がないので、フェリクスは唇を噛み締めてから、室内にいる貴婦人へと話しかけた。
「お母様、今日は出掛けるご予定では…」
「フェリクス…、それにアンネマリーも、突然入ってきて何用ですか?」
キリッとした表情の貴婦人は、フェリクスの母親であるクライセン公爵夫人であった。それを知ったアンネマリーは、口元を手で抑えながらフェリクスに耳打ちした。
「お前そういう事は聞いてやるなよ。執務室で秘密裏にやる事って言ったら、一つでございますでしょう。暗殺依頼だよ、暗殺依頼。高位貴族の嗜みなんじゃねえの?」
「唐突に物騒な事を言い出さないで!?」
「ほら、未亡人の方が人生を謳歌出来るって、もっぱらの評判だから」
「そんな評判聞いたことないよ!!??」
クライセン公爵夫人は、目の前で話し込む二人に対して、こめかみをピクピクとさせながら笑みを浮かべていた。久しぶりに会ったと思えば挨拶すらしない、淑女にあるまじき大声を上げる、扉の開け方がなっていないなど、アンネマリーの行動は目にあまるものだったからだ。
「オホン、あなた達、ここがどこかお分かりで?」
「し、失礼しました、お母様」
「ププッ、怒られてやがる。いい気味ですわ、オホホホホ!」
何故か己を除外しているアンネマリーに、クライセン公爵夫人の笑顔は引き攣った。下品としか表現出来ない、腰に手を当てての高笑いのアンネマリー定番のポーズに、クライセン公爵夫人はもう一度咳払いをした。
「えっ、お前のお母様。喉でもやられてるの? それとも何か病にでも罹ってる? 医者を呼んだ方が良いんじゃないのかしら。歳取ると、咳だけで骨折れるから。医学的知識で人助けする私って、優し過ぎて素晴らしいですわ、オホホホホホホッ」
「お黙りなさい!!」
ついにキレた公爵夫人は、手に持っていた扇子を握り締めながら怒鳴った。アンネマリーは怖っと呟くと、フェリクスにお前の母親精神的にヤバいんじゃねなんて言っている。
「本当に、お黙りになってちょうだい。いきなり執務室に入って来たかと思えば、その無礼な態度。一体なんなのです、アンネマリー」
「あ、そうだった。ふふん、私はこの目でばっちりと見ましたわ! 公爵夫人が書類を偽造しようとする犯罪の瞬間をっ!!!」
「ええっ!!?? か、母様がそんな事を!?」
「そんなわけないでしょう!! フェリクスもなぜそこで、そんな戯言を信じるのです! 良い加減、悪ふざけはおやめになられたらいかが? まったく、これが嫁になるだなんて、嘆かわしいわ」
「それなんだが、私とフェリクスの婚約を解消しにきたんですの。ちょうど公爵夫人もいるし、後で公爵に言っといて下さいな。書類もついでに提出しとけでございますのよ。公爵夫人も嫌がってるし、私もお前なんてやだし、お前も私より好きな人がいるし、みんなハッピーですわ!!! さすが私! 最適解を導き出す天才ですわー!!!!」
高笑いをしたアンネマリーの耳に、懐かしき取り巻き達のさすが殿下という声が聞こえてきた気がした。彼らはアンネマリーが超絶天才的な行動をすると、いつもそうやって歓声を上げてくれるのだ。賞賛を浴びるのはとっても気持ち良い。
姿は見えなくとも、なんとなくだが彼らの気持ちが届いて来た気がして、アンネマリーまますます胸を張って高笑いをした。
「一体どういう事なのです、フェリクス!」
じろりと公爵夫人がフェリクスを睨んだ。アンネマリーの中身は出来た大人なので、言い淀むフェリクスの代わりに教えてあげる事にした。
「どうもこうも、フェリクスは私ではなく、義妹のミアが好きなのですわ! まあさっき振られたので傷心ピーチBOYでしてよ! ママのオッパイで泣くが良いですわ!!!」
「なんて下品な…!」
「まあまあ、下品じゃない人間なんて、この世に存在するわけがないからな。オホホホ、大人の階段登り始めたんですわ、温かく見守るのですわ!!!」
「そういう事を言ってるんじゃありません!!!」
遂に怒鳴り扇子を圧し折った公爵夫人の横で、先ほどから黙って静観していた少年が吹き出した。そして堪えきれないと言わんばかりに、声を上げて笑い出す。
「アハハハッ、なんて愉快なんだ!」
「…アミル様、失礼致しました。お見苦しいところを…」
「構いませんよ、叔母上。こんな愉快な気持ちになったのは、久しぶりですから。公爵家へ足を運んだ甲斐があります」
人を見ていきなり笑い出すとは失礼な奴だなと、アンネマリーは腕を組みながら視線を向けた。
ふわりとした白銀の髪に赤い瞳の持ち主である少年は、アンネマリーの視線に気付くと、にこにこと笑みを浮かべている。笑うんじゃなくて名を名乗れと、さらに眉間に皺を寄せ凄んだアンネマリーの前を、フェリクスが遮った。
「アンネマリー! 皇太子殿下に失礼は許されないよ」
「ああん? 人のこと笑ったあいつの方が失礼じゃありませんこと?」
皇太子殿下がどうしたとアンネマリーは思った。何せアンネマリーも、この前まで別世界でだが皇太子だったのだ。そして成人もしていたので、自分の方が偉いと思っている。
アミルはそんなアンネマリーの態度に気分を害した様子もなく、更に笑みを深めて言った。
「アハハ、これは失礼しました、お嬢様。僕はアミルカルと申します。是非とも、僕と少しお話して頂けませんか?」
「おこと…」
断ろうとしたが、突如として伸びてきたフェリクスの手が、アンネマリーの口を塞いだ。
「申し訳ありません、殿下。彼女は私の婚約者ですので、そういったお誘いはいらぬ噂を招いてしまう危険性があります。お戯れはおやめ頂けないでしょうか」
離せとフェリクスの手に噛み付こうとしたが、面倒臭い事になるから静かにと言われてしまった。アミルの近くにいた公爵夫人が、フェリクスの言葉に大きく頷きながら同意する。
「我が公爵家の体面もありますから、どうかお許し下さいませ、アミルカル殿下」
「おや、しかし彼女の言い分が本当ならば、誰もが婚約を嫌がっているのでしょう。一旦保留にして、他の人間と交流するのも良いではありませんか、叔母上。それに先程、約束してくださったじゃありませんか。父にとりなす代わりに、園遊会を公爵家が開くという事を」
公爵夫人は唇の端を歪めながらも、無理矢理に笑顔を作って一礼する。フェリクスが青褪めた顔でお母様と、まるで悲鳴でも上げるかのような声色で言った。
「さあ、それではお嬢様。どうぞ、此方に」
アミルが恭しく手を差し出して来たが、アンネマリーは微動だにしない。なんとなくだがアミルの事が苦手だと思ったからだ。
無言のまま立ち尽くしているアンネマリーに、アミルが囁くように言った。
「もし一緒に来て頂けるのなら、婚約解消のお手伝いをしましょう。僕から公爵にお願いすれば、話が早いですから」
アンネマリーは超絶天才なので、こういう事を言ってくる奴は信用ならないというのを知っている。絶対に行くのはお断りだと言おうとしたところで、アミルがさらに言葉を続けた。
「貴女なら僕の悩み事を、解決してくれそうに見えてしまって…。すみません、どうか僕を助けると思って、少しお話を聞いてもらえませんか。貴女の聡明さをお見受けしてのお願いです」
「良いですわよ」
それなら仕方ない。姿形は変わっても、滲み出る超絶天才オーラは隠せないらしい。まあそこまで言うなら、ちょっとくらい話を聞いてやっても良いかもと、アンネマリーはころりと意見を変えた。煽てるとすぐ調子にのるお馬鹿王子と、元の世界ではもっぱらの評判である。
そうしてアミルにエスコートされ、アンネマリーは執務室を出たのだった。苦々しい表情を浮かべる、公爵夫人とフェリクスを残してだ。
フェリクスとアミルは従兄弟ではあるものの、王家と公爵家に明確なる力の差があった。それ故に、公爵夫人である母が了承した事にフェリクスは逆らえない。
顔を俯かせ、ぐっと拳を握りしめるフェリクスの背筋が、ゾワリと震えた。これは一体なんだと、フェリクスの額から冷や汗が吹き出した。
まさかとは思うが、アンネマリーがやらかすかもしれない事におびえているのだろうか。そして婚約解消となる事を嫌だと思っているのだろうか。
自身の事なのに何もわからないなと、フェリクスは自嘲気味に笑った。