俺様>>こうしゃくけにあそびにいく
フェリクス・クライセンは、公爵家の一人息子として生まれ、後継として己を律し、周囲が望む立派な公爵になる為に必死に努力してきた。
それ故に、理不尽な出来事に対しても真正面から挑み、努力で乗り越えて来たのだが。
「おい、俺…私は喉が渇きましてよ。とっとと飲み物を持ってこいですわよ!! あとミアには肉の追加を頼みましたわ!! オホホホ、ミアったら肉食系女子なんだからぁ」
「それ違う意味で聞こえるから、やめてくれない?」
目の前にいる理不尽の塊に、フェリクスはどう対応してよいのかわからず、頭を抱えた。
フェリクスは婚約者に会いに行く名目で、伯爵家で虐められているというミアの様子を見に来たのだ。
そしたら何故か伯爵家が倒壊しているし、婚約者にはビンタされるし、ミアには振られた。
振られたのかな、振られてないと思いたいけれども、どうなのだろう。
良くわからなくなって呆然としていると、公爵家の馬車が来た。最初はフェリクスも馬車に乗っていたのだが、屋敷が倒壊する凄まじい轟音を聞いて、馬に乗り換えて来たのだ。
もう帰ろうと馬車に乗り込もうとした時、アンネマリーに止められた。
あっという間にメイドとミアと一緒に乗り込み(フェリクスの席はない)、出発しろと言うではないか。
「何を聞いていたんだ、この鈍間。今夜泊まる場所をとっとと用意しろでございますのですわ!」
腕を組んだアンネマリーに凄まれ、フェリクスは訳もわからないまま、公爵家の街屋敷へと帰還した。フェリクスと戦闘不能になった護衛一名は、他の者と馬の二人乗りという居た堪れない状態でだ。
取り敢えず応接間に案内したところでの、これである。客の立場である筈なのに、アンネマリーは不遜な態度を崩さず、あれやこれやと要求しているのだ。
ようやく正気に戻ったフェリクスは、咳払いをしてからアンネマリーに話し掛けた。
「アンネマリー、君は一体どうしてしまったんだ? 淑女には程遠い態度だけど、別人みたいに見えるよ」
自分に冷たくされた所為で気でも狂ったのかと、暗に仄めかして言ってみれば、アンネマリーは口の端をもちあげてニヤリと笑った。
「アンネマリーは死んだからな」
「そんな冗談、笑えないよ」
フェリクスが渇いた笑いを浮かべるが、アンネマリーは笑みを崩さない。隣に座ったミアは、先ほどから無言でミートパイを食べているだけだった。
沈黙が応接間に落ちるが、アンネマリーは気まずさなど一切気にせず、ケーキのお代わりを所望した。あまりにも粗野な所作に、フェリクスは思わず顔を顰める。
公爵家で生まれ育ったフェリクスにとって、マナーのなっていない人間ほど許し難いものはない。そしてそれが、貴族の生まれであるのならば尚更だ。
「アンネマリー、君の唯一の取り柄であるマナーはどうしたんだい?」
「マナー? 何のマナーでございますでしょうかしら」
「淑女としてのマナーだよ。私の母から、まだまだだと言われて、必死になって頑張っていたじゃないか」
アンネマリーは大口でばくりとケーキを食べると、淑女のマナーだってと鼻で笑った。
「ミア、お前も習ったのか、それ」
「習ったも何も、貴族の令嬢としての嗜みでしょう、お義姉さま」
「嗜みねぇ。で、それが完璧に出来ると、何か良い事でもあるのか?」
「理想の結婚相手の条件の一つでしてよ、お義姉さま」
「理想の結婚相手って、アハハハハハハハハハハハッ!!!!!! ば、バカバカしくて腹が捩れ…捩れるぅ!!!!!」
バンバンとテーブルを叩いて、アンネマリーが大笑いしていた。フェリクスが知っているアンネマリーとはかけ離れた姿に、ただただ驚くだけだ。
だってフェリクスの知っているアンネマリーは、いつも俯いていた。何かを言っても、じっと我慢して、表情になにも出さないように必死に堪えていて、そして重苦しく息を吐くと、心にもない事を言うような女の子だった。
何度、その心の内を聞こうとしただろうか。
何度、辛抱強く彼女の言葉を待っただろうか。
けれども結局、フェリクスはどうする事も出来ず、明るく微笑んでくれるミアに心を奪われてしまったのだ。
選べるものならば、フェリクスはミアを選びたい。けれども公爵家というものを背負うには、ミアには重荷ではないかと思ってしまう。
公爵家ともなると、国中の貴族の注目が集まるのだ。賞賛と誹謗が同時に囁かれる立場で、一瞬たりとも気が抜けない。感情がそのまま顔に出るミアを好ましいと思う一方で、母の隙のない冷たい笑みが脳裏を掠めた。
フェリクスの目から見ても、マナーが出来ていると思えたアンネマリーでさえ、母には散々言われていたのだ。フェリクスの母は公爵家の血筋に誇りを持っているからこその行動である。
そんな母であるからこそ、公爵家の寄子たる貴族達を纏められているのだろう。
ひとしきり笑ったアンネマリーは、またケーキを大口で食べてから言った。
「で、そのマナーっていうのを覚えたところで、お前はミアを選んだじゃないか。何の意味もない行為だったと、お前自身が証明してくれたぞ」
「そ、それは…」
「それで、お前の両親にはいつ言うのですのかしら?」
何をと問えば、婚約解消の話だとアンネマリーは言った。
「…だから、そんな事…」
「俺…私はお前と結婚なんてしたくないのでございますのよ。いい加減、その空っぽの頭に叩き込みやがれ、鈍間。家の事なんてどうでもいい、私が嫌だと言ったら嫌なんですの。この私が決めたのならば、そうなるのが当たり前でございましてよ、オホホホホホホ!!!」
伯爵家の屋敷跡で言った事は本気だったらしい。ミアのことなどなくとも、アンネマリーはフェリクスと結婚したくないという。そんな我儘、通る訳がない。
何より、公爵家との婚約を解消したら、アンネマリーの今後は碌な縁談などないだろう。短い間とはいえ、婚約者として付き合いのあった少女に、一時の感情のみで行動するのはやめるようにと、フェリクスは伝えた。それが、フェリクスなりの真摯な態度であったのだ。
しかしアンネマリーは、腕を組んで問題ないと言い切った。
「お前の心配する気持ちは、わからなくもない。なにせこの体、いささかミアより戦闘力はないからな。だが俺様は知っているぞ。なくても需要はあるって事を!!」
胸を張ってアンネマリーは言ったが、フェリクスは眉を寄せ怪訝そうな顔をするばかりだ。
アンネマリーはあれと首を傾げた。
元の世界で、絶壁で恥じらう系の娘っ子は最高だとか、取り巻き兼友人の一人が滅茶苦茶早口で話していたのを覚えていたのだが、何か間違っていたのだろうか。
全世界共通の紳士の嗜みですと言っていたので、てっきり異世界でも同じ事だとばかり。
「よくよく考えたら、婚約者の義理の妹と付き合う男って、紳士ではないな。なら知らなくても当たり前でございますかしら」
「……何をさっきから、訳のわからない事を言っているんだ、アンネマリー」
「わからないのは、お前がお子ちゃまだからだ。ふん、おウチに帰ってパパにでも聞いてみるんだな、ボウヤ。プークスクスなのですわオホホホホホ」
勝ち誇ったアンネマリーの顔を見て、フェリクスはもう何も言うまいと押し黙った。ここで何を言おうとも、アンネマリーには通じない。止める事は不可能であると理解したのだ。
どうせ両親は婚約解消を了承しないだろうから、好きにすれば良いとフェリクスは静観した。
何をしたって、フェリクスはアンネマリーと結婚することになるのだからと。
そんなフェリクスを見て、アンネマリーはやっぱり瓦礫の下に埋めてくれば良かったかな、なんて思ってしまった。こういう、やる前から悲観してる奴、本当に嫌いなのである。
「さて、公爵はどこにいるのかしら?」
「父なら出掛けているよ。残念だったね」
「はあ、むしろ好機じゃないか。これだから、目が曇りまくってる奴は駄目だな。今のうちに婚約解消の書類をつくって、とっとと法務院に提出しちまおうですのよ!」
「それは犯罪だから!!!」
思わず大声を出してしまったフェリクスに、アンネマリーは安心しろと印章を手に掲げた。
「瓦礫の下から発掘しておいたのですわ! これがあれば偽造でもなんでもない、正真正銘の書類になりましてよ!!!」
「余計に性質が悪いよ!!!???」
「ああん、貴族なら偽造書類の一枚や二枚、作成してるだろ? 入門編は、簡単な脱税のやり方。婚約解消の書類なんて、その入門編にすら含まれない、可愛い悪戯だって」
まあともかく公爵の執務室に行くぞと、アンネマリーは応接室を飛び出した。フェリクスが止める間も無くだ。
放置したら絶対にヤバいと、フェリクスはその背中を追い掛ける。
「ま、まってくれ、アンネマリー!!!」
これまでは縋るアンネマリーを疎ましく思っていたというのに。今はフェリクスがアンネマリーを必死に追いかけていた。
「オホホホ、お断りでございますわ! 捕まえてごらんなさいですの! オーホッホッホッホッホ!!!」
笑いながら全力疾走したアンネマリーは、何となくこっちだろうという勘のみで、公爵の執務室へとたどり着いた。
さすが俺様天才である。なんでもできて困っちゃうななんて思いながら、アンネマリーは執務室の扉を勢い良く開けた。
のだが。
そこには妙齢の貴婦人とその足元に傅く少年の姿があった。
唐突に入ってきたアンネマリーの姿に、中にいた二人の人物が目を丸くする。貴婦人の方が何か言い掛けた瞬間、アンネマリーは大声で叫んだ。
「不審者だあああああああ!!!! おい誰かああああ!! 公爵の執務室で、不審者が不埒な事しているぞおおおおお!!!!! 書類の偽造を狙っての犯行に違いない!!!!」
アンネマリーは書類を偽造するつもりはないので、不審者ではなかった。