俺様>>いつだってヒーローは遅れて来る
「……あら、雲が……」
日差しが遮られたので、クライセン公爵夫人は空を見上げた。綺麗に澄み渡っていた空には、暗雲が立ち込み始めている。
雨になる前に、招待客を屋敷に案内するべきかしらと思案し始めたのだった。
アンネマリーがアミルに促されて入った部屋の中には、先客がいた。
皇太子だから護衛がいるのはわかるが、椅子にもたれ掛かるようにして座らされている人物がいるのだ。
騎士団の隊服を着ていて、そして腕章には第五騎士団のエンブレムがある。
どこからどう見てもテオ団長がそこにはいた。
そういえば今日は見掛けなかったとアンネマリーが話し掛けようとしたが、後ろから口を塞がれて、声が出なかった。
「もがっ…!!??」
ジタバタと暴れるが、アンネマリーの腕力では振り解けない。口だけでは無く腕も掴まれて、抑え込まれてしまった。いきなり何だとアミルを見れば、いつもの微笑んでいる顔ではなく、歪んだ笑みを浮かべていた。
アンネマリーを捕まえているのは、アミルの護衛だったので、これが彼の指示である事は明白だ。何をする気だと睨むと、アミルはテオの隣に用意されている椅子に腰掛けた。
「そう暴れないで下さい、アンネマリー。突然で驚いたかもしれませんけど、これは公爵も承知の話です」
「…もがーっ!!」
アミルとテオの間には小さなテーブルがあり、そこには何本もの酒瓶が置いてあった。よく見ればテオは意識がないようで、ぐったりと項垂れている。しかもひどく酒臭い。
「職務中の飲酒は、騎士団を辞するにはちょうど良い理由ですね。ふふ、まあ身分違いの想い人と添い遂げた祝盃と言えば、納得されるでしょうけど。彼の生まれが生まれですから」
テオはいつもやる気なさげに過ごしているし、のらりくらりと厄介事や人と関わるのを避けようとしていたのを、人を見る目が有り過ぎる天才アンネマリーは気付いていた。けれども大人の男なら探られたくない過去もあるだろうと、気付かない振りをしておいてあげたのだが。
「この人、忌々しい事に僕と血縁関係があるんですよ。僕のお祖父様が、王宮の下働きの女に生ませた子が、彼です」
つまりテオ団長は王弟殿下。
クリスはその事実を知らずして、テオの価値を見出していたという事になる。そしてそんなクリスとお友達なアンネマリーは、流石であるという話になるわけだ。アンネマリーは身動きが出来ず口も塞がれていても、己の有能さに悦に入った。
「彼の存在は公然の秘密でしてね。父様もどう扱うべきか頭を悩ませていたんです。忌々しい寄生虫の癖に、父様を煩わせるだなんて、酷いと思いませんか?」
アミルはどうやらバリバリの差別主義者のようだ。まるでアンネマリーの弟そっくりで、確かアイツも高貴なる血筋は高貴なる者と共にとかなんとか言って、伯爵家より下の者は虫と変わらないと考えていたのだ。勿論周囲にはそれを悟られない様にして。
小賢しい所が似ていて嫌だと顔を歪めたが、アンネマリーは自分に弟などいない事に気付き、これは誰の記憶だと青褪めた。アンネマリーのこれまでの過去よりも、よほど実感のある記憶。
これは、……これは?
混乱するアンネマリーなど気に留めることもなく、アミルは饒舌に語り続ける。
「僕はね、アンネマリー。貴方も僕と同じ考えの持ち主であると思っていたんです。寄生虫に煩わされる被害者だと。……なのに貴方は違った。とんだ見込み違いだ。でも、だからこそ、アンネマリー」
アミルがゆっくりと近付いて来る。
「その由緒正しき血をどうか、王家の為に役立てて下さいね」
「もがっ…もがーっ!!??」
「ああ、何をするかですよね。ここで、彼と、既成事実を作って貰えればそれで。彼の不始末と貴女の醜聞、それらを美談に昇華してランセル伯爵家が王家の紐付きになれば、全て丸く収まるんですよ」
何一つ収まるわけがないと、アンネマリーは憤った。しかしながら口を塞がれている所為で何も言えないし、抵抗すら封じられている。こんな奴ら、魔法が使えれば吹き飛ばせるのにと、現実的ではない事を考えてアンネマリーは泣きそうになった。
「女性に無理強いをするのは心が痛みます。だからアンネマリー、貴女も彼と同じくらい酔っ払ってしまえば良いんです。あとは服を脱いで二人でそこで寝れば良い。それだけで、あとは全てこちらでやりますので、ご安心を」
何一つ安心出来ないし、好きな人以外に服を脱がされるのはお断りなアンネマリーは、何とか振り解こうと暴れた。
その結果、口元を抑えている手がズレて、アンネマリーは声を出す事が出来た。
「……助けて…、ふえっ…」
こういう時に、絶対の信頼を置いていて、必ず助けに来てくれる人。幼い頃からの付き合いで、自分の知らない事を沢山知っていて、一緒に馬鹿をやらかして笑い合える、大事な、大事な。
「…セバス…」
「お義姉さまああ!!!!」
アンネマリーがその名を紡いだのとほぼ同時に、ミアが部屋の扉を開けた。髪はボサボサで裸足で泥だらけのミアは、荒い呼吸を隠す事もなく立っていた。
「誰も入れるなと言ったでしょう」
「し、しかし殿下」
「お義姉さまを離して! せ、聖女の言う事聞きなさいよ!! 神罰が下るわよ!!!」
ミアの必死の形相に気圧されて、入り口に立っていた護衛がどう扱ったものかと戸惑っている。それを見てアミルカルは得心した。
聖女とは伝承にある存在で、不可思議な力を扱ったと伝わっている。そんな事あり得ないと思いつつも、ミアが本物であると王家が認めたのだから、何かしらあると怯えているのだろう。
だがその不可思議な力というものは、王家が聖女の神秘性を高める為に広げた誇張した話でしかない。
「そんなものある訳がないでしょう。寄生虫の浅はかさは、本当に面白い。神罰を与えられるのならば、どうぞやってみて下さい」
「……このっ、本当に本当に、神罰が下るんだからっ!!!」
ミアの精一杯の脅しに、アミルが鼻で笑ったその時だった。右手の甲に浮かんだ文字が輝き、空へと向かって光の柱が伸びた。
瞬間、空を覆っていた暗雲から稲妻が迸り、轟音が鳴り響く。閃光と音に驚いていると、続けて凄まじい衝撃が窓と壁を吹き飛ばした。
「ごほっ、な、何よこれ」
「まさか、まさか本当に聖女さまの力!?」
護衛の一人が怯えたような声を上げるが、アミルがただの偶然だと言い放つ。だが別の護衛が、空がと叫んだ。
吹き飛ばされ壁がなくなったお陰で、部屋の中にいても空が見えたのだ。その空には真っ黒な雲が渦を巻いており、閃光が紋様を描きはじめた。
「ななななな何あれ!!???」
「……転移…魔法陣……」
呆けていたアンネマリーが、空を見上げて言った。そしてその口元が笑みを浮かべると、同じように呆けているアンネマリーを捕まえている護衛の股間を、容赦なく蹴り上げた。
「オーッホッホッホッホッホ!!! いつまでも私に触ってるんじゃねーよでしてよぉぉ!!! 私に無体を強いると神罰が下るのですわあああ!!!!」
そんなわけないと叫ぶアミルの目に、一際強い閃光がアンネマリーの後ろへと落ちたのが見えた。
「さすが聖女さまですわあああああ!! 使徒を召喚するとは、まさに聖女の奇跡でしてよおおおおお!!!!」
アンネマリーが大きく息を吸い込むと、いつもの倍以上のどデカい声で叫んだ。まるで周りにわざと聞かせるようにだ。
どういう事と困惑するミアだったが、すぐに理解した。フェリクスとクリス、それからクライセン公爵夫人が使用人達と駆け寄って来ているし、庭の方からも何が起きたのかと騒いでおり、壁がなくなったこの場所は注目の的となっているのだ。
「お二人とも大丈夫ですか!!??」
「怪我はないか、ミア!!」
「な、何があったんです、アンネマリー! ミア! 無事なのですか!?」
それに皇太子殿下もと、公爵夫人が動揺していた。ここには居ないはずのテオが衝撃で床に倒れている事に気付いたクリスが、何でと声を上げている。
「オホホホ! 窓から侵入した悪漢から私達を守ろうと! ミアが聖女のすっごい超パワー的な力を使って、聖女の使徒を召喚したのですわ! 聖なるパワーで悪漢は浄化されたのでしてよ!!!」
「そんな事があるわけ…、な、何なのです、それは」
驚愕した顔の公爵夫人が指したのは、アンネマリーの背後だ。そこには人の背丈よりも大きな、細長く尖った石が地面に突き刺さっているのだ。そしてその石を中心として、輝く紋様が揺らめいている。
「だからミアの聖女パワーですわ!」
ゴスっと全然自然じゃない肘打ちがミアを襲う。こいつ覚えていろよと思いつつも、ミアは話を合わせる事にした。
「そう、そうですぅ! 私、お義姉さまと皇太子殿下のピンチに、こう聖女的なパワーが爆発しちゃってぇ。みんなの事を守ってってお願いしたら、助けにきてくれたんですぅ」
手を合わせてミアが上目遣いで言えば、クリスと公爵夫人が鼻で笑った。しかしながら他の者は半信半疑ながらも、ミアの言い分を受け入れつつある。ちなみにフェリクスはそうなのかと信じていた。
騒然たる場を公爵夫人が落ち着かせると、招待客達に帰宅を促した。こんな事になってしまっては、これ以上は園遊会を続けられないし、皇太子殿下の安全を考え王宮に戻った方が良いと言えば、誰もが納得している。
「どうか、聖女さまの御力の事は、皆様の心に留めておいて下さいませ。聖女さまの御心を害した場合、何が起こるかわかりかねますから」
何か言いたげなアミルは、悔しげに顔を歪めながらも護衛達に守られるようにして公爵邸を後にした。そして誰も居なくなった頃、まるでそれを見計らったかのように、地面に突き刺さっていた石が光った。
それをアンネマリーは、満面の笑みで見詰めている。やがて光が収まると、石はボロボロと崩れていく。
「まったく、来るのが遅いぞですわ。でも流石、俺様の一番の家来、でしてよ、……セバスチャン」
「……殿下」
石の中から、黒髪の青年が現れたのだった。