俺様<<とんでもなく不味い事になりました、ミア
アンネマリーに振り回され過ぎたからだろうか。ミアはその日、変な夢を見た。
「皇太子殿下、……あの人の様子はどうです?」
儚げな美しい女性が、一人の男性に声を掛けている。皇太子殿下と呼ばれた男性は、アミルカルではなかった。
ミアよりは歳上であろう彼は、優しげな微笑みを携えて、女性に言った。
「君が気にするような事ではないよ。大丈夫、罰を受けて十分に反省しているから」
「…そうですか、それならば良いのです。私はあの人に、己の過ちを悔い改めて欲しいのですから」
男性の顔はアミルカルに全然似ていないし、髪の色も違うけれども、どこか纏う雰囲気が似ている。
そして女性の方も、生前のアンネマリーに雰囲気が似ていた。二人は何やら話した後で、女性の方が部屋を出ていく。
一人残された男性が、少ししてから悪態を吐きながら机を叩いた。
「クソッ! 何で絶望しないんだ!! 何で泣き喚いて嘆かないんだ!! 畜生、いつも余裕ぶりやがって!!!」
先ほどまでの優しげな様子とは打って変わって、顔を歪ませ苛ついている。あまりの豹変ぶりにミアは驚く。
「だが今度こそ、これでおしまいだ。あいつを加護している連中を、纏めて牢屋にぶち込んでやったからな。もう呪いから守られる事もない」
なんだろう、とても恐ろしい。ミアは声を上げないように、己の口に手を当てて込み上げてくる恐怖を必死に堪えた。
「アハハハハハハ!! 無力な女の姿で、無様に泣いて絶望すれば良いんだ!! アハハハハハハハ!!!!! 今度こそ、今度こそ!!! 兄上め…!!」
まさか、これってもしかして、アンネマリーが元いた世界での弟なのかしらと、ミアが思った瞬間。
男性のギラついた目が、ミアを捉えた。
「誰だお前は!!??」
悲鳴を上げることも出来ず、ミアは飛び起きた。心臓は早鐘のように鳴っていて、酷く汗をかいていた。
窓の外は薄暗く、夜が明けたばかりのようである。
アンネマリーの取り巻き達の夢を見た時も嫌な夢だったわなんて思ったが、今回のは本当に嫌な夢だった。むしろ夢として片付けてはいけないような気がしてならない。
アンネマリーがアンネマリーになってからというもの、騒動に巻き込まれ続けている。全てアンネマリーの所為のような気がしてならないけど、それでも色々と何かが起こり過ぎている。
話半分で聞いていたから詳しくは知らないけど、異世界に堕とされたら、不幸が次々に襲い掛かるとか言っていなかっただろうか。
あの夢で見た男性の言うように、アンネマリーに掛けられた呪いであったのならば。
ミアのいるこの世界には、アンネマリーが教えてくれた魔法なんてものはない。だからこそ、魔法がある世界の住人である彼らが言う呪いとやらが、酷く恐ろしいものに思えた。
しかも今日は、園遊会が開催されるのだ。ミアの出来る事と言ったら、アンネマリーを見張るくらいしかない。
物凄く嫌だが祈ってみたものの、あの声は聞こえてもこなかった。アンネマリーを加護している連中といえば、思い浮かぶのは奴らである。まさか本当に牢屋に捕まっちゃったのだろうか。
いま見た夢が、どうか杞憂であってと思わずにはいられなかった。
「ヤダヤダヤダですわああ!! 孔雀を頭に乗せたいのでしてよおお!!!!!」
「馬鹿な真似はお止めなさい! 孔雀が可哀想でしょう!! 絶対に許しませんよ!!!!」
フリージンガー侯爵邸からクライセン公爵邸へと戻っていたアンネマリーは、朝から公爵夫人と戦いを繰り広げていた。
侯爵家から孔雀を譲り受けたアンネマリーが、頭に乗せるといって聞かないのだ。勿論、そんな巫山戯た格好で参加させるわけにはいかないので、クライセン公爵夫人は断固反対している。
「ド派手なのが良いのですわ! 他と同じなのは嫌でしてよ!!」
「だからって孔雀はないでしょう!! 孔雀だって迷惑ですという顔をしていますよ!! ほら、こっちの髪飾りになさい!!!」
「そんな一昔前のアクセサリー嫌ですわああああ!!!!!」
「失礼な!! 私の若い頃のものですよ!!!!! そんなに古くありません!!!!」
夢見が悪かったミアは、朝から凄い元気だわと、肩を落とした。
最終的に、クライセン公爵夫人の孔雀の羽を模した扇子をアンネマリーが貰う事で決着し、頭に孔雀は乗らなかった。
両サイドに刺繍入りのリボンを付けて、リボンとフリルがあしらわれたピンク色のドレスを身に纏ったアンネマリーは、黙ってさえいればお人形さんの様に可愛らしい。
同い年だがアンネマリーの方が少し早く生まれているので、姉となっているのだが、並んでみると一部分の戦闘力の差が歴然なので、ミアの方が年上に見えた。むしろ年相応というべきか。アンネマリーの方がドレスと相俟って幼く見えた。
「…これならまあ、アミルカル皇太子殿下と並んでも、フェリクスと並んでも問題ないわね」
「やっぱりちょっと地味な気がするのですわ。髪全体に真珠の粒を飾り付けたらどうかなのでしてよー」
「それって髪の毛に真珠の粒を通すの? 髪の毛絡まって大惨事だからやめてよ、お義姉さま。さすがに丸刈りなのはちょっと」
結局アンネマリーはアミルからのドレスも、フェリクスからのドレスも着なかった。
ドレスはアンネマリーの趣味を丸っと無視したものであったし、そういうのを着たい気分でもなかったからだ。どちらも落ち着いているというか大人びたデザインで、アンネマリーなら問題なく着こなせて似合い過ぎてしまうけれども、どうせなら今着ているような可愛いらしいドレスが良かったのである。
女の子には是非とも、あざといと言われようともリボンとフリルのドレスを着てもらいたい、という主張を聞いたことがあったからだ。
公爵夫人に化粧を施してもらい、ご満悦なアンネマリーは鏡の前で一回転した。そしてそこでふと、疑問が浮かぶ。
「あれ、…でも、誰がそう言ってたのだっけ?」
ミアも聖女としてお披露目されるので、準備を整えた。白を基調とした厳かなドレスである。ご丁寧にヴェールまで被っている。
「お菓子とかお茶溢したら目立つドレスですわぁ」
「お菓子食べながら近付いてこないでよ! すっごく高そうなんだから、これ!!」
「アンネマリー! お化粧が崩れるから園遊会での挨拶が終わるまで、せめてお茶にしときなさいと言ったでしょう!!」
焼き菓子を食べながらミアのドレスの感想を述べるアンネマリーを、クライセン公爵夫人が嗜めた。そんな三人の許に、正装したフェリクスがやってきた。
公爵家の紋章の刺繍が施された長めの上着を羽織り、タイを巻いている姿はお世辞抜きで格好良い。麗しの貴公子だ。顔と身分はすっごく良いのよねと、ミアは熱っぽい眼差しでフェリクスを見詰めた。
「…ミア、聖女の正装は君によく似合っているね」
「ありがとうございます」
フェリクスの微笑みに、ミアは己の体温が上がるのを感じた。ダメだ、やっぱり格好良い。公爵夫人とフェリクスの笑みを天秤に掛けて、ちょっとばかりフェリクスに傾きそうになったが、押し止まった。だって姑が公爵夫人なのは、なかなかに高い壁なのだ。アンネマリーが相手だから今みたいに愉快になっているけれど、ミアだったら間違いなくギスギスした空気にしか成り得ない。
ミアの隣で焼き菓子を食べているアンネマリーの方を見ると、フェリクスは少しばかり驚いたような顔をした。
「…君も、そういう格好をする事があるんだな。いつもはもっと地味なものばかり着ていて、正直その…」
その原因はミアと母親であるランセル伯爵夫人にあるので、顔を引き攣らせてしまう。しかしながらアンネマリーは、不敵な笑みを浮かべると胸を張って言った。
「私が何者にも代え難い美少女だって事、今更ながらに気付いちゃったのですかしら!!?? 後悔先に立たずでしてよおおお!!! オーッホッホッホッホッホ!!!!」
いつも通りのアンネマリーに、フェリクスは苦笑したが、柔らかな声でそうだなと肯定した。
「私はいつも、自分の行動を後悔してばかりだよ、アンネマリー。あの時、もっとこうしておけば良かったのではないかって、いつも全て終わってから気付くんだ」
「何を馬鹿な事を言ってるんですの。そもそも後悔できるのなら、まだ全て終わってないのですわ。まったく、そんな事も知らねーのかでしてよ」
アンネマリーの言葉に、フェリクスは目を見開いた。そして今度は、顔を歪ませて、泣き出しそうな笑い顔で、知らなかったよと言ったのだった。
何だか第三者が割り込んじゃいけない空気が流れている。あれこれもしかして、フェリクスはアンネマリーと婚約関係をやっぱり続けたいのかしらと、ミアは思ってしまった。
今のアンネマリーは滅茶苦茶だけど、公爵夫人とは対等にやり合えるし、礼儀作法もやろうと思えば完璧だ。生まれだって由緒正しい伯爵家の血筋で、誰もが文句をつけないであろう公爵子息の婚約者に相応しい令嬢だ。
アンネマリーは解消したがってるけど、何だかんだで元に戻りそうな気もする。
よく分からない理由で聖女になってしまったミアとは大違い。でもまあアミルカル皇太子殿下が、何だか良さげな縁談を用意してくれそうだし、そっちで良い男を見つければ良いかと思った。胸の奥が少しばかり痛んだのは、きっと気の所為だ。
「ミア、アンネマリー、私は主人とお客様をお迎えするので、先に出ていますね。そろそろ皇太子殿下も来られる事でしょうし。良いですね、アンネマリー、今日だけは、本当に今日だけは、ちゃんと大人しくなさい」
「なんで私だけに言うんですの? まあ私、すっごい可愛い過ぎて心配になるのは仕方ないといえば仕方ないですわねぇ」
「……それで良いから、本当に大人しくなさいね。じゃないと、フリージンガー侯爵家から持ってきた孔雀は、あちらのお家に返却しますからね」
「ここで飼って良いといったのに、酷いですわ!」
「良いですね!!??」
「……はぁい」
不安だわとブツブツ言いながら、クライセン公爵夫人は夫と共に部屋から出て行ったのだった。