俺様>>皇太子殿下が来た
「皇太子、公子、父親、誰から会うべきかしらですわ。この私に最初に選ばれし幸運なる男、それは…!!!!!」
「楽しく会話しているところ、失礼します。アンネマリー。久しぶりですね」
話し掛けてきたのは、皇太子アミルカルだった。優しげな微笑みを浮かべ、アンネマリー達がいる側に立っていた。後ろにいるエル院長は、何とも言えない表情を浮かべている。
「お久しぶりですわ、アミル殿下! この私に会えなかった間は、さぞ寂しかった事でしょう!! オーッホッホッホッホッホ!!!!!」
「え、ええ、そうですね。アンネマリーも同じ気持ちでいてくれると、僕は嬉しいのですが」
「え、何で私が寂しいと嬉しいのですの? 殿下はそういう新たなご趣味…ふがっ」
「お義姉さま! お義姉さまも、多分寂しがっていましたわ、アミル殿下!!」
余計な事を言う前に、ミアがアンネマリーの口を塞いだ。そして素晴らしき連携で、クリスがそうですねと同意の相槌を打つ。その一連の流れに、アミルは一瞬顔を引き攣らせたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべて、座っても良いかと訊ねた。
「オホホホ、構いません事よ!」
「あ、じゃあ、私たちは失礼しますね、殿下」
「いえ、待ってください。ミア、貴女にも是非聞いて貰いたい話です。お友達もどうぞご一緒に」
何故か巻き込まれたクリスは、目から光が消えあからさまに舌打ちをした。物静かで人の良さそうなクリスがこうも変わってしまうだなんて、アンネマリーの影響は恐ろしいと、クソがと小声で悪態を吐きながらミアは思った。人の振り見て我が振りを見直さない典型的な人種である。
「まずはミア、貴女の手の甲を見せて頂いても?」
「はぁ」
右手を差し出すと、アミルがまじまじと肌に刻まれし会員の証を見た。そして間違いなく聖なる文字だと感激の声を上げている。そういうのいらない。インチキだって言われたかったと、ミアは心から思った。
だってこれが本物ならば、ミアはあの訳のわからない倶楽部の会員になってしまった事になる。脱退したい。偽聖女めと罵られても良いから脱退したい。
「この文字が表れて、何か変わった事などはありますか?」
「いえ何も…」
「ミアは時折、神託を受けております。むしろ会話しているようにも見受けられます」
「そこまでとは…。素晴らしい、是非とも貴女を王家で迎え入れたいと考えているのです」
王家に迎え入れるとは、それつまり。
「えっ、けけけけ結婚とかですか!!!???」
「ええ、そうです。聖女は存在するだけで、人々からの支持を集められますから。ミアはまだ婚約者はいないのでしょう。ならば何の問題もないはずです」
でもと、ミアは言い淀んだ。好感度は下がりまくってはいるものの、やっぱりフェリクスの事がまだ気になっているのだ。
「もし嫌ならば、王家に迎えるのはアンネマリーでも良いのですがね。貴女は公爵家に嫁げば良い。アンネマリーは婚約を解消したがっていたのですから、これが一番良い案であるとは思いますが」
「…それは」
「アミル皇太子殿下!」
言い淀むミアに更に言い募ろうとするアミルを、アンネマリーが止めた。
「どうしました、アンネマリー」
「私との約束、お忘れではありませんよね」
「……? ええ、もちろんです。だから今こうして、ミアとお話を…」
「なんてこと…、アミル皇太子殿下は公爵夫人という地位にいる女性にしか……」
興味を抱けない十三歳にしては尖り過ぎたご趣味なのね、というアンネマリーの言葉は扉の前での騒ぎによってかき消された。アミル皇太子はある意味幸運であり不運である。
アンネマリーからしてみれば、アミルは公爵夫人となったミアを、現公爵夫人の次に狙うつもりなのねと驚愕していたのだ。
「離してくれ…! 私はクライセン公爵子息だぞ!! アミル皇太子に話があるんだ…!!」
騒ぎの原因は、フェリクスであった。別室に通されたようだが、待ちきれなくなって来てしまったようである。護衛に押し止められているが、アミルが片手を上げ通すように指示した。
「会談中に不躾な横槍なんて、女性に嫌われますよ、フェリクス兄さん」
「……思ってもない事を言わないで頂けますか、アミル皇太子殿下」
フェリクスとアミルカルは従兄弟という関係であり、もっと幼い頃はアミルはフェリクスの事を兄さんと呼んで慕っていた。否、慕っているように見せていた。
アミルカルがフェリクスから何かしらを奪う、側から見たらそうは見えないように物事を運ぶのに気付いてからは、兄さんと呼ばれる度に悪寒が走っていた。アンネマリーから自分の母親を奪うのが目的だと聞かされてからは、更にだ。
「アンネマリーとミアの件は、我が公爵家も無関係ではいられません」
「そうですか? 貴方の婚約者への仕打ちは有名でしたのに?」
グッと押し黙ったフェリクスに、そこで黙るから鈍間なんだよお前はと、アンネマリーは呆れる。
「そんなにあの鈍間の婚約者への仕打ちは有名ですの?」
ふと気になって聞いてみるが、ミアもクリスもわからないと答えた。
「さあ、私が狙ってた時は、普通に良い評判しか聞かなかったもの」
「私も社交からは離れてましたから。アンネマリーが婚約者だというのも、先程知ったばかりです」
「役に立たないわねぇ、まったくもう。ミアもクリスももう少し、世情に聡くならなくてはいけませんわよ!」
「そっくりそのままお返ししますわ、お義姉さま」
生前のアンネマリーの日記には、贈り物を貰ったとか書いてあったから、最低限度の義務は果たしていたように思えるけども。
噂になるくらいの酷い仕打ちをしていたのなら、それを諌めない公爵や夫人も大概だし、従兄弟であるアミルが知っていて放置してたのならば、やっぱりそれも同罪であるとアンネマリーは思ってしまう。
フェリクスにされた事を怒って良いのは生前のアンネマリーなだけなのだ。まあそのアンネマリーは、怒る事を放棄したわけだが。
「ま、私には関係ない事ですわ! そこの鈍間が何をしていたとしても!! 解消は確定しておりますものね!! オーッホッホッホッホッホ!!!!!」
新生アンネマリーが高笑いをすると、アミルがそうですねと肯定してきた。
「その代わり園遊会では宜しくお願いしますよ、アンネマリー」
「オホホホ、お任せあれですわ!!!」
「…あ、アンネマリー」
フェリクスが眉を寄せて情けない顔をする。
「んもう、何なんですの!? ミアは聖女に認定されたし、公爵家としては嬉しいことばかりじゃありませんかでしてよ! まあ、ミアがお前みたいな鈍間を選ぶかはわかりませんけどねぇぇ!!!」
「…そうじゃない! 私は、君の事が心配なんだ…!! 婚約解消となったら、君の将来は修道院で暮らす事になるかもしれないんだぞ!!」
「うちはそういう場所じゃないんで、修道院に送られても困ります。あとアンネマリーだけは困ります。本当に困ります。妹のミアと結婚するならアンネマリーも責任を持って引き取ってください」
フェリクスの言葉を、エル院長がぶった斬った。普段なら物言いなどせず、静かに受け入れるだけなのだが、修道院に来た当日にクマさんを庭で燃やすという事件を起こしているのだ。一日目で満腹気味なのに、ミアが寝込んでいた次の日は、もう思い出したくもない。
焼けたクマさんの手を、アンネマリーが、クマさんの手を。エル院長は蘇ってしまった記憶に、ウッと目元を押さえて呻いた。
「どうしたんですの!? エル院長、お疲れなら滋養強壮の効果のあるクマさんの手を、私が食べさせ…」
「大丈夫です! 私は元気です!!!!!」
威厳あるエル院長は、あらん限りの声で叫んだ。昨日の昼、己の目の前に鎮座していたクマさんの手。アンネマリーは良い事をしたと言わんばかりの笑顔で、体に良いんですのよと高笑いをしていた。老齢した今になってトラウマを植え付けられるとか、本当に勘弁してほしい。
そして今日。三日目で皇太子、公子がやって来るとか、長年静かに流れていた修道院の時間は、どこかに消え去ってしまっていたのだ。
「ともかく、ここは俗世とは切り離された場所とお考えください。戒律に従った修行の場なのです。婚約等といったお話は、どうかここではない場所でお願い致します。皇太子殿下、公子様」
エル院長に言われ、アミルは肩を竦め、フェリクスは罰が悪そうな顔で、押し黙った。
「わかりました、エル院長。今日はこれで帰ります。聖女が本物であるのか、確かめる事が、僕の役目でしたから」
「アミル皇太子殿下は、聖文字についての造詣が深いとお聞きしております」
「僕はまだまだですよ。…アンネマリー、ミア、またお会いしましょう。次は園遊会でね」
ではとアンネマリーの手をとり、口付けるような仕草をしてアミルは去っていった。残されフェリクスも、憂い顔でアンネマリーの前に立つ。
「……今までの君への仕打ちは、本当に申し訳なく思っている。ミアを想う気持ちも、君が心配だという気持ちも、どちらも本当なんだ。それはどうか、信じてほしい」
アミルのようにアンネマリーの手には触れなかったが、それでもフェリクスは、真摯に頭を下げてから去っていた。
その姿を見て、アンネマリーは少しだけフェリクスを見直した。
「ふぅん、ちょっとばかり言うようになったじゃねーかのことですわ」
「はわわ、これって三角関係…? いえミアさんもいれたら四角関係ですか…? 修道女には刺激が強過ぎますっ…。どうしよ、やっぱ早く王都に戻らなきゃ、こういうのもっと見たい…」
その様子を顔を赤くして口元を押さえ見ていたクリスがいたし、それを見てこいつもヤバい奴なのかとミアはげんなりした表情を浮かべていた。
騒つく食堂に、エル院長の声が響く。
「さあ皆さん、午後の奉仕活動の時間ですよ。ミア、アンネマリー、貴女達も短い期間であってもメルボブン修道院の一員なのです。今日こそは、ちゃんと、まともに、普通の、奉仕活動と祈りを捧げる事をしましょうね」
エル院長の言葉にアンネマリーは元気に返事をし、クリスとミアと三人は中庭の清掃作業へと向かっていった。
誰もが何かを忘れていたが、それすらも気付かないままに。
「……いつまで、待たされるのだろうな、ロバート」
「旦那様、ここは戒律の厳しい修道院ですから。色々とあるのでしょう」