俺様>>こうしゃく夫人とおしゃべりする
修羅場が繰り広げられた食堂では、アンネマリーのお腹空いたの一言で一時休戦となった。気まずい空気の中、アンネマリーだけが上機嫌にパンに齧り付いている。なおランセル伯爵夫人は客間で食べるそうなので、不在であった。ある意味、天性の運の持ち主である。
食事が終わり一息ついた頃合いに、クライセン公爵夫人が口を開いた。「……先程の話ですけれど。ミア、この公爵家の寄子となっている貴族は、いったいどれ程いるかご存知?」
「えっ、…それは、知りません。不勉強で、…申し訳ありません」
身を縮こませるミアに対し、公爵夫人は知らなくて当たり前よと言った。
「付き合いが頻繁にある家ならば顔を覚えますが、地方領主などともなると会うこともなく、名前のみ知っているだけとなり、更には寄子の寄子という遠い存在も出てきます。ですから数十以上と見積もっても良いでしょうね」
そんなに貴族が存在するのかと驚くミアに、没落したり分家となったりしたものも含めてだとクライセン公爵夫人は言った。
「そしてその付き合いがある家の中には、出来ることならばお付き合いを控えたい相手もいます。けれども公爵家として寄子を取り纏める立場にある為、どうしても無下に出来ないのよ」
ミアの横で、一人だけおかわりをしたアンネマリーが、スープを飲みながらうんうんと頷いていた。父も似たような事を言っていたとかこぼしている。
「そういった人達は、貴族は血筋重視だと思っている方々が多くいるのです。貴女がもしフェリクスと婚約した時、それこそ私が先程言った事以上の侮辱と危険が貴女を待ち受ける事でしょう」
あからさまな身の危険もあるのだと、クライセン公爵夫人が静かな声で言った。
「私にはそれらから、フェリクスが貴女を守れるとは到底思えないのよ。貴女を愛していると言っている癖に、行動が伴っていない。己の想いのみで動いて、何一つ周りが見えていない。ただでさえ難しい立場の公爵家で、フェリクスのそれは致命的だわ」
だからこそそれらを補える申し分ない貴族の娘を婚約者にしたのだそうだ。
「……私個人としては、正直そこまで家門を重んじる気はありません。元々、私は貧乏な男爵家の出身だからです。夜会で夫に見染められた時、物語の主人公にでもなったような気がしたわ。…でもね」
貧乏くさい匂いが移ると、お茶会であからさまに倦厭された。こんな事も知らないのかと馬鹿にされた。マナーの不出来さを義母に笑われて、何一つ言い返せず俯き涙する日々だった。
そんな中で縋れるのは、愛してくれたクライセン公爵だけだったというのに。この人はなんの役にも立たないどころか、お前にも悪い所があるんじゃないかなんて言って、最終的には執務が忙しいと逃げに逃げて。
クライセン公爵夫人は、かつての出来事を思い出し、何度お前を血祭りにあげてやろうかと思った事かと、公爵を笑顔で睨み付けた。妻からの明確な殺意に、クライセン公爵はビクッと体を震わせた。
「私はグリー先生にマナーを一から叩き込んでもらいました。誰にも隙を見せぬように、一人でも立っていられるようにと。ミア、貴女にはその覚悟はありますか?」
どこまでも静かに、真摯な声色で、クライセン公爵夫人は訊ねた。その問いに返す答えを、ミアは持ち合わせていない。だってミアは、大嫌いな義姉のものを奪い取りたかっただけなのだ。悔しがる顔を見たかっただけなのだ。フェリクスの事が好きか嫌いかで言えば、それは好きといえるだろう。けれども、そんな覚悟なんて、これっぽっちもなかったのである。
「わた…わたしは…」
「なるほど! わかったのですわ!!!」
大人しく食事を取っていたアンネマリーが、いつの間にか椅子の上にのぼって声を上げた。馬鹿と何とやらは高いところが好きなのである。
「椅子の上に立つのはおやめなさい!」
「私に注目あれなのですわ! つまりミアが、誰にも文句を付けられないくらい、すっごい功績をもってれば、公爵家どころかよりどりみどりの入れ食いフィーバータイムになると言いたいのですわね!! ならばこの私に考えがありましてよ!!!!!」
「なんでそうなるわけ」
「オホホホ、皆さんご存知の通り、ミアはこの通りお馬鹿さんなのですわ! グリー先生にお稽古をつけてもらっても、及第点ギリギリでしてよ。苦手な事を無理やり詰め込めんでも、すぐにボロが出るに決まってますわ!!!」
そんなに力強くいうなとも思ったが、アンネマリーの言う通り、実のところミアは勉強が苦手だった。貴族のよくわからないしきたりは、どうにも理解し難い。なんとか取り繕ってはいるものの、生来の貴族のお嬢様からみれば、ミアのそれは張りぼてでしかないのだ。
「ただミアは底意地の悪さと執念深さには、それなりに定評がありましてよ! ならばコレ、コレに参加すれば良いのですわ!!!」
アンネマリーがどこからか取り出したのは、一枚の紙であった。そこには、修道院の文字が書かれている。
「貴族の娘が箔付の花嫁修行へと行く定番中の定番! 修道院ですわ!!!」
「はああ!!??」
「まあ確かに、修道院で修行したという経歴は、貴族の娘としては良い点ですけれども。修行に行く修道院によって変わってきますわよ。その辺の修道院では、失笑されてお終いです」
「そこでここですわ!! めちゃくちゃ厳しいと有名なメルボブン修道院!!! ここで修行したら一目置かれること間違いなしですことよ!!!」
なんでそんな所に行かなくちゃならないのと、ミアは思った。口には出してはいないが、ミアだって贅沢な暮らしが大好きなのである。しみったれた修道院での暮らしなんて、絶対にお断りであった。
「…そこはグリー先生も修行した所ですね。厳しくて一日で逃げ出す娘が沢山いるそうですよ。果たしてなんの覚悟もない娘が、耐えられるかどうか…」
「オホホホホ!!!! 覚悟なんてものは必要ありませんわ!」
「必要に決まってるでしょう!!?? アンタとは違うのよ、私は!」
ミアの反論に、アンネマリーはビシッと指をさして言った。
「この修道院を出ると、入れ食いですわよ! …つまり園遊会で一人勝ち状態。ふふん、この私が皇太子にお願いして、良い男をミアに優先的に挨拶させる事も可能!!! 贅沢をさせてくれて、口煩い姑もおらず、そしてイケメンを紹介してくれとね!!!」
「……っ!! それは…」
「メルボブン修道院は、そういう事の為にあるわけじゃありませんよ」
アンネマリーの言葉に、ミアの心がちょっとだけ動いた。そもそもミアは、可愛いだのなんだのチヤホヤされるのが大好きである。公爵子息のフェリクスが一番格好良いと思っていたが、しかし性格や家の事情を知るとどうしても好感度というものは下がってきてしまう。まあフェリクスは、優しかったけれども。
「どの家も選び放題になる入れ食い、その為には乗るしかありませんわ! このビッグウェーブに…!!!!! というわけで、お義母さまの許可を取りに行きますわよ!!!!!」
「えっ!? い、いま!!??」
「こういう物事は即決が一番ですのよぉぉぉぉ!!!!!」
椅子から飛び降りて走り去るアンネマリーを見て、ミアはどうすべきか迷った。するとクライセン公爵夫人が、額に手を当ててため息を吐いた後で、困ったような顔をして笑った。
「やる事も何もかも無茶苦茶ですが、……あの子はちゃんと、貴女の事を想い考えているのですね」
確かにアンネマリーは、やることが全て滅茶苦茶だ。そしてミアの事を性格が悪いとか言うけれど。
何かあった時に、ミアが一番必要であった言葉を発するのだ。心がズタズタになる前に、底なし沼に引き摺り込まれそうになる前に、アンネマリーの言葉はミアをすくい上げ、そして悩んでいた事が馬鹿らしく思えるくらいに、前を向かせてくれる。まあ前を向く以外選択肢なんてなくなるのだけれども。
妙にむず痒い気持ちになって、ミアは一人廊下を小走りに駆けた。そして母が泊まっている客間へと辿り着く。
客間の扉が開けっぱなしになっており、ミアはお母様と声をかけながら中へと入ろうとした。
「…というわけで! 私とミアはこの修道院の『二週間体験コレで貴女も修道女コースお土産に特製クッキー付き』に申し込みますわ!!! 保護者のサインを下さいませ!!!!」
アンネマリーも一緒に行くのかとか、そもそもなんでそんな俗世に浸りきった内容なんだ修道院とか、色々と思ったけれども。
ミアは一つ確信した。短い付き合いだが、アンネマリーと常に行動を強制的に共にしているので、見抜いたのである。
コイツ、お土産の特製クッキーに惹かれたな、と。
「アンタアアア!!!! 絶対そのクッキー狙いで申し込むでしょう!!???」
「だってだって非売品ですってよ! 薬草がいっぱい入ってるって書いてあるから、サシャの作るクッキーに似てるかなって思って! …だってサシャのクッキー、私はもう食べれないんですもの…ぐすっ」
急にしおらしくされると、ミアは戸惑ってしまう。ミアだとてあざとさは負けていないが、こちらは若干天然物のように思える。普段との落差で効果は抜群だわと、ミアは腹立たしげに拳を握り締めた。
「も、もう、わかったわよ! とっとと行くわよ! その代わり、園遊会で皇太子殿下にちゃんとお願いしてよね。フェリクス様よりも良い男を紹介するようにって」
「……!! オホホホ、素直じゃないですわねぇ、もう〜!! えへへ、一緒にお出かけですわよ!!!! ついでにこの『滝行でアナタも聖女の力が目覚めるかも!? 聖なる泉入水オプション』も付けるのですわ!!!」
しょんぼりしているよりは、満面の笑みを浮かべるアンネマリーの顔の方がよっぽど良いわと思っている自身に、ミアは一人頭を抱えてしまったのだった。
あとランセル伯爵夫人は、この子達いつの間に仲良くなったのだろうまあ悪いよりはいいかと思って、様子を静観していたのだった。