俺様<<…ア…ア、ア、…ミア…、ミア
変な声が聞こえると訴えるミアの為、ランセル伯爵夫人は二人が公爵家に滞在する事を許した。
「まったくもう、ミアの頭は大丈夫かしらですのよ」
「私は普通だってばああ!!!」
「お医者様にみてもらいましょう! こういうのはその道に精通した人に任せるのが、一番です事よ」
そう言っていたのは、取り巻き兼友人の一人である草食系男子サシャである。心配性でいつもアンネマリーの体調を気遣ってくれた、優しい心根の持ち主であった。そしてお菓子作りが得意で、彼の作る焼き立てのクッキーはとても美味しくて、それを思い出したアンネマリーはしょんぼりと肩を落としてしまう。
唐突に項垂れ萎れたアンネマリーに、ミアが驚き声をかけた。
「なに、一体どうしたの?」
「サシャの焼きたてのクッキーが食べたくなった、……ぐすっ」
「えっ、誰? あ、もしかして前言ってたお友達だかなんだかの一人?」
「うむ、草食系狂戦士と呼ばれていて、筋骨隆々で2m以上の背丈があって、ギザギザの牙があってな、それから一撃で山を吹っ飛ばすくらいの実力の持ち主で、すごく格好良い!!!」
「ごめんなさい、その話を聞く限りヤベェとしか思えないわ」
ミアはそんな奴いねえだろと思ったが、アンネマリーが自称じゃなく天才だった事から、異世界には居るんだろうと納得した。だんだんとアンネマリーの話に対して、ミアは耐性が出来つつある。
なのでつい好奇心から、取り巻きにはどういう人が居たのかと聞いてしまった。いつだって好奇心は猫をも殺すのである。
「自称紳士セバスチャンと草食系狂戦士サシャは言ったな。あとは鉄仮面僧侶イラリオン、脳筋教授シード、それから一番の腹心リュートだな!」
「情報過多過ぎて処理しきれないじゃない。聞いた私が馬鹿だったわ」
「もう何を今更、ミアがお馬鹿さんなのは周知の事実じゃないですの」
「うっさいわ!!! というかもう夜だし寝るから、部屋から出て行って頂戴!!!」
「えー、ミアの頭が心配だから私が一緒に寝て差し上げてよ!」
そう言ってアンネマリーは、ミアのベッドに入り込んできた。アンネマリーは寝る準備を整え、枕を持参して部屋に入って来ていたのでなんとなく予想は出来た事であるが、しかし本気かとミアは目を吊り上げる。
「アンタ、中身は成人男性でしょ!?」
「オホホホ、ミアみたいなお子ちゃまには欲情のよの字も抱きませんことよ!!! ほら、よーしよししてあげますわ」
「全くもう!」
アンネマリーがやると言った事を止めるのは不可能に近いので、ミアは観念してベッドに横になった。さっきまで喋っていたのに、アンネマリーはすでに寝息を立てている。
「…りゅ……と」
寝言が聞こえ、こんなでもやっぱり寂しいのかもねとミアはちょっとばかり同情してあげた。面倒と騒しか起こさない新生アンネマリーだけれども、ミアの事を娼婦の娘というレッテルを貼らずに見てくれた人間でもあったからだ。
アンネマリーの隣で目を閉じたミアだったが、相手を思いやるなんて慣れない事をしたせいか、夢見は最悪であった。
『…ア……ア…、ミア、………ミア、き……て……か…、ミア』
男とも女ともつかない濁った声で名前を呼ばれ、さらには鉄仮面に追いかけられるという、本当に碌でもない内容だったのだ。
まあそれも、朝方にアンネマリーの蹴りがミアの顔を直撃し、夢から覚めたのだけれども。
「アンタ、寝相最悪!!!」
「そんな事ありませんわよ! 朝起きたらミアの隣で寝ていましたもの! オホホ、ミアったら寝惚けちゃったのですわねぇ、ププッ」
「アンタが! 一回転して私を蹴った後、何故か朝起きるまでに元の位置に戻ってたんでしょうが!! もう二度と一緒に寝ないわよ!!」
「そんな事言って、寂しいときは遠慮せずとも、お義姉さまに甘えるが良いですわ!! オーッホッホッホッホッホ!!!」
朝から怒っているミアとは正反対に、アンネマリーは上機嫌であった。何せ夢に、取り巻き兼友人達が出てきたからだ。さすが殿下女の子になっても超絶最高と褒められ、アンネマリーはご満悦である。
鼻歌を口遊みながら食堂へと辿り着くと、そこで公爵夫人がメイド達に落ち着いて奥様と取り押さえられていた。しかも床には、座り込んだ公爵がいる。頬が腫れていることから、ビンタされた事は明白である。
どこからどう見ても修羅場であった。
「貴方は…、貴方はいつだってそう! 結局、面倒ごとから目を逸らして逃げてるだけ!!! 何よ、私がお義母さまに色々と言われているのを見たって、母さんだっていつかわかってくれるからですって!!? 死ぬまでわかってくれた事なかったじゃない!!!」
「…それは、か、母さんだって悪気はなかったんだ…」
「悪気がなければ、何を言っても良いと思っていらっしゃるのかしら!!??」
朝から繰り広げられる夫婦喧嘩を、呆然と見つめているフェリクスに、アンネマリーは何があったのかと訊ねた。
「…その、ランセル伯爵夫人も昨日泊まっただろう。それで朝、挨拶に来たんだけど。……その、少々刺激の強いドレスを着ていて、それに見惚れてたとか見惚れてないとかで喧嘩になって、何故かお祖母様の話で喧嘩に」
「うん、クライセン公爵が悪いな。悲しきは男の本能ですわ!!」
昨日会ったランセル伯爵夫人は、成人向けのお色気フェロモンがムンムンだったので、普通のドレスを着てもお子様はみてはいけない雰囲気があった。中身が成人済のアンネマリーだからこそ、耐えられたのである。
「男って最低…」
ボソリと、ミアが嫌悪感丸出しで吐き捨てる。
「お母様は着たい服を着ているだけじゃない。そっちが勝手に勘違いしてるだけなのに、本当に最低」
「まあまあ、男は幾つになっても純情下心ボーイなんですのよ。それをわかってない男が、ああなるのですわ!!! そこの鈍間! 良き教訓にしやがれですわああ!!!!」
アンネマリーが夫婦の修羅場を指差し、声高々に宣言した。
「まさにあれは、将来の鈍間とミアの姿ではなくてでして!? オホホホ、私とお義母さまどっちが大事なの状態ですわ!!! 私天才ですから知ってるんですの! 一度受けた屈辱は、絶対に忘れる事はないのでしてよ!!! 私のお母様も、お祖母様の墓石に向かって死ねクソババアって悪態吐いてましたわぁ!!!!」
それはどっちのお母様なのだろうと、ミアは思った。皇太子といっていたから、お母様は王妃になるわけで。王妃がそんな事するのか、それとも本来のアンネマリーの母の方がしたのか。どちらにしても嫌すぎる。
「フェリクス! 貴方もそこにいつまで立っているの! さっさと先程の質問に答えなさい!! 貴方、アンネマリーとの婚約中に、義妹のミアと二人きりで過ごしたというのは本当なの!!??」
「本当ですわ!!!」
アンネマリーが力強く答えると、クライセン公爵夫人の目がつりあがった。フェリクスと金切り声で名前を叫び、そうして手で顔を覆い泣き出してしまう。
「朝から情緒不安定過ぎですわ! 栄養バランス考えて食事を取るのが一番ですのに!! サシャがいれば、一口で健康になれる合法クッキーを作ってもらえたのに…」
それは本当に合法なのかと問いたかったが、修羅場の渦中に巻き込まれかけているミアは口を開けなかった。
「お、お母様、私は本気でミアの事を、あ、愛しているんです! アンネマリーからも提案がありました。どうか、婚約をミアと結ばせてほし…」
「そういう事を聞いているのではありません!! お前は!!! 何をしたのか!!! わかっているの!!!!」
椅子に座り込んだクライセン公爵夫人が、真っ赤な顔をして怒鳴った。
「お前の軽率な行動が!! ランセル伯爵夫人とミアの立場を悪くするとは、考えなかったの!!?」
「考えてないだろうな! だって鈍間だものですわ!!!」
激しく同意するアンネマリーの言葉に、フェリクスはどういう事ですかと母親に問うた。クライセン公爵夫人は深くため息を吐くと、悪いところばかり似てしまったと嘆いた。
「…未婚の娘が、婚約者のいる男と二人きりで会うだなんて事をしたら、ふしだらな娘と言われても仕方がないのよ。そんな評判の娘を、血筋を重んじる貴族の一体誰が嫁に貰おうというのです。碌な嫁ぎ先が見つからなくなるわ」
「で、でも、それならば私と結婚すれば…」
「まだわからないの? あのランセル伯爵夫人とその娘のミアなのよ。ただでさえ古き家柄の貴族から受け入れられていないというのに、悪評までついた娘が公爵家に入るだなんて、許されると思うのかしら」
クライセン公爵夫人の言葉の一つ一つが、ミアの心に突き刺さった。わかっている、わかっていた事なのに、やっぱり他人に言われるとどうしたって痛くて咽び泣きたくなる。
けれどもすかさず、アンネマリーが叫んだ。
「許されるに決まってますわ! 誰が許さなくともこの私が、許して差し上げますわよ!! オーッホッホッホッホッホ!!!! でも、ミアはそこの鈍間をフっているので、せいぜい頑張って口説くと良いですわ!!!!」
「私なりに真剣にミアとの事は考えているんだ!」
「プークスクスなのですわ! お前、自分で思っているより婚活市場の価値は低過ぎでしてよ!! こんな小煩い姑と空気な舅のいる家なんて、誰も嫁ぎたくねーでございましてよ!! 財産目当てにしたって、姑が目を光らせて、貴方には此方がお似合いよなんて言って、ど地味な趣味じゃねえのしか買わせて貰えないに決まってますわ!!!!」
なんでそう妙に具体的な内容なのだろうとフェリクスは思った。思ったがそれよりも、自分の母はそんなことしないとフェリクスは否定する。
だがアンネマリーはそんな事あると言い切った。
「公爵夫妻を見てやがれってんだですわ! 絶対に嫁いびりするに顔をしてますの!! 私の目は全てを見抜くんだぜなのでしてよ!!!」
「そんな事するわけないでしょう!! いい加減になさい!!!」
「えー、でも今、ミアの事を虐めやがったですわ」
アンネマリーの指摘に、クライセン公爵夫人はハッとして、そしてそれからミアに言った。
「……そんなつもりではなかったのだけど、そのように聞こえたのなら、私が悪いわ。貴方のお母様の事も、侮辱する意図はなかったのよ。…ごめんなさいね」
謝罪なんて口先だけだとミアは腹が立ったが、しかし公爵夫人の顔があまりにも真剣だった為、その怒りはすぐに消え失せてしまった。