俺様>>しゅくじょになる
伯爵令嬢アンネマリーの不幸は、八歳の誕生日に母親が死んだ事から始まった。
葬式の後、父は屋敷に帰って来る事が少なくなり、さらには娘であるアンネマリーをないものとして扱うようになった。なにせアンネマリーが父に声をかけても子供が仕事の邪魔をするなと言われ、話をする事などない。
母が生きていた頃のような、和やかな親子の会話など皆無であった。
そして九歳の時に、娼婦あがりの女を後妻に娶り、その女の連れ子を養女として引き取った。新しい義母に義妹が出来たアンネマリーだったが、あまりにも唐突な出来事で困惑し、そして平民だった親子とは価値観が違い過ぎて仲良く暮らせるわけもなく。
小さな溝は年を追うごとに大きくなっていき、もはや修復不可能な程の仲になってしまっていた。そうなると家族の内に味方のいないアンネマリーは、義母と義妹の二人から常日頃から心無い嫌味を言われ、お気に入りのドレスや小物、アクセサリー類まで奪われていた。
そしてそれを父親は見て見ぬ振り。
遂には使用人達ですらアンネマリーを軽視するようになった。泣き暮らす日々のアンネマリーにとって、唯一の救いであったのが婚約者の公爵子息であった。
フェリクス・クライセン。
政略的な結びつきとはいえ、月に一度の交流の為に屋敷に訪れるフェリクスとの語らいは、アンネマリーにとって何よりの心の支えであったというのに。
いつの間にか義妹がフェリクスと懇意になってしまったのだ。
それでも婚約者は自分だとアンネマリーは己に言い聞かせて、何とか心を落ち着かせようとしていたのだけれども。
遂に昨日。
アンネマリーは、フェリクスと義妹が愛を語らっている姿を目撃してしまったのだ。
十五歳のアンネマリーにとって、それはとてもショックな事だった。その日の夜に、衝動的に手首を切って自殺してしまう程には。
「こうしてアンネマリーは、辛い現実から逃げたのでした。めでたし、めでたしっていうわけか」
ベッドの上に寝そべったアンネマリーは、自室の引き出しから見付け出した日記を読みながら、呆れたように言い放った。
血の滲む手首におざなりに包帯を巻いている為、アンネマリーの見た目は痛々しい。にも関わらず、太々しい態度を崩さないアンネマリーは、彼女を知る者達からしたら、違和感しかないだろう。
まあ肉体がアンネマリーであるが、その中身は違うのだから、当たり前といえばそうである。
自死したアンネマリーの体に入り込んだのは、別の世界からこの世界に堕とされた罪人の魂であった。
神秘と魔法の王国トライアス。そこで許されざる罪を犯した為、名前を奪われた上での異世界送りの刑に処されたのである。
異世界送りとは処刑よりも厳しい罰だと言われている。魂を別世界へと追放するもので、二度と元の世界には戻ってくる事も、生まれ変わって戻る事も出来ぬもの。
そして何より、自身の罪と向き合う為に、罰を受けるのに 最適な人物への体へと魂が堕とされる。さらには様々な災難が降りかかるとまで言われているのだ。
しかも名前を奪われている為、魔法がまったく使えない。なにせ魔法を使うには名前は必要不可欠であるのだ。
大抵は己の無力に耐え切れず、悔いて自死すると言われているわけだが。
「俺様が超絶格好良い皇太子だった記憶はあるが、名前が思い出せない。くそ、陰険野郎共めが」
アンネマリーは悪態を吐くと、下着が見えるのも構わず胡座をかいた。
名前は思い出せないが、何をやってこうなったかは思い出せる。色々あって皇太子の座を弟に奪われ、異世界送りにされたのだ。
まったく、たかが成人の祝いの夜会にて、婚約者の公爵令嬢に対して婚約破棄を言い渡したくらいで、超絶格好良い素晴らしき自分を異世界送りにするだなんて、どうしようもない連中である。
ちゃんと側にいる義理の妹を虐めた罪を突き付けて、王妃に相応しくないと衆人に知れ渡るように言ってやったのだが。その場で泣き崩れた令嬢に寄りそったのは、弟である第二王子で。そして王の前で自分の悪行を逆に突き付けたのだ。
身に覚えのある出来事の数々に言い逃れなんてできないし、そもそも自覚と責任をもってして行動しているので、父親である王の冷めた反応に、なんて馬鹿なんだと逆に呆れ果てた。
まあそんなわけで、王は第二王子の言い分を受け入れた。
国費の横領、婚約者が居ながらその妹との密通、まともに政務を行わぬ皇太子に、誰もが不満を抱き嘆いており、傲慢で我儘、選民意識の高い酷い性格だと口々に言われ、王や王妃に見放されたのである。
しかも廃嫡だと言われたので、それに納得がいかず騒ぎ立てた結果、異世界送りにされたのだ。
まったくもって嘆かわしい。
誰も彼もが自分の言い分を愚かだと言って聞き入れず、第二王子や元婚約者が素晴らしいと褒め称えているのだ。
自分が王になる方がよっぽど、王国の未来は明るい筈なのにである。
まあもう異世界に送られてしまったものは仕方ない。精々、戻って来て欲しいと後悔するが良いと、アンネマリーはベッドの上で一人高笑いをした。
腰に手を当てて笑い尽くした後で、新生アンネマリーは己の体を見下ろした。
先程鏡で見たが、まあ顔立ちは整っている方だろう。ふわりとした癖の強い金髪に、大きな青い瞳。美少女の部類に入るであろうアンネマリーの容姿に、ひとまず満足した。
だが顔は良いとしても、不満はある。
「まったくどうせ女の体に堕とすなら、もう少しおっぱいがデカい娘が良かった」
アンネマリーの胸は、見事なほどに絶壁であった。
「…だめだな、ものの見事に膨らみがない。けしからん。これでは近衛のむさ苦しい男どもの胸の方がよっぽど膨らみがあったぞ」
本来のアンネマリーが聞いたら憤死するレベルの発言だが、彼女は死と共にその魂は安らげる場所へと召されているので問題はなかった。死者に鞭打つ発言かもしれないが、死んだら言葉なんて届かないので、やっぱり問題はなかった。
さめざめと、ため息を吐きながら己の胸を揉みしだく令嬢。
もし本来のアンネマリーの事を知っている人間がそれを見たら、卒倒間違いなしの光景であった。だが彼女の部屋に訪れる奇特な人物は居なかったので、その奇行は誰に知られる事もなかったわけだが。
ひとしきり胸を揉んで満足したアンネマリーは、部屋の中を見渡した。
アンネマリーが乗っている粗末なベッドに、机と椅子。それから殆ど物が入っていない備え付けの棚に、小さなクローゼットがあるだけだ。
「ふん、貧相な体の持ち主に相応しい、しみったれた部屋だな。使用人の部屋より酷いではないか。今までのアンネマリーなら満足出来たかもしれないが、常に一級品に囲まれて育った俺様には、相応しくないな」
クローゼットを開いてみても、洗いざらして擦り切れたボロ布のような服があるだけである。派手好きで、着飾りたい性格であったので、ますます我慢ならなかった。
「金がない家ならまだしも、あるのだからケチケチしないで、娘の服くらい買えば良いものを」
中の人が変わってしまったアンネマリーは、己の不遇に耐え忍ぶ令嬢ではなくなってしまったのだ。我儘で傲慢で俺様なお馬鹿王子と評判だった彼、否いまは彼女であるが、まあつまり今のアンネマリーには我慢するという言葉は存在しないのである。
「まずは部屋を変えよう。ふふん、この俺様にピッタリな豪華で立派な寝室に、移動するのだ! 行くぞお前達!!」
そう言ったところで、返事をする者はいない。
今迄のくせでつい呼んでしまったが、もう取り巻き兼友人達はそばにいないのだ。
バカ殿下なんて軽口を叩いてきたり、思い切り媚びてきたりと、愉快な連中だった。一緒にいてとても楽しかったのだが、あの愛すべき馬鹿な連中と遊べないのかと思うと、アンネマリーは少しばかり寂しくなってしまった。
しょんぼりと肩を落とすが、こうなった時に励ましてくれる声もない。
「俺様の一番の家来なら、次元の壁くらい越えてこいっていうんだ、……バカ」
悪態を吐いたところで、やっぱり答えてくれる声はない。膝を抱えて座り込んだアンネマリーだったが、すぐに立ち上がった。ウジウジとしているのは、性に合わないのだ。
それにあいつらならば今のアンネマリーを見て、美少女になるなんてさすが殿下とかいって大笑いしてきそうだと思った。
「ふむ、それなら再会した時に、俺様が超絶完璧な美少女令嬢になってれば、益々尊敬されそうだな」
俺様に出来ない事などないのだと、アンネマリーは再びベッドの上で高笑いをしたのであった。