ヴィルの調べもの
一般に公表されている事故の概要分は、ヴィルももうとっくの昔に知っている。しかしそれは、彼の本当に知りたいことの10分の1も教えてくれるものではなかった。
「…………ふう」
詰めていた息を吐きだし、ヴィルは深々と椅子に沈み込む。
そのままぼんやりとディスプレイを見詰めながらも、その眼には凄惨な事故のスチルも、説明も、何も映ってはいない……
その眼の裏に浮かんできたのは、彼の母親の、どこか悲しみを堪えた……ヴィルによく似た瞳だった。
――――
『事故』から2年経った11歳の春の日、アカデミーに進みたいと言い出した彼に、母――ルイーザは1枚の紙を息子に手渡した。
何度も何度も読み返したそれは、もうすでに一言一句違わず諳んじることが出来る。
紙に打ち出された日誌のようなもの……
冒頭にはある日付――父、ライネルが乗り込んでいた航宙艦が『事故』に遭遇した日の――が記されており、当時のヴィルにもそれが何であるのか容易に想像がついた。
『艦内標準時140253、民間船のSOS受信……わが艦はこれより救助に向かう……』
淡々と綴られていくその内容に、ヴィルは喉がからからに乾いていくのを感じた。
航行コンピューターが異常を訴え緊急停止した民間の船……そのSOSを受信したのがライネルの乗る高速巡洋艦だった。
場所はとある惑星状星雲のすぐ近く……直ぐに巡洋艦がそこに向かったが、到着したころには民間船は既に航行不能状態に陥っていた。
(詳しい場所については、座標が黒く塗り潰されていて判らないようになっていた)
ライフシステムも損傷を受けたのか、乗組員の半数近くが軽酸素状態に陥っており、意識を失っているものも数多くいた。
事態は急を要する――
すぐさまライネルを含む技術者数名と救助チームが乗り込み、重傷者を巡洋艦へと搬送する傍ら、機能を停止した航行システムの復旧を試みた。
しかし、航行システムはほぼ致命的に近いダメージを受けており、簡単には復旧できそうにない。しかも、メインコンピューターそのものがダメージを負っていることが判り、そのためにライフシステムもその機能の殆どが停止してしまっていた。
航行システムが完全に沈黙したために、ランダムドライブ(クラッシュドライブとも呼ばれる)が起きなかったのはある意味不幸中の幸いだったかもしれない。
しかし、それでも楽観視できる要素にはなりえなかった。
民間船は非常に大きく、巡洋艦一隻では全ての乗員を収容しきれないのだ。
現状を把握した彼らは短い討議の末に増援を要請することを決め、その間、可能な限り巡洋艦に民間船の乗員を移すと同時にライフシステムの復旧に尽力することにした。
全ての行動は可能な限り速やかに行われた。
しかし……それでも間に合わなかった……
急激な磁場と重力場の変動――それが突如として2隻の船を襲う。
『“勧告”により、艦は重力圏外へ緊急離脱を行う』
その淡々と綴られた文字が目に飛び込んできた時、身体中の血が一気に遡るのをヴィルは感じた。
それは取りも直さず、民間船を「置き去りに」していく決断に他ならなかったのだ。
そこに残っている人々を全て……
そこには、ヴィルの父、ライネルもいたのだ……
幼いヴィルは、真っ白になった頭のまま父の部屋へと飛び込んでいった。
「お父さん!」
息荒く飛び込んできた息子を、ライネルは見えない眼で静かに迎え入れた。
「どうした、ヴィル?」
「お父さん……お父さん……っ!」
荒い息のまま、ヴィルは倒れ込むようにライネルの膝元へと身を投げ出し、その膝に両手を付く。いつの間にか溢れ出していた涙がライネルの膝を濡らした。
「…………ヴィル?」
ひくっひくっとしゃくり上げるばかりで言葉が出ない息子に、ライネルは再度静かに呼びかける。
ヴィルは詰まる喉から、やっと言葉を絞り出した。
「お父、さんっ……お父さん、は、置き、去りにされた、の……?」
途切れ途切れに、しかしはっきりと投げかけられた疑問。
ライネルはすぐにその意味を理解した。
「そうか、あの時の事を……」
「……なんで? 何でお父さんの船はお父さんたちを見捨てたの?」
言葉が足らなくても、言いたいことは解る。ライネルはそっと溜息を吐き、そのまま言葉を紡いだ。
「ヴィル……あの時はね……もうあれしか打つ手はなかったんだ」
そうしなければ、最悪、巡洋艦の方にも甚大な被害が出ていたかもしれない。
それこそ、どちらも助からない可能性が大きかったのだ。
「……私達は誰もが最善を尽くした」
ライネルも、巡洋艦のクルーも、民間船の乗組員も……
「でも、それ以上に……宇宙は過酷だったんだよ……それだけなんだ」
「そ……それだけ……って……」
あまりに淡々と紡がれた言葉に、ヴィルは口にすべき音を失った。
顔を上げると、見えないはずの父親の眼が、正面からヴィルを捉えていた。
「でも……」
その口元に優しい笑みが浮かぶ。
「私達はね、ヴィル……私達は誰一人諦めなかったよ……私達は何としても生き延びるつもりだった」
その手が上がり、ヴィルの頬を伝い、頭の上に乗せられる。
「今は、こうして生きて、お前と話ができる……それだけで私は幸せなんだよ」
その言葉ですべて納得したわけではない……しかしヴィルはそれ以上言葉に出来ず、頭を撫で続ける父親の手のぬくもりにそっと瞼を閉じるしかなかった……
――――
「…………」
ヴィルには1つ疑問がある。
それは、母、ルイーザの事だ。
なぜ彼女はあの時、あの日誌を彼に見せたのだろうか……?
アカデミーに進みたいと言う息子を、思い止まらせたいがために……?
それとも別の意図があって……?
その真意をヴィルはとうとう聞かずじまいでいる。
そのうち判るだろうか?
或いは聞かせて貰えるだろうか……?
「……………ふう」
いつの間にか溜まってしまっていた息をすべて吐き出すように大きく息を吐く。
「……あ、やっと見つけた、ヴィル!」
唐突に耳に入ってきた明るい声にハッと物思いから醒めて、ヴィルは声のした方に眼を向けた。
閲覧室の入り口からニコニコとした顔でやってくる一人の青年……
医療衛生を専攻する学生、イオ・オライオンだ。
イオはヴィルのすぐそばまで寄ると、少し幼さが残るそばかす顔を目一杯破顔させて胸を撫で下ろした。
「良かった……探してたんだよ」
「ああ……」
ディスプレイをそっと閉じながら、ヴィルはにっこりと笑みを返してから首を傾げる。
「そう言えばアレンが言ってたっけ……僕に何か?」
「アレンとはすぐそこで会ったよ。そこで聞いたんだ……って言うかそんなことより……ヴィル、前にさ、放射能や磁場が人体にもたらす影響とか興味あるって言ってじゃないか?」
「えっ……?」
唐突に本題を切り出され少し戸惑いながらも、ヴィルは何とか返事を返す。
「あ、ああ……」
確かに、何かの講義の折にそのような話を彼とした覚えはあった。
ヴィルの眼が無意識のうちにスッと細められる。
「何か……分かったのかい?」
「うん、参考になりそうなものがあったから……ほら、これ」
イオはそう言いながら、手に握りしめていた小さなデータチップを差し出す。
「見てもらえば判ると思うけど、例の最終課程のファルの中にあったやつでね…...」
「……今日みんなでダウンロードしてたやつ?」
「うん、そう。その中の医療日誌……今から12年前の」
12年前……
その数字に、ヴィルの心臓がギクリと音をたてた。
否が応でも父親の事が想起される。
しかしそれを表面には出さずに、ヴィルは差し出されたチップをイオから受け取った。
「わざわざありがとう」
ともすれば声が喉に張り付きそうなのを辛うじて誤魔化しながら礼を言う。
しかし、イオの眼を欺くことは出来なかった。
「……大丈夫なの? 顔色悪いよ?」
流石は衛生士、と言ったところか……
ずばりと指摘され、ヴィルは思わず唇をかんで黙り込む。その様子を注意深く見つめながら、イオはさらに言葉を続けた。
「そんなに慌てて見る必要無いと思うから、今日はもう休んだ方が良いんじゃない?」
「………………」
「だいぶ根を詰めてるみたいだし……ヴィルって時々そうあるもんね」
チラリとイオの視線がディスプレイに流され、すぐに逸らされる。
恐らく他に言いたい事もあっただろうが、それを敢えて口にせずにイオは人好きのする笑顔を見せた。
「手伝えることが有るなら言ってくれていいから……そのデータの内容の事でも何でも。差支えない範囲でいいからさ」
「…………似たようなこと、アレンにも言われたよ」
溜息と共に苦笑を漏らし、ヴィルは端末の電源を落とした。それを確認して、イオもまたこっそりと安堵の息を漏らす。
「実際顔色悪いもの。誰が見たって心配するよ」
本当は他に言いたいことは山ほどある。しかし今は敢えて口にはしない。
「……イオから言われると二の句が継げないな」
「継いでも無駄だと思うけど? あいにくこの件に関しては僕の方が圧倒的に味方は多いからね」
「かもしれない、じゃなくて?」
「うん、何ならユーリやレイルにも報告上げてもいいけど?」
「…………それって告げ口、って言わないか?」
「ヴィルからすればそうなるかも?」
「……イオ?」
じっとりと睨まれたイオは、しかしかえって楽しげに笑い声をあげる。
「はははっ、冗談だよ!」
「…………半分、でしょ?」
尚も暫くジト目で睨み付けていたヴィルも、ついに根負けしたようにくすっと笑い声をあげた。
「そうだな……今日はもうここらへんで切り上げるよ」
言いながら弾き出されていたデータチップを取り出す。
「考えてみれば荷物もまだそのままだし」
「あ、それ、僕もだった」
立ち上がって歩き始めたヴィルに追随するように、イオもまた閲覧室の出口へと向かって歩を進めた。
「って言っても、そんなに荷物ないんだけどね」
おどけたように言って見せるイオに、ヴィルは同意するように頷く。
「確かにね……でも、みんな似たようなものじゃないかな?」
「言えてる……嵩張るのって着替えくらいだしね」
軽口をたたき合いながら廊下に出ると、既に照明はほの暗く抑えられていた。
学園標準時間で、今はもう21時を過ぎている。
「……片付けは明日にしようかな」
暗くなった廊下に、ぼそりとイオは独り言ちるとヴィルに向かって軽く手を上げた。
「じゃあ、お休み~」
「ああ、お休み」
ヴィルとは反対方向に歩き去っていく小柄な背中をしばし見つめ、
「……僕も……明日にしようかな」
同じように呟くと、ヴィルもまた部屋の方へと足を向けた。
何となく文体が昔と変わってしまっているような……?
おかしいときには手直しします。
今回もよろしくお願いします。