プロローグ ~ 第一章 ヴィルフォード・オリガ
宇宙に咲く花……人の一生よりも長く、暗い空間に咲き誇る。或いは目に見え、或いは見えず……劇的に、或いはゆっくりと姿を変えながら新たなる種を撒き散らし、やがてその暗がりへと還って行く。
神秘と、言うべきなのだろうか……それとも、哀しい、と言うべきなのだろうか……
だが、どう人が思いを馳せようと、それは、星の一生の終わりの、ほんの一コマに過ぎない。それだけの事と言ってしまうなら、それこそが、一番寂しい……
ここに、宇宙に魅せられた青年の手記が有る。ヴィルフォード・W・オリガの手記……ユニバーサル・アカデミーの最終課題である実践航宙……その1年半の間に彼が書き綴った日記のようなものである。この手記に従って、今から、宇宙のフロンティア時代を駆け抜けた学生たちの話をしよう。
本題に入る前に、いくつか話しておかなければならない。
まずはユニバーサル・アカデミー……地球の衛星軌道上を回る巨大な学園都市だ。そこでは15歳くらいからの少年、少女たちが寝食を共にしている。4年間、主に航宙の技術を学び、船や宇宙の総合的、かつ、基礎的な事を学ぶ。その後、民間の会社に就職するか、軍の士官学校に進むか、より専門的な方面に進むか、それぞれに進路を決める。勿論、アカデミーにはさらに上のコースが用意されている……が、それは単なる『エスカレーター方式』を意味しない。
今は『セカンド・フロンティア』の時代。有能な航宙士の存在は貴重である。4年の課程を経た彼らは、既に充分な実力を有している。上に進むか、別の道を行くか……その進路の決定は彼ら自身の手に委ねられている。
さて、ここで、ヴィルフォードのエピソードを一つ……
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××月××日
……いよいよ最終面談の日が明日に迫った。今は船内時間でもうすぐ22時になろうとしている。しかし眠気は一向に訪れそうにない。言いしれない興奮と緊張が全身を包み込んでいるような、そんな感じがして、どうにも落ち着かない。こんな気分でいるのはおそらく僕だけではないだろう。面談に臨む学生たちの大半が、似た様な思いの中で今を過ごしているに違いない。ある意味で僕達の一生を大きく左右する、それほどまでに明日は特別な日なのだ。
(ヴィルフォードの手記より)
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「ヴィル……ヴィル……おい起きろッ、朝だぞ」
「……ん~」
揺さぶられて、ヴィルが嫌々眼を開けると、少し浅黒い細面な顔が覗き込んでいるのが見える。
「? ユー……リ……?」
ヴィルは寝ぼけ眼で起き上がり、盛大な欠伸をした。
「あ……なに、もう朝?」
ユリアス・マイノールは何も答えず、少し長めの黒い髪を払いながら、自分の腕時計をヴィルに向かって指し示す。
「……………?」
しばらくそれをぼんやりと眺めていたヴィルの顔が急激に青褪めた。
慌ててベッドから飛び降りる。
「うそ!? もうこんな時間!?」
「目が、覚めたか?」
さしたる感情も見せずに淡々とした口調でユーリが尋ねる――その声も半分にヴィルは洗面所に駆け込んだ。
顔を洗い、歯を磨き、着慣れた制服に着替える。
その鮮やかな手際を見つめるユーリの瞳に、どこか面白がるような悪戯っぽい光が浮かんでいた。
「まーた昨日晩くまで起きてたんだろ」
「まあ、ちょっとね。面白い本が有ったものだから」
「いつもそれだな……まぁ、いいけど。今日は遅刻したらシャレにならないぞ」
「解ってるよ……すまない、待たせた」
そう言ったヴィルは、もうすっかり普段の顔つきになっていた。
幼さが少しだけ残る大きな金茶の瞳はもうすっかり目を覚ましているようだ。さっきまで寝癖で奔放に撥ねていた薄茶の髪もきちんと整えられている。
鈍色の飾り気のない上下のスペーススーツはぴったりと肌に馴染み、足元は最上級生の証である黒いブーツに包まれている。ベルトと前合わせのファスナーラインも同じ色だ。
同じものを着ているにもかかわらず、ヴィルが着ると妙に細身に見える……
見慣れているとは言え、もう少し肉が欲しいところだ……
そんな感想を抱きながら、頭一つ分低い友人のその姿を眺めるともなく眺めつつ……
「じゃあ、朝飯食いに行こう」
あっさりとそう言って、ユーリはさっさと部屋を出ていった。
「おい、朝飯ってそんな暇……」
言いながら部屋の時計に眼を走らせて、ヴィルは一瞬我が目を疑う。時間にはまだ、かなりの余裕が…………
「おい、お前の時計……!」
ちらりと振り返ったユーリの瞳の色に、ヴィルははたと気付いた。
まんまとユーリに一杯食わされたのだ。
「何だよ、まだ時間あるじゃないか!」
「……で?」
「……で? じゃなくって……お前なあ……」
思わず脱力するヴィルにお構いなしに、ユーリは先を歩いていく……が、すぐに振り返った。普段は鋭くすら見える青灰色の瞳が悪戯っぽく笑っている。
「早く行かないと、食堂一杯になっちまうぞ」
「うう~~~」
ジャケットを引っ掴みながらも結局何も言えず、ヴィルは唸るばかりだった。
食堂には既にかなりの人間が来ていた。しかし、空いている席はまだ多い。二人はカウンターで各々好みのものをトレイに揃えると、速やかに席に着く。
そして、ヴィルはある事に気が付いた。
周りで食事を摂っているのは、殆どが黄色、赤、緑と言った下級生で占められているのだ。
それを横目にコーヒーに口を付けながら、ヴィルは一つの事を思い出していた。
「なあ、今日、僕達の集合時間って……」
パンを千切りながら、ユーリが眼だけをこちらに向ける。そして表情も変えずに、
「ああ、何だ、まだ寝ぼけてるのか?」
「いや……そうだったな。今日は特別な日なんだよな」
特別な日……それは確かに『特別』な日だった。
彼らの進路の最終決定の日。
今日の集合時間はいつもよりも遅い。彼ら最上級生を待ち受けているのはたった15分かそこらの面談……そこで彼らは、自らの選んだ道を教官たちに示さなければならない。
これまで既に何度ともなく繰り返されてきた面談の中で、彼らは様々な指摘を受け、可能性を示されてきた。
しかし、最終的な決定は彼ら自身の手に委ねられる……それが今日と言う日なのだ。
ヴィルの表情に陰りが差す。ユーリはただ黙ってそれを見ていた。
友人に未だ迷いがある事をユーリは知っている……その迷いの内容も。しかしヴィルはそれを口にしない。たとえ親友と呼べる者に対しても……それもよく解っている。
その迷いは、決して珍しいものでも、選択が困難なものでもない。傍から見れば贅沢とさえいえる迷い……
ヴィルは軍の士官学校への入学を勧められていた。それも半ば強引と思えるほどに。毎日のように届く勧誘のメールは、もう殆ど脅迫と言って良いほどだった。
しかしヴィルの望みは別の所にある。
「…………」
物思いに耽りながら黄色いオムレツをつつくヴィルを、ユーリは何も言わずに、ただパンを咀嚼しながら眺めていた。
元々何でも生真面目に取り組むのはヴィルの長所ではあるのだが……
(たまには肩の力を抜いてもいいだろうに……)
まあ、今はそれも難しい相談だと言う事は、ユーリにも判っている。
ユーリはこっそりと溜息を吐くと、別に持ってきていたソーセージをヴィルのプレートに放り込んだ。
「…………! な、何?」
いきなり視界に飛び込んできたソーセージに驚いて顔を上げたヴィルに、投げ込んだ犯人は飄々とした笑みを浮かべる。
「ま、食えよ」
「食え、っていきなり……」
眼を白黒させるヴィル。
ユーリはオレンジジュースに口を付けながら、さらりと嘯く。
「お前、もっと肉付けた方が良いからな……アレンも心配してたぞ」
「…………アレン、って…………一緒にされたら困るよ」
保安部の教官お気に入りの同級生の顔が浮かび、思わず苦笑いが出てしまう。ユーリと張る背丈の上に、鍛えられた身体つき……
「アレンからすれば、ユーリだって絶対細いって言うと思うよ」
「俺はいいさ。お前よりましだから」
さらりと返され、ヴィルは笑う。
少し胸の中が軽くなったような気がして、背筋が少し伸びた。
「……ありがとう」
心配してくれているのは重々承知している。それでも黙って見守っていてくれる親友に、ヴィルは感謝の言葉を口にした。
ユーリはフッと一つ笑うと、肩を竦める。
「別に、いいさ……ほら、ちゃんと食えよ。冷めるぞ」
「これでも食べてるつもりなんだけど……別の方向に大きくなりそうだよ」
「別にいいんじゃないか? それで」
「それでいいわけないじゃん!?」
ユーリの無責任ともとれる発言に突っ込みを入れつつ、ヴィルは笑ってソーセージにフォークを刺した。
食事を済ませると、二人は居住エリアと学園エリアを結ぶエレベーターに乗り込んだ。
ユニバーサル・アカデミーは、円盤状の居住エリアとその上にリング状の学園エリアが重なる二層構造になっている。さらにその上には教官たちのエリアがあり、逆の最下層には航宙船の発着エリアがいくつものドッグを下に向かって突き出している。
そのアカデミー全体を、上から下まで一本の巨大な柱が貫き、その周りを5基づつ、8組のエレベータが取り囲んでいる。
透明な強化材で作られたそれは、誰が言い出したのか、『天空のエレベーター』などと呼ばれていた。
乗り込めば、そのあだ名の通りすぐ目の前に広がる星の海――――
その途中、眼下に青い星を見る。大きな弧を描く海と大地……そしてうっすらと包み込むヴェールのような大気。
それはまるで惑星そのものが発するオーラのようでもある。
その向こうに太陽が見える。それは地球のすぐそばで奇妙に間延びして見えた。しばらくすればその形も元に戻り、太陽は暗い宇宙空間で一際明るく輝く1個の恒星になる。
もうすっかり見慣れてしまった光景。2人は言葉も交わさず、それを眺め続けていた。
短い宇宙飛行は急に終わりを告げ、学園エリアに到着する。エレベーターを降りて今度は徒歩で上の階へ。目指すのは学園エリアの3階に位置する第1集会室。やはり早く来過ぎたのか、広い部屋には誰もいなかった。
「ありがとう、ユーリ……早く起こしてくれて……」
ヴィルがポツリと言う。ユーリはそれに対して何も答えず、ただ、
「どうするか、決めたのか?」
とだけ言った。
ヴィルは顔を上げるとニッコリと頷いた。
「おかげでね。考えも纏まったよ」
「それは良かったな」
二人は窓際に寄ると、宇宙に眼を向けた。
刺すように冷たい光の点……ここから見る星は、揺らめきもしなければ瞬きもしない。その奥を覗き込んでしまうと、自分の足元が覚束なくなるかのような、そんな錯覚に囚われそうになる。
ユーリは足元に横たわる地球に眼を向けた。大陸と海、そして雲が不思議なくらいに滑らかな弧を描いている。暖かく安らぎに満ちた姿……『母なる星』と言う表現が、少しの違和感も無く思い起こされる。
「なあ、ユーリ、覚えているか……入学した時の事」
その声にユーリが視線をやると、ヴィルは真っ直ぐ宇宙を見据えたままだった。
ユーリはちょっと肩を竦めると視線を室内に移す。
椅子も机もない、がらんとした室内……外に向かう面だけが巨大なパノラマのように巨大な窓で占められている以外には何一つ特徴は無い。
しかし、二人の眼には、まだ初々しかった自分達と多くの学生の姿が重なって視えていたに違いない。
「……あの時もここに集められたな」
「あの時は少し心細かったよ……なんだか自分が独りきりになってしまった様な感じがしてさ……」
そう言いながらも、ヴィルの口元には小さな笑みが浮かぶ。
それを見下ろすユーリの眼は優しい。
「俺も同じだったさ」
「お前がぁ?」
全然信じていない口調で、疑わしそうにヴィルが横目でユーリを見上げる。
「ナイーブなんだよ」
「ウソだね……」
飄々と嘯くユーリに、ヴィルは決めつけておいて笑いながら、
「ポーカーフェイスで言われても説得力無いよ」
「……ポーカーフェイス、ね」
ユーリが苦笑を漏らす。
ヴィルは笑いを収めると、再び窓の外へと視線を移した。
「冗談だよ……でもあの時、ユーリは堂々として見えたよ」
「背が高かったからだろう?」
「それもあったけどね……でも誰よりも落ち着いて見えたよ。ちょっと取っ付き難そうな感じがするくらい……」
「そうだったか? だがお前だってかなり落ち着いていたと思うぞ」
「僕がぁ? まさか」
ヴィルの金茶の眼がユーリに向けられ再び笑う。ユーリはその中に過去の幻影を見た。
挑むような少年の瞳……
初めて目の当たりにした宇宙の広さに皆が圧倒される中、ヴィルだけが、ただ一人昂然と顔を上げ、そのずっと果てを見据えていた。
吸い込まれるかのようなその闇を全身で感じ取ろうとするかのように……
唇を引き結び、決して眼を逸らそうとはしなかった。
決して大柄ではない、寧ろ華奢にさえ見える身体つきなのに、ユーリの眼にはその時のヴィルが誰よりも大きく、力強く見えた。
ユーリはまるで魅せられたかのように、その姿から眼を離せずにいた……
その眼の光は形を変えて、今もヴィルの中に生き続けている。
それを何と表現したら良いのかは分からないけれども……
視線に気付き、ヴィルはちらりとユーリを見る。しかしその眼はまたすぐに宇宙に向けられた。
その唇が微かに動く。
「……広いよな、宇宙って……なんだか自分の小ささを思い知らされるようだよ」
相槌を求めるでもなく、独り言のように呟く。
しばらく二人の間に沈黙が落ちた。
「……お前、誰かに何か言われていたのか?」
唐突に、ユーリが切り出した。
ヴィルは尚もしばらく黙っていたが、やがて一つ溜息を吐いた。
「……士官学校に入れ、って強く勧める人がいてね。その人に言われたんだ……民間の会社に入るより、そっちの方が有意義だ、って」
「だが、お前の希望はそのどちらでもないんだろう? それは話したのか?」
「ああ……そしたら怒られたよ……」
ヴィルは苦笑しながら蟀谷を掻いた。その仕草からかなり辟易していたことが覗える。
「お前には使命感は無いのか……それでも本当に父親の血を引いているのか……だって」
「父親……?」
「軍の将校までいったんだ。でもある事故で大怪我してね……軍を退役して、今は静かに暮らしているよ」
それはユーリにとって初耳だった。
ヴィルは何故か父親の事を殆ど口にすることが無く、ユーリもまた自分の事を殊更話す方でもなかったから知るチャンスも無かったというのもある。
しかし、だからと言って無理に聞こうとは思わない。ユーリはそれ以上深く聞くこともせず、話を続けた。
「その親父さんは、何と言ってるんだ?」
「何も言わない……昔からそうだったんだ」
そう言って首を振るヴィルの眼に、一瞬寂しい影が浮かんで消えた。
「幼い頃はろくに顔を見ることも無かった。でも、いつも帰ってくれば宇宙や航海の話を僕達にしてくれたよ……宇宙の広大さ、神秘、そしてその怖さ……」
「怖さ……?」
「……直接言ってたわけじゃないけどね」
そう言うヴィルの眼が、どこか遠くを見つめる。
「昔……たった一度だけど、ものすごく固く抱き締められたことが有った……包帯だらけの腕に……」
その時、母親は泣いていた……笑いながら、泣いていた……
その頃はまだ幼かった。だからその時の父親の抱擁の意味も、母親の涙の理由も解らなかった。
……随分と後になって知った。
父親が任務中に事故に遭い、生死の境を彷徨ったことを……そして彼はその眼の光と引き換えに、九死に一生を得たのだ……
もう、その瞳が子供たちの姿を映す事は二度と無い……
「…………宇宙に咲く花」
考えに沈みながら、ヴィルは呟くように続ける。ユーリは何も言わず、ただ、静かな視線をヴィルに注ぐ。
「宇宙の神秘……とても綺麗で、危険な仇花……」
呟く声はますます小さくなり、ヴィルの瞳が何も映さなくなっていく……
ユーリは徐にその肩に手を置くと、ぐっとその手に力を込めた。
その力に、ハッと目が覚めたようにユーリを見上げるヴィル。
「あ……ごめん、また頭がトんでたみたいだ……」
ちょっと恥ずかしそうに頭を掻く。その瞳はもう虚空を見つめてはいない。
ユーリは手を離すと黙って首を振った。
そのユーリに感謝するように笑みを向けて、ヴィルは続ける。
「僕はこの目でいつか確かめたいんだ……父さんたちの見た宇宙に咲く花を……この目で、直に……」
「……だから軍には入らないのか」
「今はまだ考えてないよ……その前にもっとやりたいことが有るからね。それからでも良いだろうし、僕には厄介な『癖』もあるから……」
「『遊離』の事か……」
疑問形ではないユーリの言葉にヴィルは微かに苦笑する。
……ごくたまに、ヴィルは自分の実在感を喪失してしまう。
自分が自分ではないような……まるで傍から他人のように自分を見つめているかのような感覚……ひどい時には眩暈を誘発する事まである。
精神が肉体に違和感を感じ、まるで離れてしまっているかのような感覚……それを彼らは『遊離』と呼ぶ。しかしヴィルはその言葉を好まず、『頭がトぶ』と言う表現を使っていた。
「まあ、病気じゃないから、いいんだけどね」
そう言って肩を竦めてみせるヴィルに、ユーリは苦笑しながら気にするな、と言ったようにその肩を叩いた。
その2人の耳にざわめきが戻ってくる。
いつの間にか集会室には多くのクラスメートが入ってきていた。もうあらかた集まっているようだ。
聞こえてくる会話はやはり進路のことが殆どだ。その中でも士官学校への道を希望する者は多い。彼らを待ち受けているのは厳しい試験と熾烈な競争だ。
しかし、彼らは既に一度狭き門をくぐってきている。そしてさらに過酷な4年間を勝ち残ってきた。その自信が彼らの顔に滲み出ている。
事実、アカデミー出身者の殆ど全員が軍の士官学校の試験に合格していく。余程の事が無い限り落ちる事は無いのだ。
「ハァイ、ヴィル、ユーリ……随分早かったみたいだな」
声を掛けられ振り向くと人混みの中から寄って来る者が有った。明るく輝くライトブルーの瞳の青年が人懐っこい笑顔を二人に向けている。
その青年に向かってユーリが軽く笑って手を挙げた。そして少しおどけた口調で、
「ハイ、レイル……ちょっと早くに眼が覚めてな。ヴィルを道連れにしてやったんだ」
「……道連れ?」
それを受けて、ヴィルが大げさに眉を顰めてみせる。
「そうなんだ。人が折角気持ち良く寝てたのに、わざわざ騙し討ちしてくれてさ」
「大層な言い草だな。寝過ごさないようにと思って親切で起こしてやったのに」
「だからってあんな起こし方は無いだろう?」
ヴィルが噛み付くのを飄々と躱すユーリ……レイルは呆れた顔でそのじゃれ合いを見ていたが、やがて溜息を吐くと、
「騙し討ちって……何したんだよ」
「別に大したことはしていない。穏便に、普通に起こしてやっただけだ」
「どこが普通だよ……こっちは本気で焦ったんだぞ」
「何度も悪いが……何されたんだ、ヴィル?」
再度促されたヴィルは、むっつりとした顔でユーリの腕を掴むと、その腕時計をレイルの方に突き出した。表示は明らかに一時間先を示している。
それを覗き込んだレイルの顔が更に呆れた。
「何だ、随分進んでいるけど……まさかこいつを?」
「人を叩き起こしておいて、いきなりこれを見せたんだ」
「……なるほど、確かにこれは殆ど脅迫だな」
レイルは完全に呆れ果ててそう呟いた。
しかし、同時にレイルにはもう一つ解っている事がある……
ユーリは決して意味も無くこういった悪戯はしない、と言う事だ。
レイルは苦笑しながら肩を竦めた。
理由を問うたところで、ユーリはまともには答えてくれまい。
「ま、悪戯も大概にしとけよ……ところでいよいよ今日だな」
「ああ」
どちらからともなく相槌が返ってくる。
ユーリは今一つ表情の読めない顔で腕時計の時間を元に戻し、ヴィルは少し複雑な笑顔を見せている。レイルは同じような笑みを返すと視線を逸らして部屋の中を見渡した。
「やっぱり、話題は進路の事ばかりだな……まあ、無理も無いか。何せ一生を左右する事だし、生半可な気持ちじゃ臨めないし」
「まるで他人事みたいな言い草だな」
時計を合わせ終わったユーリが顔を上げる。
「他人事じゃないけどさ……でも、あまり切羽詰まってもいないかもしれないな」
そう言ってレイルは軽やかに笑って見せる。
「でも、そう言うお前たちだって妙に落ち着いてるじゃないか」
「そうでもないよ。これでも真剣に考えてたんだ。落ち着いてはいられないよ」
「……そう言う何でも真剣な所がお前らしいよ、ヴィル」
どう言う意味なのかなんとも判断しようのない口調で言ってから、もう一度レイルは笑った。そして口元に笑みを浮かべたままクラスメートたちを見つめる。
その眼はどこか感慨深げで優しかった。
「今日が終われば、もうこのクラスは解散するんだな……」
レイルの言葉に、二人もまた同じような視線を仲間たちに注いだ。
幾度ともなく行われてきた実践航宙を共に乗り越えてきた仲間……厳しい訓練に一緒になって立ち向かっていった仲間たち……
「みんなバラバラになって行くんだな……」
呟くレイルにヴィルは暖かい目を向けると、
「それでも、僕達が仲間だった事実は消えないよ」
その言葉にレイルはホッとしたかのような溜息を吐くと、
「そうだな。それにみんながみんなバラバラになって行くわけじゃないし……」
そう言って大きく伸びをした。
「ま、ちょっと感傷的な気分に浸ってみるのも良いかもしれないな、って思ってさ」
と、ちょっとおどけて肩を竦めてみせる。
「そう言う問題か?」
ユーリがからかう様な口調で混ぜっ返すのにも、涼やかな表情で、
「そう言う問題だ……っと、そろそろだな」
入り口にいる教官が、生徒の名前を読み上げている。
「レイル・キーリング」
教官の声にレイルはよく通る声で返事をすると、入り口に向かって歩き出した。
「じゃあな」
「幸運を」
どちらからともなく言われた言葉にレイルは振り向くと、
「ああ……運が巡り合せたら、また明日」
そう意味深な笑みを残して去って行った。
その背中を見送りながらヴィルがポツリと呟いた。
「なあ、ユーリ……レイルの志望って……」
「ああ、確か進学のはずだ」
「もしかして知っていたのかな、僕達の志望……僕はあんまり話した記憶ないんだけど」
ユーリはどうか知らないが……
ヴィルは迷いもあった分、殆ど誰にも自分の進路を話していない。
そのことについては、ユーリは慎重に沈黙を保った。
こういった情報は案外筒抜けになるものだ。特にヴィルの場合、実践航宙でリーダーを務めるほどの頭脳と実力の持ち主だという事から、その進路に興味を持つ者は大勢いた。士官学校に進もうとする者にとっては、なおさら気になる所だっただろう。
だが当のヴィルフォードはあまりそれに答えることなく――答えることができなかったと言った方が正しい――その為に正確な情報を知る者は居なかった。
ただ、ユーリは傍に居たために、そしてレイルは同じ岐路に立っていたが故に、その葛藤を感じていた。
それをわざわざ本人に告げるつもりも、ユーリには毛頭なかったのだが。
数人の学生たちが入り口に集まっている。教官は名簿を見ながら時々顔を上げて何かを喋っている。緊張した雰囲気が学生たちの背中に漂っていた。
ヴィル達はしばらくその光景を眺めていたが、やがてユーリが呟くように言った。
「結局、自分の事は自分で決めるしかないからな……心が決まったならば、それを止める権利は誰にも無い……」
「ああ……」
だから僕も、僕の思う通りに進むつもりだ……たとえ臆病者と罵られようとも……
声に出さない言葉を飲み込んだヴィルの口元には、はっきりとした笑みが浮かんでいた。
面談が始まった。
最終面談は数日に渡って行われ、今日が最終日、ヴィル達のクラスの番だった。
5つ設けられた会場に学生たちが入って行く。それは次から次へと入れ替わって行った。
ヴィルの順番が回って来るのにさほどの時間は掛からなかった。
「ヴィルフォード・オリガ……第2面接室へ」
名前を呼ばれ、ヴィルはユーリに軽く手を挙げて会場へ向かう。ユーリもまた無言で手を振り、その後ろ姿を見送った。
廊下を隔てて向かいにあるドアの前で、ヴィルは一度大きく深呼吸する。
飾り気のないドアは妙に威圧的だ。
ヴィルは唇を軽く噛むと、意を決したように一歩踏み出した。
軽い音を立ててドアが開く。
飾り気も色も殆ど無い室内に簡易椅子が一つ。それを半ば取り囲むように設えられた半円状の机には数人の教官が座っていた。
それぞれの前には煌々と光るパネル。あれには恐らく今、ヴィルのデータが映し出されているのだろう。
ヴィルの手に知らず知らずのうちに汗が握りこまれていた。
「……どうぞ、座って」
真ん中の席に座っているライトブラウンの髪色をした教官が、柔らかい声で促す。名前はラウド・リンクス……まだ若いがアカデミーのシニアの教鞭も取っている。
ヴィルは短く返事をすると向かいに置かれた椅子に腰かけた。
「……君の進路希望は、変わっていないのだね」
ちらりとディスプレイに眼を落とし、後は真っ直ぐにヴィルの方に薄茶の瞳を向けてラウドが問う。余計な社交辞令など一切ない。
ヴィルは緊張に口の中が乾くのを覚えながら、一言「はい」と返事をした。
「どうしても士官学校には興味が持てないかね?」
別の壮年の教官が問う。
保安部の担当教官らしい、炯炯とした青い瞳でヴィルを見据えながら、しかし声は穏やかに先を続ける。
「再三言ってきたが、君の目の前にはまだ多くの道が用意されているのだよ。そのどれもが将来を約束されるようなものばかりだ」
「それでも……」
半ばその瞳に気圧されそうになりながらも、ヴィルははっきりとした口調で答える。
「私は……もっとここで学びたいのです」
「……我々だって君の意思を尊重しない訳ではないよ」
微笑を絶やさないままラウドが静かに口を開く。そのまま他の教官たちと軽く視線を合わせ頷くと、ラウドは先を続けた。
「もう、全てを話すけれども……」
真っ直ぐにヴィルに視線を合わせ、ゆっくりと切り出す。
「実は、軍から強い要請が有ったんだよ……君と、他数名の生徒を士官学校に進ませるように、とね……軍としては優秀な人材が一人でも多く欲しい所なんだ……特に航宙技術に長けた者がね。君も知っていると思うが、アカデミー出身者は全員が既に極めてレベルの高い技術を持っている。その中でも成績上位者は短期間で実務に投入できるし、事実、そう言った人間はたくさんいる……」
そこで一旦言葉を切り、ラウドは少しばかり苦く笑う。
「勿論、最終的には君自身が決める事だし、強制もしたくない……だから聞かせてくれないだろうか……君は何故進学を希望しているんだね?」
「私の父は軍人でした……」
真摯な瞳で見つめてくるラウドに、真剣な瞳で見つめ返しながらヴィルは切り出した。
「任務中の『事故』での怪我がもとで退役しました……」
「『事故』……?」
「とある惑星状星雲の近辺での任務中の事故だったと聞いています……」
「惑星状星雲……」
繰り返すように口の中で呟いたラウドの表情が心なしか強張る。
「君はその事故の事を……?」
「詳しくは知りません……父は詳しい事は話してはくれませんでしたから……ただ、一度だけ、父が私に話してくれたのが、『宇宙に咲く花』の事でした」
「『宇宙に咲く花』?」
「多分、惑星状星雲の事を指していると思います……」
淡々とヴィルは続ける。
その時父親はヴィルにこう語って聞かせた。
宇宙に咲く花はとても美しいが、同時に危険なものだ……宇宙にはそのような危険がそこかしこにある……だがな、ヴィル……本当に危険なのは我々の無知なのだよ……
その時、見えない眼で父親が何を見つめていたのか、ヴィルには知る由も無かった。
ただ、その時からその言葉がヴィルの心に住み着いている……
「……だから私は、同じ宇宙に出るのなら、もっと色んな事を知ってから出たいのです」
そしていつか必ずこの眼で……望遠鏡から覗く、静かな過去のものではない、今この瞬間にも劇的に変化するその花をこの眼で直に見る……
何故このような感情が湧くのか、自分でも判らない。
「例えば宇宙の事をここで学んだとして……」
ラウドが感情を消したような声で呟く。
「それが或いは役に立つものばかりではないかも知れないよ。実践が伴わなければただの知識に成り下がってしまうかも知れない」
それは最終試験だった。ラウドはそれだけ言うと沈黙し、ヴィルをじっと見つめる。
しかし、ヴィルは即座に首を振った。
「どれが本当に必要な知識なのか、私には判りません……でも、本当に無駄な知識と言うものはあるのでしょうか……?」
この4年間、ヴィルは何度も無知の為せる危険を目の当たりにしてきた。そしてどのような知識でも、知っている事と知らない事の間に大きな開きがあることも身を以て感じてきたのだ。
「……私は、本当に無駄な知識と言うものは無いと思います」
その知識が有用かどうか、それが問題ではない。
いかに引き出し、使いこなすか……それが本当に大事な事なのだ。
少なくとも、ヴィルはこの4年間でそれを身を以て知ってきた、そう思っている。
迷い無く言い切ったヴィルの瞳をしばし見つめ……
ラウドはフッ、と笑った。
合格だ……
彼は良い航宙士になるかもしれない……
ラウドは姿勢を正すと、おもむろに口を開いた。
「我々は君に宇宙の全てを正確に教える事は出来ない……だが我々はそれを知る術を、知っている限り君に君に伝える事は出来るだろう……」
「我々はまさに、君のような人間を待っているのだよ」
学者風の高齢の教官が言葉を引き継ぐ。
ヴィルの眼が大きく見開かれた。
「では……」
「君の選んだ道だ……胸を張って進むと良い」
笑みを浮かべて一つ頷くと、ラウドは宣言するように声を上げた。
「ヴィルフォード・オリガ……明日、10:00に第5集会室へ……以上!」
ヴィルは立ち上がると直立の姿勢を取り、
「ありがとうございました!」
一礼するとその部屋を後にした。
読みにくいようであれば、少し行間を変えます。
スタートなので、切りの良いところまで。
過去編と言ったところです。
よろしくお願いいたします!