010:澱んだ世界
数日後、流悟は大学構内で伊藤に出くわした。あの晩以来の再会で、なぜか体を強張らせ警戒心が露わになっていた。違和感を感じる流悟。
「どうしたの」
「なにが」
「・・・。あの後、清水先輩となんかあったか」
「なんもねーよ」
食い気味に大声をだす伊藤。胸の前で腕を組み足を大股に広げた。不安からくる威圧行動。つま先はそっぽを向き逃避行動をとっている。
「やっちゃったか」
その途端、顔は朱に染まり、汗をかきだす。
素早く辺りに視線を彷徨わせ、今のセリフを誰にも聞かれなかったことに安堵した様子の伊藤。
お持ち帰りしたことにかなりの罪悪感を感じているようだ。
「やめろよな」
そして愛想笑いを浮かべた。何とか誤魔化してやり過ごそうという意図が読み取れる。
その時、視界の隅を清水が横切ってゆくのが見えた。大声で呼びかけ手を振りながら駆け寄る流悟。清水は駆け寄ってくる流悟、そしてその背後に佇む伊藤を見て警戒行動をとった。
笑顔で挨拶し、授業の話を振りながら腰を抱き寄せる流悟。ビクッと身を強張らせるのもお構いなしに、紳士的な態度で有無を言わせずテラスの空いている席まで彼女を誘導した。流悟に促され、おっかなびっくり席に着く伊藤。
さて・・・
二人はフリーズ状態で、互いに視線が合わないようにしていた。
「ねえ清水先輩、伊藤のこと嫌い?」
「え?」
いきなり直球がきて面食らう清水。二人とも目を見開き瞳孔が収縮した。
「酔った勢いでのこととはいえ、嫌いな奴とはそういうことしないと思うんだけど」
ただの欺瞞だ。MDMAでラリっていたのだ、誰だってWell Comeだったろうし誰とやろうと絶頂に達したはずである。
しかし流悟は、あえて酔っぱらっていたということにした。
清水がどこまで事態を把握していたのか注意深く反応を観察しながら言葉を交わしてゆく。ドラッグをキメたという自覚はあるらしいが、故意に知らないふりをする清水に、流悟もあえてそこに触れることはしなかった。清水に共感の態度を示していると、やがて彼女もリラックスした。
「典和もけっこう酔っぱらってたもんな」
伊藤に話をふると、緊張からか、彼はつっかえつっかえ言葉をつむいだ。
場の空気を和ませようと陽気に振る舞い、二人とやり取りしているうちに、流悟は清水のマイクロジェスチャーに違和感を感じた。
何か変だ・・・
「ひょっとして、俺なんか勘違いしてる? 清水先輩は送り狼した典和を軽蔑してるのかと思ったんだけど」
「え?! そんなことないよ」
「へ?!」
伊藤の声が裏返る。口角が上がり喜び行動をとった。
「私はてっきり、伊藤君が私のこと尻軽女と思って嫌悪してるのかと思って」
「ないないない、そんなことあるわけないじゃん」
「だって、朝起きたら妙によそよそしいし、あれから私のこと避けてる感じだったから」
「そんなことない。俺の方こそ、ただ介抱するだけのつもりだったのに・・・あんなことしちゃって・・・」
視線をかわし、見つめ合う二人。お互いの誤解も解けて何だかいい雰囲気になってきた。これからは幽霊部員になることを二人に約束させると、後は若い二人に任せることにした流悟。
へたにサークルへ行って、米山にまたクラブへ連れていかれたら大変だ。
構内を吹き抜けてゆく風が心地よかった。
◇◆◇◆◇
同時刻、万屋を営む道摩紗杜美は、大学の構内でドラックの売買がおこなわれているのを目撃してしまった。
大学の生協に荷物を届け終わって駐車場へ戻る途中のことだった。一人の男子学生が数人の学生たち相手にドラッグの売買をしていた。
「おいおい、あぶねーことしてんな都築」
「こわーい」
「ちょまてって。今どきファッションの一部だからね、ドラッグって。クラブ通ってるやつらみんなやってるからね」
そんな声が聞こえてくる。
「最近のコはぶっ飛んでんねぇ~」
クスクスと笑いながら、懐から取り出した護符に瞑昂を込めた。焔鴉へと変化したそれは、学生たちへ強襲をかけるとドラッグを燃やし尽くして消えた。
突然の出来事に大騒ぎする学生たち。その様子を物陰から眺めながら愉快そうにクックッと笑う紗杜美。
そして懐から今度は紙形を取り出すと、瞑昂を込めて式神:影鼬を召喚し、都築と呼ばれていた売人学生を尾行させた。バレないようにその場を離れ、駐車場を目指す。
道摩紗杜美、三姉妹の次女にして陰陽師:芦屋道満の子孫である。ご先祖様の残した秘術により、その身にA級聖獣である虹準(火属性)を宿している。
基本的に聖獣は『地・水・火・風』の四属性のうち、どれか一つの属性を持っている。そして聖獣の力を使役する者は、その属性が持つ特殊能力をも使うことが出来た。
すなわち
地:錬金術 アルケミスト
水:催眠術 マインドコントローラー
火:念力 サイコキネシス
風:千里眼 フォーチュナー
である。
紗杜美にとっては、重たい荷物を運ぶ時に重宝する能力だった。
本当は、ご先祖様が残したS級聖獣を使役したかったのだが、戦後のどさくさに紛れて何者かが八体のS級聖獣を丸ごとどこかしらへと持ち去ってしまった為に、A級聖獣を使役するに至っている。
駐車場に着いた紗杜美は社用車であるミニバンに乗り込むと、クルマを発進させて大学を出た。式神を追って都心へと向かう。
都築は六本木ミッドタウンの周辺にある、建物が入り組んだ路地裏へと入って行き、ブランド物の黒服で決めた金髪オールバック男と合流した。
そこで2~3話し合ったかとおもうと、黒服にボコボコに殴られた。たぶん、ドラックをダメにしてしまった事への制裁だろう。
紗杜美は空蝉の術を使って式神に意識を同調させると、話し声が聞き取れる距離までそっと近づいた。黒服の高圧的な声が聞こえてくる。
「俺様がもう少しでグレードFOURにランクアップ出来るんだからよう。しっかりしてくれよな、マジで」
「スイマセン、大輔さん」
「おう。テメエ今度なめた真似しやがったら死ぬぞ、マジで。いいか、綺麗目の女に重点的に売りつけろ。このZは2~3度キめればもう虜だ。しかもタコ(多幸感)、マジパネェし眠る必要がなくなるんだ、不眠不休で体売らせてドンドン稼がせて、俺に上納金収めるんだよ。OK?」
「ハイ!! わかりました」
「お前には期待してんだからよ都築」
「アリガトウゴザイマス」
「グレードTHREEに上がれりゃ、サバトに参加して、はれて夜の眷属の仲間入りだ。しっかり俺の為に働けよな」
「ハイッ」
高笑いをしながら去っていく黒服を、殴られて顔を腫らした都築が、憎しみのこもった眼で見送った。
紗杜美は黒服の後を追う。Zなるドラッグの出所を探るために。 都築は放っておいても大丈夫だろう。