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事件簿2 元・転校生と「外し」、現る!

 今日も澄み渡った碧空が美しい。

 なのに、なのに、なのに。

 なぜ僕は荷物持ちと化しているのだろう。

 なぜ僕は昨日転校してきたやつに、しかも女子に、しかも自称・死神(なのに正義の味方)に、しかも最強にかわいいくせに最強にワガママなやつに荷物を強制的に持たされないといけないのだろう。

 学校の校門のほぼまん前で、僕はため息をついた。

 そのとたん、

「遅いぞ、まぐれ!だからお前はまぐれなんだっ」

 どういう意味だ、それは。

「お前とか、いわれる筋合いはないんだけどな」

 あえて丁寧に、冷静に言ってみた。むやみやたらと騒ぐより、冷静に簡潔に、要点だけを突く。たいていの人は黙る。そして、もう話し掛けてこなくなる。僕の身につけた数ある世渡り術の中でも特に使える一つだ。

「じゃあ、あんた、さっさと歩けっ」

「分かったからそれを突きつけるのはやめよう。朝から生命の危険を感じたくないから」

「それ、じゃない。血月鎌だ。ち・げ・っ・か」

「どーでもいいよ、そんなこと」

 通用しなかった。人間じゃない。確かに人間じゃないらしいけど。

 月宮炬。狩乃より手ごわい。

「役に立たん手下め。まぐれのくせに」

「だから、名前で呼ぶのはやめよう」

 僕が14年間、親以外には呼ばせてこなかった名前。誰も呼ばないのに、こいつはいともたやすく口に出すのだ。

 ちくしょう。ちくしょう。むかつく。

 こんなはずじゃなかったのに。ため息をついたとき、ちょうど校門をくぐった。

 校門の横から、それぞれ桜の木が並んでいる。青空に淡いピンクが映えて美しい。

 その散りゆく桜の花びらを、前を歩くカガリは、右手の血月鎌を回転させてどんどん真っ二つにしていく。鼻歌を歌いながら。

 相当なスピードである。それを片腕一本で軽々とこなしている。

 要するにあの巨大鎌――カガリに言わせて血月鎌は、ハリボテではないらしい。

「つっ、月宮さん?荷物を持たせるくらいなら、むしろその鎌を持たせた方が効率的では?」

 なんでこんな遠慮した口調になっているんだろう。つくづく自分が嫌になった。

 カガリは意外と不思議そうな表情をして振り返った。

 藍色の髪が翻り、風になびく。桜の匂いに混じって、かすかに不思議な匂いがする。いい匂いだ。問い掛けるような藍色の瞳がなんとも言えない。心を奪われそうになり、はっと我に帰る。

「いや、持ちたいならいいんだけど――」

 重いよ?と言うカガリは、血月鎌を片手で軽々と肩にかけている。説得力ゼロだ。

 そしてそれを軽く一回転させ、何の前触れもなく僕に放り投げた。

 両手に荷物を抱えた僕はまごついた。

「あ、ちょっと待って。いやホントマジで――」

 でもハリボテだった場合、そうでもないかもしれないと思った瞬間、血月鎌は恐ろしい勢いで僕にぶつかった。とんでもない重さだった、それは。

 両手開いてないのに、お相撲さんに突きを食らったような、いやそのままのしかかられたような感じ、といえばいいのだろうか。

 とにかく僕は吹っ飛び、倒れた。朝からなんなんだ。

「だから言ったのに〜。逝くって」

「いや、何上手いこといってんの」

 カガリはすたすたとこちらへ歩いてきて、凶器を実に軽々と片手で持ち上げた。

「これ普通の人間が持ったら重さで死んじゃうぞ?特にまぐれみたいなさー、もうまぐれまぐれしたやつが持ったらぽっくり」

「いや、どういう意味だよ!じゃあアンタが持ってること自体おかしいでしょ!」

「だからぁ。あたしは、死神だっつーの」

 

 



 ちくしょー。朝からテンションがもう地面突き破って地球突き抜けたんじゃね?ってぐらい下がった僕は、とぼとぼと教室に入った。

 そして、ある異変に気付いた。

 ……空気が、おかしい。

 今までわいわいがやがやと陽気に騒いでいたクラスが、僕らが入った瞬間しらけた。

 だがそれも一瞬だったので、カガリは気付かなかったらしい。

 でも僕には分かる。みんな何事もなかったかのようにしゃべっているが、どことなくよそよそしい。空気が冷たい。

 かたんと音がして、シャープペンが落ちた。ちょうどカガリの足元だった。

「おい、まぐれ」

「え?」

「この場合どうする。1.お前が拾う。2.お前が拾う。さあどちら」

「いや、どっちも同じだろ!つーかアンタが拾えよ!」

「たりーよ」

「いや、アンタ正義の味方なんじゃ?」

「正義の味方はこんなたるいことはしません!」

「最低だよ、この正義の味方!どんだけ矛盾してんだよ!」

 へいへい分かったよ、とカガリは身をかがめてそれを拾い、持ち主である女子生徒の机に置いた。

 女子生徒は、そのシャーペンをとろうともしない。

「うっえー」

「うわぁ、美和ちゃん、それ穢れたんじゃない?」

「触らないで欲しかったなぁー」

 取り巻きのグループと一緒に、悪意たっぷりの視線をカガリに投げた。周囲からどっと笑い声が起こった。

 これは……いわゆる「外し」だ。

 よくやるのだ。有力女子グループが。

 カガリは転校生だし、昨日からもう何かと目立ちまくってたし、ちょうどいい標的だ。

 動機は明らかだ。その女子グループの女子達の彼氏が、授業中も休み時間も、ぼーっと一方向を眺めている。――カガリを。

 何よあの生意気な転校生ちょっと調子に乗っちゃって彼氏を横取りなんて最低よ卑怯じゃないどうしてくれるのよクソッ泥棒猫めが。といった感じだろう。

 この「外し」、去年もあった。そしてやられた転校生の子は、一週間後は不登校になった。

 カガリはどうするのだろう。

 ああ見えて結構デリケートなのかもしれない。

 こういう人ほど心の中では傷ついて――

「あぁん!?」

 いなかった。

「てめ、このカガリ様が拾ってやったのに、何だその態度」

 えええ!?

 カガリは「うっえー」という言葉を発した女子生徒の胸倉をつかみ、軽々と宙に吊り上げていた。

 女子生徒は早くも頭に血が上ってしまい、顔が青くなっている。

「きゃああああーっ!」

「み、美和ちゃん!」

「月宮さん、離しなさいよ!」

「暴力なんて最低よ!!」

 女子生徒のブーイングが一瞬遅れて襲い掛かってきたが、カガリはものともしない。

「謝れコラ」

「あなたが謝りなさいよ!」

 そーよそーよと騒ぐ女子達。関係ないとさりげなく逃げる男子達。どうすることも出来ずに固まる僕。

 その時、こういうときだけ救いの主、先生が入ってきた。

 窓からの陽光に頭が煌く。今日もてっかてかだ。

「騒がしいぞ、お前達。少したるんで――」



 下校時、僕はげんなりしていた。

 一日中降り注ぐ女子達の敵意の視線、それにいちいち対抗するカガリの視線。

 そして何度か殴りかかろうとするカガリを必死になって後ろから止める僕。

 もうぐったりだ。

「まぐれ、こーなったらお前、お前にも修行させる時がきた」

「はい?」

「死神修行でお前もあたしみたいに最強に――なれないけど、せめて普通の死神レベルになってこの学校を破壊」

「やめてェェェ!」

 いや、これ以上僕を引きずり込まないでェェェ!

 カガリが靴箱のところで立ち止まった。

「あれ?」

「どしたの、月宮さん」

「いや、それやめよう?」

「え?」

「その月宮さん、ってのしっくりこないんだよなぁー」

「じゃあなんて呼べばいいんスか?」

 何でこんな手下口調になってるんだ、僕は?

「カガリ様」

「やだよ」

「じゃ、カガリ殿」

「何でだよ」

 要するに下の名前で呼んで欲しいと。女子の名前を下で呼ぶなんて、小3以来かもしれない。照れるな、と思った矢先、

「いや、それはまあおいといて。あんた、あたしの靴に何の恨みがあるの?」

「は?いや、ないでしょ」

「だって、ないもん」

「え!?」

 大問題だ。犯人はわからなくもない――というか一目瞭然なのに、なぜカガリは僕を疑う!?

「どこにあんだよ、あたしの靴!」

「しらねーよ!」

「白状しろ!」

「いや、僕じゃないって!ねえ聞いて――」

 首をしめられて壁に押し付けられても、というか拷問されても、はけない物ははけない。だって僕じゃない。動機はありすぎるけど、僕はそんな陰湿なことはしない。

 何とかしてこの誤解を解かないと、僕死んじゃうんじゃね?

 そんなことをチラッと頭に思い浮かべた。

「あの――」

 カガリも僕も声のした方を見る。

「あ、姫宮さん」

 同じクラスの姫宮雫だった。

 背が低くておどおどしている。白い肌なのはカガリと同じだ。でもちょっと俯き気味で、茶色い大きな瞳が自信なさげに潤んでいる。

 薄茶のふわふわの髪をあごより少し下の位置で切り揃え、横の髪だけを高めの位置で二つに結んでいる。髪を残して結ぶのは流行りだが、ちょっと違う。

 この子はあまりしゃべらない。元転校生、というのもあり、いつも自信なさげにおどおどしているため、地味な方だった。同じクラスということを今思い出した。

「わ、私、月宮さんの靴がどこにあるか知ってる」

 声が低いが、かわいいことに変わりない。もしカガリが百合なら、雫はタンポポだ。

「てめーが隠し――」

「なわけないでしょーが!」

 びくっとして下がった雫に、僕はおずおずと笑いかけた。――冷や汗を浮かべて。

「あの、姫宮さん。……教えてくれる?」

 かすかに頬を桜色に染め、姫宮雫はたっと身を翻して駆け出した。

 カガリもすぐに後を追う。急激に手を離されたせいで、僕は宙吊り状態から一気に解放され、思い切り床に尻餅をつき、壁に頭を打ち付けた。

 目の前を回る色とりどりの星は気にせず、喉をさすって咳をし、僕も何とか二人の後を追った。



 学校指定のスニーカー――カガリの場合、転校生だからまだピカピカだ。僕らは三年使いつづけたから、たいていの人はもう薄汚れ、白というよりクリーム色や、茶色混じりといった感じになっている。

 しかし、目の前にあるスニーカーは、とても昨日転校してきた人のスニーカーとは思えない。

 掃除で草や、たまに泥を捨てる場所に、カガリの靴はあった。というより、埋められていた。

 当然ドロドロ、そして草が入って台無しだ。履かれるようなシロモノじゃない。そして、踏まれたように靴はベッコベコだった。ちょっとやそっと踏んづけたようじゃ、こうはならない。

 明らかに憎しみを持って、わざとやったものだ。持ち主を傷つける為に。精神的にダメージを与えるために。

 泥で汚れきったこげ茶の靴は、あちこちが引き裂かれている。傷がいくつも斜めに走り、痛々しい。

 ここまで人は、人を憎く思えるのだろうか。

 僕は横たわる悲惨な靴を目の当たりにし、言葉をなくしていた。

「……」

 前にいるカガリは、何も言わない。カガリの横にいる雫は俯いている。

「……ごめんなさい」

 雫を僕は見た。雫の目は葉から落ちる朝露のようだった。今にも泣きそうだ。

「私、見てたの。クラスの女子が4人、月宮さんの靴を持っていくのを。思わず後を追ったら……」

 雫の頬を涙が伝う。一滴、二滴。目はどんどん涙に溢れていく。僕は何もいえなかった。

「……止めればよかった。やめてって、言えばよかった。でも……怖かった……」

 そこで僕ははっとした。

 姫宮雫は、二年の時ほとんど学校に来なかった。雫は二年のときの転校してきた。

 彼女も「外し」を受けたのだ。明るい茶色――栗色の髪と目のせいだ。雫の存在感がどんどん一週間の間薄れていき、その後ふっつり消えてしまった。そうだ。僕は同じクラスだった。

 忘れていた……「かわいそう」とは思ったけど、それっきりだった。

 僕には関係ない。かかわりあいになるのは面倒くさい。

 その思いで僕は、傍観していた。いや、傍観することすらしなかった。

 しかもその事実を、忘れていた――。

 カガリは何も言わない。雫は顔を手でおさえ、泣いている。丸めた小さな背中が哀しい。見ていて辛い。

 僕は何も言えない。言う資格なんてない。

 桜の花びらが、泥と草の中を駆け抜けた。



 翌朝、カガリは真っ黒なブーツを履いてきた。

 先が丸くなっている。ふくらはぎの途中まで、革のブーツの長さはあった。足首のところにベルトが巻いてある。フックは渋い金だ。

 当然、浮いた。周りの白い目を、カガリは気付いていないと思いたい。

 荷物を二つ持った僕は、前を行くカガリを窺った。

 いつもの伸ばした背筋は、相変わらず凛としている。折れない強さが分かる。

 そのカガリが、いきなり前を向いたまま言葉を発した。

「死神公認ブーツ」

「は。……へ?」

「これだよ。うまい・早い・安い」

「え?何か違くね?」

 カガリはそこでこちらを振り返り、ニヤリと笑った。好戦的な藍色の目が輝く。

「軽い・丈夫・攻撃しやすい。戦闘にはもってこい」

 えええええええーーーーっ!?



 教室に入った瞬間、何かが飛んできた。

 とっさに目をつぶったが、僕はこわごわ目を開けた。

 カガリは動じない。左手を開いた。

「ゴムじゃん、これ」

 茶色のヘアーゴムが二つ、カガリの手のひらに納まっている。

「ごめんなさーい、月宮さん!」

 出た。

 例の女子グループが、高らかに笑って手を振っている。

 昨日のことなんて何も知らない眼をしている。

 醜い――

 この子達は男子と仲のよいグループだ。それなりにかわいいのだ。もてている。

 でも、ぼくはこいつらが醜いと思った。

 悪意に満ち溢れた顔。傲慢な目。カガリの目とは違う。傲慢のレベルが、格が違う。

「遊んでたら手がすべっちゃってー。わざとじゃないのよー、ごめんなさーい!」

「謝ったんだから、許してくれるわよね。わざとじゃないし、こっちだって誠意を持って謝ってるじゃない」

 くすくす笑いが広がった。その声にぞっとした。

 楽しんでやがる。

 昨日の雫を思い出した。彼女の涙を、彼女の小さな背中を思い出した。

 許せない。許さない。

 僕は一歩前にでた。こんなことをしたのは初めてだ。事なかれ主義だった僕。でも僕は今、正義とかそんなんじゃなくて、本能で動いている。拳を握り、口を開いた。息を吸い込む。

 しかし、カガリに阻まれた。いや、カガリの行動に阻まれた。

「あっ、ごっめーん、手が滑ったぁ!」

 下手だけど堂々とした口真似。

 頭上高く血月鎌を片手で振り上げ、三回回す。一回は脅すようにゆっくりと、二回はすばやく。

 そしてそれを、そのまま卑劣な醜い生き物達にぶん投げた。

 血月鎌はとんでもない速さで回転し、彼女達の座っている机に直撃した。座っている人たちは全員、頭から床に放り出された。

 きゃああああと、甲高い悲鳴が辺りに満ちる。

 初めて僕は、その悲鳴を心地よいと感じだ。爽快だ。滑稽だ。

「お前ら、何回言ったら分かるんだ。朝は三年生らしく――」

 ミスターてかりん、磯崎先生のお出ましで、その場は納まった。

 長い長い説教の間、悠々と席に着いた僕らに、いやカガリに、グループリーダー、美和は宣言した。

「覚えてなさいよ、月宮炬」

 宣戦布告。額が真っ赤だ。

 僕はふき出しそうになるのを必死にこらえ、三列向こうの雫をちらりとみた。

 今日は髪を下ろしている。栗色の髪の毛が風にかすかに揺れる。

 雫はうつむいていた。何かをこらえているように見えた。



 体育の準備体操の一環・ジョギング――みんなやる気ないけれど。

 ちょうど目の前を雫が走っていた。一生懸命だと言うことは分かる。背中が揺れている。髪もわさわさと左右に揺れている。でも遅い。

 追い抜こうとした。みんなそう思ったらしく、一気に雫を追い越していく。

 僕がすぐそばに迫った瞬間、雫が倒れた。不自然な倒れ方だった。前のめりに倒れている。

「ひっ、姫宮さん!」

 大丈夫?と声をかけると、雫は前を手で払いながら立ち上がった。膝から出血している。手もいくつか切れて血が出ている。

 雫はきっぱりと、小さな声で言った。

「大丈夫」

 決然とのろのろ走り出す。前にもましてスピードが遅い。右足をかすかに引きずっている。雫の荒々しい息遣いが聞こえてくる。

 僕は唇を噛み、一瞬ためらってから雫を追い越した。そこで初めて気付いた。

 美和達がこちらをみている。笑っている。

 彼女達はやる気がなさそうだったので、やはり遅い。

 僕は彼女達に目もくれず追い越した。刹那、後ろではっきりと声が聞こえた。

「だっさ」

「どんくさ」

「ちょっと足を出しただけで、まさか本当に引っかかるとはね」

 生まれて初めて僕は殺意というものを覚えた。

 振り返った瞬間、集合のホイッスルがなった。



 50m走のタイム測定が終わり、僕らは更衣室へと戻る。僕が出てきたとき、更衣室前の廊下にカガリと雫がいた。ありえない組み合わせだ。二人とも僕がいることに気付いていない、多分。

「……あのゴム、私のだったの……」

 朝の飛んできたゴム。そのことだとぴんと気付いた。奴らはきっと、雫が僕たちに言ったということに気付いたのだろう。もしくは昨日のやり取りを聞いていたのだろう。

「髪の毛を結びなおそうと思ってほどいて、机の上に置いたら……」

 あいつらがばっと取っていったのだろう。なんとつくづく、醜い奴らなのだ。

 僕達のせいで、雫まで巻き込んでしまった。でも雫がいなければ、靴は見つからなかった。雫の勇気のお陰なのだ。雫は僕なんかと違って、ずっとずっと強い。ずっとずっと勇気がある。

 小さな雫と背の高いカガリ。それが余計に雫を小さく、弱く見せている。でも雫は弱くなんかない。

 泣きそうな雫に、カガリは左手を差し出した。

「これ使えば?」

 ゴムが二つ。カガリの髪を留めているものと同じ、赤くて玉が二つついている。思いっきり校則違反だが、雫はそれを気にしたようには見えなかった。

「いいの?月宮さんの大切なものじゃない?」

「これ、スペア。いくらでもあるから」

 カガリはスカートのポケットに手をつっこむと、大量の赤いゴムを取り出した。

「ちょ……えええええええ!?」

 思わず声を出してツッコんでしまった僕をカガリは無視した。雫はちょっとこちらをみると、すぐカガリに視線を戻した。

「……ありがとう」

 雫はカガリの手からゴムを受け取り、手首にはめた。

「あたし、名字で呼ばれるの嫌いなんだ」

 雫はカガリを不思議な目で見つめた。

「死神界にいたころは、名前で呼ばれるのが普通だったからさ。慣れないんだ」

 またそういった変な話を出す!

 雫は二回瞬きをすると、にっこり笑った。笑った方が、雫はかわいい。ふと思った。

「分かった。私のことも雫でいいよ。よろしく、カガリ」

 遠くの方で、授業開始のチャイムが鳴り響いた。



 下校時、僕はカガリの荷物を再び持たされ、靴箱へ向かった。

「姫宮さん、そのゴム校則違反じゃない?」

 不意に声が聞こえ、僕らは足を止める。

 壁際には怯えた顔をした雫がいた。周りを美和達四人に囲まれている。

「校則違反のものは、没収よねー」

「私、生活部だった。ちょうどいいわ」

「ちょっと成績いいからって、調子乗っちゃってさー」

「先生も注意しないし。贔屓だよねー」

 笑い声が耳に響く。僕は振り払うように頭を振った。

「ねえ、注意されてるんだから取りなさいよ」

「シカトしてんじゃないわよ」

「取ってあげれば?どんくさすぎて、腕が上に上がらないのよ」

 雫包囲網が縮まる。笑い声がいっそう、陰鬱なものに変わる。雫は壁際に身を寄せた。

「あたしが取ってあげる」

 カガリが突如前へ進み出た。その場にいた全員が息を止めた。

 どうしてだ、カガリ!僕は叫びたかった。君は正義の味方じゃないのか!

 薄笑いのまま凍りついた女子達へ近づき、カガリは雫の方に手を伸ばした。

 そして、雫のカバンを奪い取った。

 雫はカガリを霧がかかったような目で見た。カガリは一顧だにせず、カバンを投げつけた。

 反射的に、飛んで来たカバンを僕がキャッチした。荷物が三つ、さすがに重い。

「カバンは真呉が持つ、ってのが決まりなの」

 は!?

 女子達も唖然としている。

 静まり返った空気の中、カガリは雫に言った。

「帰ろう、雫」

 藍色の髪と栗色の髪が、靴箱を出て行く。

 慌てて僕は後を追った。



 翌朝の教室は、いたたまれない空気となっていた。

 カガリが教室に入った瞬間、待っていましたとばかりに美和達が立ち上がった。

「みんな、聞いて!」

 教室が静まる。興味本位、いやいやながら、楽しむように。ともかく全員がこっちを見た。

「月宮さん、転校生のくせにさ、『いじめ』やってんだよー」

「どう思う?」

 教室がざわついた。カガリはいつものように黙っている。雫は席についたまま、張りつめた目でこっちを見ていた。

「高崎君を荷物もちにして、手下扱いしてさ、かわいそうよね!」

 え!?

 そういえばなー、と言う声が教室に渦巻いた。

「それも高崎君、名前で呼ばれるの嫌がってるのに、わざと呼んでるんだよ!」

「サイテーよねぇ!!」

 ざわざわと教室が、壊れたラジオをつけたような状態になる。

 僕は口を開き、また閉じた。

 僕はどう思っているのだろう。

 カガリのせいで、僕の平和な日常は確かにメチャクチャになった。事なかれ主義で目立つのがいやだった僕は、今ちょうど正反対の立場となっている。

 転校生、しかも女子に荷物を持たされてことあるごとにパシリにされ、屈辱を感じないと言えばそうでもない。

 でも――

「そうよね、高崎君!いやよね、月宮さんに付きまとわれてさ!」

 僕は――

「ね、そうよね!」

 違う。

 僕は四日目にして、すでにこの非日常をどこか楽しんでいた。

 望んでいた。心のどこかで、この繰り返しばかりの日常を、退屈なだけの、見せ掛けの日常を終わらせてほしいと願っていた。

 僕はカガリに感謝するべきなのかもしれない。

 ぶっきらぼうで、傲慢で。

 そんなカガリが嫌いじゃない。むしろ――

「高崎君、きっと月宮さんに後でなんかされるのが怖いから何もいえないのね!」

「かわいそうに、そこまで痛めつけられて」

「不登校になったり、自殺したりしたら、月宮さんどうやって責任とるの?」

「高崎君の気持ちも考えなさいよ!」

 カガリは振り返って僕を見た。

 いつものことだ。ただその目は、そうなの?と問い掛けているように見えた。

 決然と、僕はカガリを見た。そして首を振った。

 それだけでもう十分だった。

 カガリが前を向いたその時、美和が進み出た。

「生活部として、この行為を許すわけにはいかないわ!」

 残りの三人も勝ち誇ったように前に出る。

「転校生のくせに、この学校の規則を公然と破る!つーかナメてる!」

「転校生のくせに、いじめを行う!」

「転校生のくせに、暴力行為を働く!みんなをナメてる!」

 転校生のくせに。雫が唇をかむのが見えた。

 教室中がしんとなった。こわごわと成り行きを見ている。

「だから、あたしがみんなを代表して制裁を加える」

 美和の顔はひときわ醜く輝いていた。

「この学校からあんたを追放する!」

 教室中が息をのむのが聞こえた。美和の気迫で、また静まり返る。

 やめとけ。かかわりあいになるとまずいぜ。

 めんどくさい。

 そんな声が聞こえてくるような気がした。

「出て行きなさいよ!」 

 美和はカガリの机を蹴った。ガンとすさまじい音を響かせ、机が倒れる。

 中の物がどっと床に撒き散らされた。

 いすも残りの三人が蹴り倒し、空いたままのドアへ蹴って放り出す。

「あんたなんか、この学校に必要ないのよ!」

「風紀を乱して、邪魔なのよ!」

 汚い罵声の言葉。

 形だけの正義。

 そして、教室の諦めの空気。

 もう耐えられなかった。

「やめてよ!」

 その場の全員が動きを止めた。

 視線が一気に一点へ集中する。――立ち上がった雫に。

 雫は震えている。顔は真っ赤になっている。

 でも雫はうつむいていなかった。決然と前を、美和達を見据えていた。覚悟と決意を目に浮かべて。

「いじめているのは、あなた達だよ」

 雫なりの精一杯の大声。誰かが大声を出したら、たちまちかき消されそうだ。

 それでもそのひたむきな声は、教室によく響いた。

「転校生だからって、そんなの関係ないよ!あなた達こそ、月宮さんの気持ち、考えなよ!」

 教室の空気が、諦めから徐々に変化していく。

 美和達四人は放心したように雫を見ていた。そして夢から覚めたように、一気に動いた。

 美和は机を蹴っていた足を下ろし、雫へと歩き出す。

 その気迫とその視線に、教室の周りの人は一斉に目を伏せる。

 でも、雫は逃げなかった。美和の目を見返した。

 モデルのようにすらりと背の高い美和と、リスのように小さい雫。

 雫を見下すように、美和は言った。軽蔑が声ににじんでいる。

「いい子ぶってんじゃないわよ」

 雫が黙っているのをいいことに、美和は言い放った。

「月宮炬に守ってもらわなきゃ、何にもできないくせに!」

 そして、雫を突き飛ばした。

 雫は簡単に吹っ飛んだ。そして自分の机にあたり、机といすもろとも倒れた。

「ふん、どんくさい子はこれだから。同情引こうったってそうはいかないわ」

 雫は俯きも泣きもしなかった。膝の傷が割れて血を出すのもかまわず、美和をまっすぐ見返した。

「なによ――」

 直後、美和は凍りついた。

 首筋に、血月鎌の刃があたっている。それ以上動いたら首なんて簡単に吹っ飛んでしまいそうだ。

「あたしは、売られたケンカは買う」

 でも、とカガリは冷たい目で言った。

「自分のケンカに、他人は巻き込まない主義なんでね」

「違うよ、カガリ」

 美和もカガリも雫を見た。

 雫はカガリを強い目で見た。

「私は、カガリの友達で、カガリは私の友達だから」

 雫がここまではっきり言ったのは、おそらく初めてだろう。僕はびっくりしてその場に凍りついた。

「トモダチ、ねえ」

 カガリはその場で考え込んだ。

「よく分かんないけど、でもそれでいいんじゃない」

「ウソよ!」

 美和が突然ヒステリックに叫んだ。

「あんたなんかに、あんたなんかに友達なんていやしない!あんたはどうせ、1人なのよ!どんくさくて、誰からも必要とされていない、ただの邪魔なカス――」

「トモダチってさ」

 カガリは突然語りだした。

「人間ってホント、バカだなって思う。トモダチってだけで自分の身張ってさ、何がそんなに大切なんだろう」

 カガリの声はだんだん強くなる。

「でも、分かるような気がする。大切な人のために、誰かを守る、守りたいって思う気持ち、分からなくもないんだ。そして守るべき人が、傷つけられるのは許せない」

 血月鎌を握る手に、不意に力がこもった。僕はそれを感じた。

「何よりそのバカ面で正義を偉そうに語る奴が、あたしは一番見ててイライラすんだよっ!」

 この卑怯者、と言い捨てると、カガリは血月鎌を構えなおした。

「言いたいことがあるなら直接いえば?どうせあたしに敵わないから言えないんでしょう?」

 陰湿だよね、そういうのって一番醜いよね。カガリの声には怒りがにじんでいた。

 血月鎌を持ち替え、カガリは腕をぐっと引いた。

「汚い面キモく歪めてごちゃごちゃ言う前に、正々堂々と勝負しようや。制裁?あんたは死神かっ!調子に乗るのもいい加減にしろ!」

 血月鎌を振り下ろすと同時に、カガリは叫んだ。

「堕ちろ、っつーか死ねッ!」

 今まで美和が立っていた場所に轟音と共に大穴があいた。血月鎌が不気味に突き刺さっている。

「な、なによ、危ないじゃない!」

 美和は頭を抱えて仲間の方に走りよった。教室の残りの人は立ち上がり、隅へと先を争って避難した。

 カガリは振り返って四人を睨み、一跳びで机を四列乗り越え、あっというまに四人の目の前に現れた。

「いやぁぁぁぁーっ!!」

「化け物!誰か助けて!」

 四人は悲鳴をあげて教卓の後ろへ逃げ込んだ。

「何よ!誰も助けてくれないの!?」

「人間はみんなそういうものなんだよ。ただ見てるだけ。手は出さない、関係ないから」

「みんな、裏切るつもり!?」

「誰もお前らなんかに味方してねーよ!」

 カガリは跳んで体をひねり、着地と共に血月鎌を横薙ぎにした。

 四人は震えて悲鳴をあげながら、黒板に身をくっつける。危ないところだった。美和のスカートのはしが切り落とされた。

 情けない悲鳴をあげ、美和は泣き出した。

 ふんと鼻を鳴らして、カガリは血月鎌を両手で振り下ろす。

 教卓が恐ろしい音を立てて真っ二つに割れた。中に入っていた磁石がばらばらと言う音を立てて床に落ちる。砕けたものもあった。

 カガリは四人をボコボコにするまで、容赦しない。

 それが僕にはわかった。

 カガリは壊れた教卓の上に立ち、血月鎌を横に構えた。四人は今や床に膝をつき、重なり合って泣いている。震えている。

 カガリはなんのためらいもなく、腕を振った。

 四人の最期だ――みんなそう思ったのが伝わってくる。

 しかし、腕は動かなかった。

「もうやめて、カガリ」

 雫がカガリの腕を止めている。

「もういいじゃない。やめて」

 カガリは雫の方を向いた。

「どうして?こいつらをボコボコにできるいいチャンスじゃん。あんたが一番、いや二番、見てて楽しいだろう?」

「全然楽しくないよ!」

 叫んだ雫の目から涙が一滴こぼれた。

「私は、優しいカガリが好きなの!人を怖がらせて楽しむカガリなんて、カガリじゃない!」

 いや、それがこいつの本性ですと僕は呟いた。誰にも聞こえなかったようだ。

「ま、あんたがそういうのなら」

 カガリはあっさり引いた。びっくりするくらいあっさり。

 雫も手を放した。

 四人はほっと息を漏らした。

 そのとたん血月鎌は四人の目の前に突きつけられた。刃がきらりと光る。

「誰もやめる、なんて言ってねーぞ。謝れ」

「ご、ごめんね月宮さ――」

「違う」

 唸るようにカガリは言った。

 美和はさっと体の向きを変えた。

「ごめんね高崎君」

「僕!?」

「そっちじゃねーって言ってんだろ」

 美和はカガリを睨んだ。

「誰に謝れって言うのよ!」

「わかんねーのかよ!どんだけ腐ってるんだ、お前」

 四人は唇をかんだ。

「もういい」

 雫がそっと言った。ただしこの声に全員が凍りついた。

「もういいよ、カガリ」

 雫は振り返った。一瞬僕と目があった。彼女の目を見たとき、僕はぞっとした。

 カバンをつかみあげて、雫は振り返らず教室のドアへ向かう。

「姫宮さん……」

「帰る」

 雫は振り返らない。

「……分かったわよ!謝ればいいんでしょ!」

 美和はイライラしたように叫び、残り三人を引き連れて雫の目の前に立った。

「ごめんなさい姫宮さん。悪かったわね。……これで気がすむんでしょう?」

 バシッ。

 美和は頬を抑えてよろめき、一、二歩後ろに下がった。

 何がおきたのかわからない。僕も分からない。

「……ふざけないで」

 雫はこれ以上ないほど冷たい目で、四人を押しのけた。

「な、なによ!謝ったじゃない!それをた、叩くなんて――」

「人をなめるのも大概にすれば?」

 雫は捨てゼリフを残して教室を出て行った。

 声色の冷たさに僕は唖然とした。

 雫は本気で怒ったのだ。その怒りで教室は威圧され、誰もぴくりとも動けない。

「ご……ごめんなさい」

 美和が小さく言った。美和は俯いていた。その目に涙が溢れている。

 階段を下りかけていた雫が立ち止まった。

「わ……私、あなたが憎かった……うらやましかった……」

 雫をどんなに外しても、なぜかスッキリしない。

 今までこうやって気に入らない奴を排除してきた。そいつらが日々暗くなったり、学校に来なくなったりするのをいい気味だと思っていた。

 でも、雫は三年になって学校に来た。

 彼女の小さな後姿――強さを秘めた後姿が、瞳の奥に隠した意志が、黙って何も言わず、弱音一つ吐かなかったときのあの姿が、うらやましかった。

 どうして私より強く見えるの。あんなチビで、どんくさい子が。ずっとバカにしていた。でも、心の中では雫が怖かった。

 たまらなく憎かった。

「許せなかった……壊してやりたかった……」

 同じクラスになったとき、雫の存在は目についた。邪魔に思っていたとき、ちょうど月宮炬が転校してきた。

「いいカモだと思った。あなたが月宮さんに靴のことを言っているのを見たとき、ちょうどいいから邪魔な人をまとめて消してやろうと思った……」

 涙ながらに告白する美和。黙って後ろで俯き、同じように涙を流す三人。

 ああ、この人たちは弱いんだ。

 弱さを隠す為に。

 強いと見せかける為に。思わせるために。

 無理して強がってたんだ。

 僕はそれを理解した。

「人間ってバカだよね」

 カガリ、僕もそうだと思う。

「でも、人間は束になったら強いんだよ、カガリ」

 雫はこちらを向いて笑っていた。強い笑顔だった。

「それがよく働くのか、悪く働くのは別として」

 俯いた美和に、雫は手を差し出した。

「私はもういいから。――カガリに、自分がしたこと謝って」

 美和はためらって、雫の手を握った。

「月宮さん。――ごめんなさい」

「ごめんなさい」

 四人は謝った。先ほどとは違う。声でわかった。

「月宮さん、よりカガリ様がいいなぁ」

 カガリは血月鎌にもたれて笑った。

「ま、正義は勝つんだよ」



 あの後先生が来て、教室の惨状を目の当たりにし、カガリと美和、雫、なぜか僕まで呼び出しを食らって説教を受けた。そしてみんなで教室を掃除する羽目になった。掃除していた時の空気は気まずいと言うより、なんか、恥ずかしかったような、そんな感じだった。

 いつものように荷物を二つ――雫は自分で荷物を持つことを選んだ――もって、僕らは下駄箱を出る。

「じゃあね、月み――カ、カガリ!」

 四人が校門の前で手を振ってくる。カガリがなんの反応もしないのを見て、四人はあわててカガリ「さん」をつける。そういう問題じゃないのに。

「バイバイ」

 雫がかわりに手を振る。タンポポのような笑顔で。

 美和は複雑な表情を一瞬浮かべ、それから自嘲するような笑みを唇に浮かべて、恥ずかしげに手を振った。

「じゃあね。――雫」

「これって手を振るのが人間式返答なんだー」

 カガリは不思議そうな表情を浮かべて、手を振った。

「バイ」

 血月鎌を握った手を振るので、周りを歩く人たちが青い顔をしてよける。

「じゃあ。――また明日、学校で」

 青い顔になりながら、美和も言った。

 カガリは少し笑って歩き出す。

 雫は手を振って左に曲がる。

 僕らは手を振り返し、右に曲がる。

 あたふたとカガリの後を僕は追った。

 カガリは前を向いて気まぐれなペースで歩きながら、ぽんと呟いた。

「人間って面白いじゃん」

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