事件簿1 最凶の転校生、現る!
中学三年生。
これほど嫌で、いやで、イヤーな1年はない。
それでも、なってしまったものは仕方がない。適当に授業受けて、適当に部活して、適当に友達と仲良くして、適当に受験して、適当な高校に入るか。
「それでいーのか、高崎真呉」
独り呟いてみた。すぐ目の前を桜の花びらが気まぐれに落ちていく。
青い空が恨めしい。
昇降口の前で靴を脱ぎながら、僕は元は白かった、薄汚れた靴に向かって答えた。
「別にいーですよっ」
僕はフツーの奴だ。成績も運動も存在も、普通。全てにわたって普通。女子から見たらきっと地味な奴だ。ルックスも普通すぎて、なんか笑えてくる。いっそのことのび太もびっくりのバカに生まれてくればよかったと思うときもある。
この退屈な、同じことの繰り返しの毎日。もし僕が普通じゃなかったら、きっと毎日は違ってくるはず。刺激的な日常に僕は憧れている。
僕はMではないが、いじめっ子に追いかけられている方が、この退屈極まりない日常よりずっと楽しくて幸せだと思う。
教室で先生が新しいクラスの割り振りを発表した。
「ええええーっ」
「やったぁー!!」
「離れても、休み時間に遊びにくるから!」
「またお前と一緒かよー」
恒例の一騒ぎ。そしてまた恒例の、
「静かにしろ!」
ほら先生がキレた。
「いいか、お前らたるんでるぞ。春休みはもう終わったんだ。これからは学校を背負っていく学年となるんだ。先輩になるんだぞ。新入生も入ってくる。そしてなによりことしは受験だろう……」
誰も聞いていない。僕ももちろん聞いていない。
一番後ろの席でぼんやりと空を見上げる。一番後ろの席は便利だ。空には適当に雲が浮いている。どこにでもありそうな青空。
刺激的な日常が欲しいと思いつつ、僕は何も行動を起こさない。さっきのように、みんなみたいに騒いだりしない。怒られるのが面倒なのだ。
何でもそうだ。何かやっても、後の反動のほうが大きい。行動を起こした小さな興奮よりも、後にくる反動の方が大きい。疲れるのだ。面倒くさい。
というわけで、僕は手のかからない「いい子」なのだ。別に望んでそうしているわけではないが。
こんな僕に、刺激的な日常はまったく縁がないのだ。
ほら、クラスが振り分けられた。教室へ向かう。
「高崎、よろしくな!」
「おう」
何人かの男子に手を振り、しゃべり、適当に笑う。これで普通の中学生にとっては一大イベント、「クラス替え」終了。
その後の全校集会も、僕は前にいた狩乃――こんな名前だけど男なのだ。本人はエラく気にしているが、僕はまったく気にならない。僕の名前よりよっぽどマシだ――があっちむいてホイをしようと誘ってきたので、相手をした。狩乃は熱中していて先生に怒られたが、僕は適当にあしらったせいで無傷ですんだ。
教室に戻った後、しばらく先生が来ないこの時間は生徒の物、生徒の楽園、生徒のテーマパークと化す。僕はやっぱり、前の席の狩乃の相手をする羽目になった。
「なあ高崎〜、先生遅いよな〜」
「ああ、うん、まあ」
あっち向いてホイで16連敗の狩乃はだるそうに言った。このお人よしでお調子者は、すぐそぶりに考えが出るから、楽勝だ。要するに単純。
「でもさ高崎、もしやのもしや、転校生ってこともあるくね?」
「いや、ないっしょ。もう3年だし」
「いやそこ、あえて〜。あっまた負けた。さてはお前はアレか、心電図解析のカリスマか」
「いや違うだろ。それ言うなら心理解析じゃね?」
僕が名字で呼ばれているのは、名前で呼ばせないからだ。「まぐれ」なんて名前、呼ばれるだけでなんかがっくりくる。僕の唯一の普通じゃない点なのに。
「転校生、女の子だったらいいな〜。それで彼女いない歴14年からも卒業&青春パラダイス満喫、的な〜」
「せいぜい期待しとけ」
「でもよぉ、かわいい女の子だったら嬉しいよなあ。この学校の女子ってみんなジュゴンみたいな顔しやがってよぉー」
たちまち女子の目が氷のように狩乃を貫いた。まったく気付いていないのが逆に幸せなほどだ。
「なんでしらけるんだよ、高崎ぃ。夢を見ろ夢を。ボーイズビーアンビシャース」
つっこむのがめんどくさくなってきた。
「ああ〜、転校生、来ないかなあ。俺のソウルメイトぉ〜」
「だから、転校生くるわけないだろ。そんなどこぞのマンガかドラマみたいな話、あるはずが」
がらりと教室の前の戸が開いた。
生徒はみんな、はっと息を飲む。
入ってきたのは――先生だった。
「期待して損しちゃった〜」の空気の中、頭髪がここのところ寂しくなってきている中年教師・磯崎先生が入ってきた。
「えーみんなおはよう。今日からこのクラスを担任する……」
ますますだれる空気。狩乃なんて机にうつぶしている。僕は一応姿勢を正して話を聞いているふりをしていた。それでもこの春の、暖かいというよりもう暑くなりかけた空気は眠気を誘う。春眠暁を覚えず、だ。これを書いた人は正直天才だと思う。誰だかは忘れた。
「……それで、転校生だが」
一瞬で空気が変わった。狩乃なんて一瞬も一瞬、さっきの態度は微塵もない。伸ばした背筋がかすかに震えていた。
「せんせーい、女の子ですか!」
ブッとみんながふき出した。狩乃はそういうキャラだ。
「そうだ。ちなみに、ハーフだそうだ。でも日本語はしゃべれるから安心しろ」
おおっとクラスがどよめく。欲望に目が煌く男子達。前や後ろの人と何事かささやく女子達。
「そしてその子は美形で、声が乙女ボイスで、セクシーアンドロイドオブザデスメタルボディでルックスもバッチグーですか!!」
意味わかんねーよ、狩乃。心の中でつっこんでから、先生を見た。早口とカタカナ語連発、そして何より暑苦しすぎる無駄な情熱を一気に処理できず、目を白黒させているように見えた。
全員の苦笑の中、先生はようやく口を開いた。
「ま、まあ、見れば分かる。じゃあ入りなさい、月宮さん」
ドアが開くまでの瞬間が長く感じた。マンガにアニメにドラマ、みんな発端は転校生なのだ。転校生と青春パラダイス、という狩乃の言葉が頭をよぎった。
まさか、そんなことはあるわけない。所詮それはただの願望。所詮それは夢の世界。
この長い長い平凡な14年間と急におさらば、なんて甘い話、あるわけはない。
そこまでこの一瞬で思えた僕は天才かもしれない。
それほどあっさりとドアは開いた。
堂々と――そいつは入ってきた。
さざなみのようにクラスに激震が走る。
背筋がぴんとのびている。みんなより、そいつの方が。
緊張しているようにはまったく見えない。
狩乃、いやみんなが息を飲んだ。そしてそのまま固まった。
モデルのように色白。背は普通の女子より少し高い。これだけ言えば、まあ普通の女子中学生だ。
でも僕は、ここまで「普通」という言葉とかけ離れている人をみたことがない。
藍色の髪と藍色の目。これだけでもう異常だ。こんな外国人がいるのか。
自信満々、怖いものなし、傍若無人で自己中、といったような光が溢れている深い瞳。黒くて長い、濡れたようなまつげが優雅にカールして、大きな瞳を際立たせる。きりりとした黒い、細い眉は凛々しい。小顔だからなおさらだ。今朝みた桜の花びらのような可憐な唇。
藍色の髪は多分膝まであるだろう。頭のてっぺんに近い右横で全部一つにまとめて結んでいるとしても、腰まである。毛先はかすかに丸まっている。それでもわずかな風にさらさらと揺れている。
こいつにかかれば、地味なセーラー服でもパリのファッションショーに出れば?みたいなくらいに魅力的に感じる。やや短めというスカートのその微妙さがかえっていい。
そして転校生というのに遠慮していない。髪をとめる赤いゴム、そしてそれについている二つの赤い玉。やや短めのスカート。もうこれだけで十分校則違反だ。
そしてなによりこいつが異常な点、というか現実に存在していること自体を疑わせる、これは夢じゃないか?と思わせる点は――右手にその身長より高い、170センチくらいある鎌を持っていることだった。
重そうだ、というのが第一印象だ。黒の柄に銀のシンプルな装飾、銀色の大きな、三日月状の巨大な刃。刃先が春の陽光にギラリと光る。
悪魔や死神がもっていそうな鎌だった。よくイラストに見る類のあれだ。
なんでそんなものを学校に持ち込む。なんでそんな物を持っている。
そんなことも気にならないほどの美人だということは分かるのだ。百合のようにしなやかで艶やかで、長くて細い足と腕も完璧だ。
周りの男子は言葉も出ないようだった。狩乃なんて魂を抜かれている。無理もない。こんなやつが現実に存在すること自体が驚きだ。女子だってたいていの人が目が点になっている。
そしてそいつはいきなり話し出した。もちろん完璧な日本語で。声はさらさらとしていて心地よい。ソプラノに近いが、いかにも女の子という声だった。男子はもうノックアウトだ。
「月宮炬」
無遠慮に要点だけを述べた。クラスは毒気を抜かれている。いきなりすぎて何もコメントできない、といった感じだ。
凛としてはきはきしている。ずけずけとどんどん、クラスを完全に自分のペースに巻き込んでいる。
「職業・死神!」
はぁ?
「あたしは正義の味方。捻じ曲がった奴や悪は大嫌い。とにかく悪者は今すぐ首を洗ってあたしの前に出て来いや。カガリ様が一発で、この血月鎌で首を切り落としてやる」
はぁ!?
ここでカガリは、鎌でどんと床をついた。催眠状態のクラスの皆がびくっとする。先生含めて。
「隠れてたって無駄。正義は勝つのよ。待ってろ野郎共っ」
僕はしぱしぱと瞬きを2回した。
「とにかく!このカガリ様がいる限り、悪は存在しない!覚悟しろ!!」
かっこよく指を突きつけてキメた。クラスは沈黙状態。
むちゃくちゃな自己紹介が終わり、まだカガリショック状態のクラスの中、堂々と彼女は僕の隣に座った。……って、ええっ!?
「あの……そこ、休みの人の席なんだけど」
「あ……いや、高崎。辰宮は転校した」
えええ!?せっかく勇気を振り絞って話し掛けたのに。
いまだにみんなは頭の中を処理しきれていない。僕もその1人だ。こんなことがあっていいのか。こんな展開あっていいのか。
「まあ……その……仲良くするんだぞ」
となりでカガリがふんと鼻を鳴らした。足と腕を組んでいる。かすかにいい匂いがする。なんともいえない爽やかな香り。
クラスの係り決めの話になって、中盤まできてやっとみんなは理解した。
転校生がきたということを。このクラスが多分、いろいろな意味で爆心地――いや、カガリがさまざまなトラブルの爆心地となるであろうことを。
この日は部活もなかった。早く帰れて嬉しい。行き帰りはいつも1人だ。
というか、カガリから一刻も早く離れたかった。これからの日々がいやになる。
もう何人かの女子はカガリをハブる話をしているし、絶対カガリは何かトラブルを巻き起こす。いや、もう巻き起こしている。
この世にみんなの前で堂々と死神宣言をし、正義の味方と照れることなく言い切り、バカでかい鎌を片手に堂々と規則を破る――こんな転校生、いるはずもない。印象深すぎる自己紹介だ。誰も忘れられない。忘れさせてくれない。
そして、美人だ。絶対男子達が放っておくはずもない。どこかのアニメかマンガに出てきそうな奴そのものなのだ。一部の女子には興味がないオタクっぽい人たちも万万歳だろう。
女子の大敵となること、間違いなしだ。
そんな奴が隣の席だなんて。男子達からどんな目で見られることやら。
「まぐれ!」
ほうらトラブルメーカー。何のまぐれを起こした。
声が背後からムチのように鋭く鳴り響く。かかわりあいにならないようにさっさと歩いた。
「お前のことじゃぁぁぁ!」
すぐ横に銀色の疾風が、地面に穴をあけてめり込んだ。下手したら僕がめり込んでいるところだ。
冷や汗を浮かべて振り返ると、やはりといえばやはり、カガリが仁王立ちで立っていた。
「危ないだろ。そして僕を名前で呼ぶな」
言いなれたセリフを口先だけで呟く。狩乃と知り合って一年、ずっとこの言葉を言いつづけてきた甲斐があった。
そのあと自分で驚いた。これだけ「異常」な、僕が求めていた存在があるというのに、僕の反応はいたって普通だ。自分に寒気がした。
「無視した奴が悪い」
何だこの自己中。というかなぜ僕の名前を知っている。
「この学校にいる一番の不良のところに連れて行け」
もう何だこいつ。言い切るか。命令口調が憎たらしい。そしてその完璧な声音ももっと憎たらしい。
「そんなの、体育館裏に行けばいいじゃないか」
止めなかった。何やってんだと自分を叱る。
トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。痛い目を見れば、きっとカガリだって大人しくなるはずだ。
「わぁおっ、ねえ君、ちょっと来ない?」
出た。
カガリが行かなくても、向こうからきた。
カガリより頭一つ背が高い。シャツだし・茶髪・金髪・色黒・腰パンもろもろ。もう見るからに不良みたいなやつらが5人、カガリの背後にぬっと立った。
リーダー格の人が、カガリの華奢な肩に手を置く。
「なかなかかわいい顔してんじゃん?」
「あんたらがこの学校一番の不良か?」
臆することなくカガリが言った。僕はいつでも逃げ出せる体勢をとったが、不思議と逃げられなかった。なにやってるんだ真呉。お前の大嫌いな「トラブル」にまきこまれるぞ。
かかわりあいになったら、終わりだ。
分かっている。それでもなぜだか、僕は虚勢を張っているらしい。
茶髪がキツい不良は、目を細めていった。ニヤリと口元がいやらしく上がる。
「気が強い女は、結構好みだな」
後ろで一気に笑い声が起こる。
「……堕ちろ」
かすかに声が聞こえた。俯いているように見えたカガリは、きっと顔を上げて不良たちを一睨みした。その視線はナイフのように彼らを貫いた。僕もたじろいだ。
「……っつーか、死ねッ!!」
肩に置かれた手が強く払われたと同時に、カガリは鮮やかに一回転した。
完璧な回し蹴りが、茶髪の不良の急所にヒットする。猛烈な勢いでそいつは吹っ飛び、後ろの奴らをなぎ倒した。
「あっ、てめッ、調子に乗りやがって」
「ただじゃおかねーぞ、ナメやがってよぉ!」
横から不良たちが襲い掛かるが、カガリは右手で鎌――血月鎌とかいう鎌を振るい、一気に三人薙ぎ倒した。流血沙汰になっていないのは刃というより柄をつかっているからか。
左横のやつには左足で顔面を蹴り、その時ギリギリの状態であるスカートを見つめている残りのどうにか立ち上がった集団の中へ、カガリは血月鎌を片手で振り回しながら突入していく。
実質、3秒で片付いたといっても過言ではない。
リーダー格の茶髪の首を片足で踏みながら、カガリは傲慢にも言い放つ。
「相手にもならねーカス共が。このカガリ様に勝てると思ったのか、あぁん?」
もう誰もしゃべれない状態にある。いつのまにか周りにいた人たちも消えている。
「命が惜しかったら悔い改めて土下座しろ。このカガリ様の前に跪けや!」
もうむちゃくちゃな捨てゼリフをはいて、「す、すみませ……」といっている一時的に死体と化したやつらを放っておいて、カガリはつんとこちらに来た。
何もいえない僕に、カガリは言う。
「正義は勝つんだよ」
そんなベタいことを平気で言うか。
口元に血がついているかのように、カガリは唇をなめた。なんとも妖艶で、はっとしてしまう。
「じゃ、いくぞ、真呉」
「……名前で呼ぶな」
「記念すべき手下第一号」
「それもやめて」
血月鎌を肩にかけて悠々と、何かと矛盾しまくった最凶の正義の味方は白い歯を光らせて笑った。
藍色の目は勝ち誇っている。憎たらしい光だ。
「帰るぞ」
どっちにしろ方面は同じだからついていった。
狩乃なら喜ぶだろう。狂喜するだろう。
僕にとっては、夢がかなったといっていいことだ。ちっとも嬉しくないが。
でも、嫌でもない。準備と覚悟が出来ていないだけだった。もう出来てしまった。
この平凡すぎた日常に、本当に終わりが来たのだ。
僕は死神に取り憑かれたらしい。