閑話乃一〜蒼き閑話のアルペジオ〜
○-○──里芋の揚げ焼きと蕪の味噌汁──○-○
「旦那様、台所でこのような壺を見つけました」
美月君が持ってきたのは、高さも径も30cm程の壺であった。しかも蓋付き。蓋は陰陽師の護符のような紙で封印されているが、陰陽チックな呪文の代わりに簡潔な言葉が書いてあるようだ。
「えぇと……『勿世出』かな? 何かを秘蔵してあると見える」
「なるほど。では開けてみましょう」
止める間もなく美月君がこじ開けると、何か色の濃いものが中に入っていた。よく見れば焦げ茶か黒に近い色で、上に液体が溜まっている。
「この香りは……醤油、でしょうか?」
「醤油? ……確かにそんな香り。でも最低限味噌が無いと出来ないはず……」
「では下の物を掬ってみましょう」
「抵抗感とか無いのね……」
美月君が匙を持ってきて底の物体を掬うと、少しドロっとしたものが乗っていた。粒も僅かに残っている。
「……なんでしょう、これ?」
「…………そうねぇ、すり潰した未醤とかじゃないかな。味噌に近いといえば近いから、上澄みとしてたまり醤油が出来たとしてもおかしくないけど……」
「ペロッ……なるほど、確かに味噌に割と近いかも知れません。ならこの液体は醤油ですね。……やりたいことが出来たので、ここで失礼します」
「お、おう」
味噌壺(仮称)を持って、彼女は何処で何をしにいくんだろうか。
*>────<*
ここのところ、旦那様に対してある心配事がございました。
「あんなものをずっと食べていては、健康を害しかねません」
そう、旦那様のお食事です。調理の段階で味を付けず、栄養バランスも考えない。調味料は塩酢醤酒の四種で、どう考えても栄養失調か塩分過多でございます。昔、旦那様は「平安人の死因は食生活がかなり関わるんだよねぇ」とか仰っていましたが、このままでは旦那様も危ういものです。
そんな最中に味噌と醤油(的なもの)を見つけられたのは、実に幸いでした。旦那様の健康のための食生活改善作戦、開始です。
*>────<*
「……で、これを作ったわけだ」
「時代が違えど、私は旦那様のメイドでございますから。お食事の管理も、今後はしっかり致しますからね」
本日の献立。まずは茶碗一杯の飯。これは山盛りの強飯ではなく、現代人になじみ深い分量の姫飯である。作ろうと思えば平安でも普通に作れる代物だ。
次に奈良漬。いつも出ている定番の香の物。変わったところはない。
蘇。言わずと知れた、古代の乳製品である。実物を見たのは初めてだが、当然食卓にあってもおかしくない。
芋の揚げ焼き。形から見て里芋だろう。里芋自体はあるから良いとして、片栗粉はあったのだろうか。何かあんみたいのもかかってるし。
蕪の味噌汁。ご丁寧に葉まで入れてあるが、出汁が作られるようになるのは江戸時代からのはずである。材料が無いわけではないだろうが、大変な労力がかかるだろうことは想像に難くない。
飲み物には麦茶。大麦はあるし、平安人も飲んだ記録があるので特段不思議なものでもない。
「……この献立は何があったの?」
どう見ても、平安の知識で作っていいものではない。材料自体はあったのかも知れないが、調味料の類はどうしたというのか。
「ごま油や片栗粉など、案外材料は揃っておりましたので。里芋の揚げ焼き甘酢あんかけと、蕪と蕪葉の味噌汁でございます」
「揃ってたぁ? 手に入れたんじゃなくて?」
「ええ。ここに来る前の私も、かなり料理に興味を持っていたようでございました。他にも、清酒や砂糖もあったので味醂の代用といたしました。出汁に関しては、何故か乾燥昆布があったのでそちらを用いました」
清酒は恐らく、諸白のことだろう。この時代では奈良の寺院が造る「南都諸白」が高級酒として有名だが、まさかそれではあるまい。昆布も蝦夷から運ばねばならない以上、超高級品である。ごま油も、一般の平安家庭では出番などほとんどあるまい。
…………恐らくここの食事係、彼女が思ってる以上に料理に関心を持っていた。多分。
そして、これらから導き出される結論は一つである。
「美月君、よく聞くんだ。絶対に、絶っっっっ対に、他の誰かに見せたり聞かせたりしてはいけないよ。風俗史とか大きく変えかねん」
「無論心得てございます。それよりも、早くお召上がりを。せっかくのお料理が冷めてしまいます」
「おっ、そうだな」
結論としては、どれもこれも美味しかったです、はい。
○-○──転移モノの定番と言えば──○-○
「旦那様、いい歳してなぜ庭で遊んでおられるのですか?」
休みの日の昼下がり、庭でちょっとした実験をしていると唐突に美月君から声を掛けられた。少しトゲがあるように聞こえるのは気のせいだろう、うん。
「いや何、特殊能力とか無いかなって」
「漫画やラノベの読み過ぎでは?」
「酷いなぁ。タイムスリップとか、こういった転移モノの定番じゃないか」
「はあ。で、何か分かりましたか?」
「多分無いね、能力」
そう、何も無いのである。何かしら物体を元素から作れる(仮にあったとして化学の成績2の私に扱える能力ではないが)とか、物凄い魔力とか筋力がある(体育も2である)とか、そういったチート的なモノは一切無いのだ。
「なんかこう、周りにない力操って『俺スゲェ!』とかやりたくない?」
「いえ、全く」
「そんなぁ」
「大体、平安時代に来たとはいえ、紛れもなく此処は日本なのです。そんな能力がホイホイ与えられてたまりますか。与えてくれそうな神様的な存在もいませんでしたし」
全くの正論である。剃刀のように鋭い正論は、時に人を傷付けるのだなぁ。
「神様かぁ……どこかに参拝する?」
「やめて下さい」
結局、平安に来て手に入れたのは14年前の若さだけであった。若返ってもなぁ。
此処までのご拝読、有難う存じます。作者の一条でございまする。
次回からは新章、時も進んで参ります。お楽しみに。