第五話〜あの人を訪ねよう〜
「……なんというか、IQが上がったように思えたのは錯覚だったのでしょうね。いつもの旦那様でした」
なぜ私は美月君にここまで言われなきゃいかんのだ。錯覚って何だ錯覚って。
「褒めてないよねそれ?」
「歴とした褒め言葉でございます。斯様な状況でもいつも通りの旦那様は、ご自身でお考えになられている以上に私の精神的支柱となってございます」
なんだなんだ、突然デレたぞ。普段でも極たまにデレるけど、ドキッとして心臓と理性に悪いからやめてほしい。いややめてほしくない。
「そ、そうかい。ならそれで良いんだ。さて、夕飯も食べ終わったし、日も暮れそうだから寝る支度をしよう。といってもあと2日は休みだから、起きる時間は出仕の日ほど早い必要はないね。取り敢えず日の出くらいで起こしてよ」
「日の出くらいですと、10月の京都なら午前6時でございますよ。普段の旦那様からすると、1時間以上早いのでは?」
「平安人になってしまう以上は早起きに慣れないとね。出仕の日とか寅一刻起きだよ? それに、明日はやりたいことがあるし」
そう、明日はあの人に会わねばならない。美月君にはまだ言っていないが、3日後に起きる事を相談しておきたい。史実では問題無かったが、私が現れたことで致命的な変更が生じるかも知れない。そうなってはもう遅いのだ。
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翌日の九月二十一日。なんだかんだと言いながらも、やることはきっちりこなしてくれるのが美月君である。伝えた通り日の出とともに起こされ、簡単に朝食を摂って、直衣に着替えた。
「さて、今日は君にも来て欲しいのだけど、女房は基本外に出ないのよね。と言うわけで、君には男装してもらいます」
「…………旦那様。どこかに頭を打たれましたか?」
「ちゃうわ。兎に角、君には従者役をやってもらうよ。てな訳ではい、水干と平礼烏帽子に肌着類」
美月君は中性的と言うか、所謂おっぱいの付いたイケメンである。男性装束を着ても問題無いだろう。髪が短いのが不安だが、烏帽子なら最悪掛緒が掛けられれば良い。着替えてる間に牛車の用意を他にさせる。
「旦那様、取り敢えず着て参りましたが……」
「おっ、思った以上に似合ってるね。じゃあ行こうか」
「お待ち下さい、まだ目的地を伺っておりません」
「あれ、言ってなかった? 今回の目的地は左京北辺三坊三町、安倍晴明邸だよ」
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自宅から800m前後、牛車で10分ちょっと。内裏から見て鬼門の方向に、その屋敷はある。
「安倍晴明は安倍氏の一人で、のちに成立する土御門家の始祖にあたる。尤も、この晴明と言う読みは単純に音読みしただけであって、本来の読みは晴明とか晴明とか言われてはっきりしていない。今年で数え年40、今の時期だと確か天文得業生になる3ヶ月前のはず」
「旦那様って、時々博物館の音声ガイドみたいになりますよね」
「例えが雑じゃない?」
屋敷の築地塀に沿って動いていると、門が見えてきた。上土門である。先んじて連絡はしてあるので遠慮なく門に近づくと、ひとりでに開いた。
「晴明邸の自動ドア伝説は現代でもよく聞きますが、実際にあるのですね」
「流石に式神が本当にいるわけじゃなし、なんか別のからくりでもあるんでしょ」
中に入って車を止めれば、向こうの使用人が迎えてくれた。
「よくぞおいで下さいました。御主人様は母屋にてお待ちでございます。こちらへどうぞ」
誘導に従って進めば、すぐ母屋に辿り着いた。やはりこちらの屋敷が規格外の複雑さなのだと納得していると、塗籠から狩衣烏帽子の人物が出てきた。外見はアラフォー、間違いなく安倍晴明その人である。
「義憲殿、ようこそ参られました。不躾ながら早速、手紙にあった御用件を伺いたく」
「ええ。では先ず、内容が内容なので、ここは我ら3人だけにして頂きたく思います」
そう伝えると、晴明は手振りで使用人を追い出した。……あれが式神だったりするのだろうか。
畳が二行対座の形で──二枚を平行に並べただけだが──敷かれ、私と晴明殿が一枚ずつ使う。美月君は床に直に座っている状態だ。
「そちらの従者殿は、何か敷かなくても宜しいですかな?」
「ああ、かのj……彼のことはお構いなく。で、用件というのは、私の夢のことでございまして……」
「ほう、夢ですか。その割には深刻そうなお顔でいらっしゃいますな。不躾ながらこの晴明、嘘はある程度分かりますぞ」
将来、伝説的な陰陽師と伝えれる人物なだけはある。あのことは夢の体で話そうとしたが、ここは正直に打ち明けるか。
「……実は風の噂で、内裏が火難に遭うのではないかと伺いました。なにか、それらしい兆候があったりしませんか?」
「禁裏火災と来ましたか。生憎ながら、そのような兆候は見ませんでしたな。仮に見たとして、この200年近くの間殆ど燃えたことの無い場所がどうして燃えましょうや?」
確かに、桓武帝がこの地に宮を築いてから内裏は今まで殆ど燃えたことがない。一昨年辺りに小火騒ぎがあった筈だが、あの程度は火事にもならぬということか。
「そうでしたか。なら、杞憂かも知れませんね。用件は済みました故、私達はこれにて……」
「義憲殿、お待ちを。人相占いは得意ではないのですが……やはり、生前の椿堂様に似ておられますな。他人より少しだけ穎達しておりますが、基本は運次第です。長い人生の中で、災禍栄華の何れも経験されることでしょう。大事なのは、己の気持ちを真っ直ぐ見つめることです。如何な災禍の中にあっても、それを忘れなければ必ず栄華が待っているはずです」
「…………ありがとうございます。では、私達はこれにて失礼致します」
結局信じてもらえずに、帰ることになった。まあ信じてもらえるとも思っていなかったが。
それはさておいて、最後の人相見はどういうことだろうか。確かに現代でも「あらぁ、お父様にそっくりねぇ」とか言われていたが、あれはただの顔立ちの話ではないのか。いやまあ人相占いは顔で判断するから似た顔なら似た判断になるだろうが……
義「ところで、その髪の短さで烏帽子どうやって被ってるの?」
美「かなり強引にお団子を頭頂に作りまして、髻の代わりとしてございます」
義「上手くやるねぇ。サラシとかはきつくない?」
美「少し苦しく……って何言わせるのですか。セクハラで訴えますよ?」
義「それだけは勘弁して下さい」ドゲザ