第三十七話〜再びの永訣〜
永延三年六月二十五日、まもなく秋に至ろうとするこの日。私は大荷物を随えてある屋敷へ向かっていた。
明日は、頼忠との別れの日である。全く、嫌になるくらい史実通りの日取りだ。
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母屋まで通されると、御帳台の内には60半ばの老人が佇んでいた。細くなりながらも薄くはない白髪を結ってはいるらしいが、被り物の固定には弱いのか掛緒で烏帽子を被っている。服装は直衣姿、ただし帯は緩めのようである。この老翁こそが藤原頼忠、既に全ての官職を退いた散位の従一位である。
「おお、これはこれは。最期に会えて嬉しいですね」
「ああ頼忠様、どうか御無理をなさらず。ささ、私のことはお構いなく、楽な姿勢でお休みに……」
「せっかく会いにきてくれたのです、心配要りませんよ。して、その荷物は?」
「最期の御目通りとお伺いし、今こそお返しすべきだろうと思ったものです」
今回持ち出してきたのは大量の巻子本、すなわち実頼公の日記原本である。頼忠からはそのまま預かっていて欲しいと言われていたが、この期に及んで流石に返さないわけにはいかない。
「ああ、あれですか」
「写本と部類記は私が作成して保管して御座います故、此度の返納を御承知頂ければと」
「…………確かに、本来はこちらが管理しているべきものでした。貴方の行動に表敬して、本来の所有者たるこの頼忠が受け取りましょう」
巻子本は次々に運ばれていったが、恐らく近いうちに後継者の屋敷に運ばれていくのだろう。それが公任か実資のどちらに継がれるかは知る由もないが、史実的には多分嫡流視されていた実資じゃなかろうか。多分。
「……義憲殿、最期に一つ、お願いがあります」
「……」
「どうか、息子の公任を宜しく頼みます。彼の能力を疑うわけではないし寧ろ自信を持ってはおりますが、やはり父親として気になるもの。先見に長けた貴方なら、きっと彼を導いてくれるでしょう」
「…………どうか御安心召されませ。公任殿は、紛れもなく素晴らしい方として名を揚げます」
「そうですか……それなら良かった」
直ぐに体調を軽く崩され、私は自宅に戻ることにした。これが疾病とかなら治癒とか寛解を祈ったのだが、生憎此度は老衰である。もう先が長くないことは周りの人間や本人でさえ分かっていることだろうし、まして未来を知る私なら尚更である。
これまでの日々がめくるめく脳裏を流れていく。空っぽの荷車が、ひどく寂しく感じた。
翌日、頼忠は出家することなく薨御した。数えで享年66。朝廷からは正一位が贈られ、駿河国に封ぜられた。




