第十七話〜別れ〜
安和の変から約5ヶ月後の安和二年八月十三日、冷泉帝はその奇行などが祟ったのだろう、守平親王へ譲位した。後の円融帝である。この時点で親王は数えで11歳だったため、大伯父の実頼が摂政となった。これ以降、摂政や関白が常置されて帝権を恣にする「摂関政治」が成立する。
円融帝へ位を譲った冷泉上皇は冷泉院に遷御したが、その7ヶ月後に焼亡の憂き目にあった。時に天禄元年の出来事である。
そしてこの年、新たな別れが迫っていた。
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天禄元年五月十八日、その知らせはやってきた。
「頭弁様に申し上げます! 摂政様より、至急参って欲しいとのことで御座います!」
「……そうか、その時期だったね。すぐに参上せねば。美月君、支度を」
実頼の屋敷は左京二条三坊十一町、烏丸小路西大炊御門大路南にある。小野宮第と呼ばれ、実頼の家系は後世には小野宮流と呼ばれることになる。その屋敷に車で駆け付ければ、使用人は既に出迎えの用意をしていた。
彼等に案内された先にいたのは、最早ほとんど寝たきりと化した実頼の姿であった。日頃あれだけ血色の良かった顔は青ざめて、髪や髭にも生命力が感じられない。見た目からして移る病気ではないだろうが、その灯火が消えようとしているのは誰の目にも明らかである。勿論、私にも。
「……摂政様…………」
「……おお、その声は義憲か。こんな老いぼれの見舞いにも来てくれるとは、感心じゃ」
「呼んだのは貴方ですよ…………もう、保ちませんかね」
「……保たんだろうのぅ」
私がこちらにきてから10年、忙しい身でありながらも何かと気にかけてくれた恩人は、今まさに息を引き取ろうとしている。そのことは当人も分かっているようで、全く達観している。
「……のう、義憲。儂のこの最期、お主は知っておったな?」
「…………なぜ、そうお考えに?」
「仮にも上司が死ぬのだ、その割にはお主は落ち着き過ぎじゃ。病床にあるというに近寄るのも、影響がないのを分かってじゃろう?」
「…………」
「お主は賢い。故に気付くこともあろうが、これはその域を超えておる。時にお主、うわさによれば奇妙な筒袖を持っておるとか。儂の死を知っていたことと関わっておるか?」
死際の老骨とて、流石は位人臣を極めた人物である。これほどの洞察力や勘が無ければ、とても政治など出来はしまい。私たちの正体はこの時代で円滑に生きる上でひた隠しにすべき話だが、実頼になら話しても問題ないか……?
「ほっほっ、所詮は古老の好奇心よ、答えずとも良いわ。呼び立てたのは別の用事じゃからな」
「別の用事……で御座いますか」
「左様。お主に、これを渡しとうてな……ほれ」
示されたのは、膨大な数の巻子本であった。見てみれば、何れも古い具注暦であるように見える。一巻で半年分、それが何十巻もある。
「儂の日記よ。身内に遺そうとも思うたが、お主に皆預けよう」
「……こんな大事なもの、宜しいのですか?」
「…………儂の最期の贈り物じゃ。受け取らぬなら、死んでも死に切れぬ」
実頼の日記。現代では「清慎公記」「小野宮記」などの名で知られるこの日記群は、有職故実や宮中儀礼・慣習を知る上で大変貴重な史料となるはずのものであった。実際には極僅かな逸文を残して現存しておらず、ほとんど幻と言える。私のような歴史学者からすれば、まさに宝の山だ。
だがそれ以上に、これは実頼の形見足り得る代物である。赤の他人が受け取る意味をよく考えなければ……
「……謹んで受領致します。…………実頼様、……」
「……義憲。贈り物ついでに、最後の願いを聞いてくれるか?」
「何也と……」
「…………次に儂と会う時は、儂をうんと待たせなさい。40年50年、100年でも……」
「……はい! 必ず、必ず……」
藤原実頼、薨去。享年71。




