第十四話〜時代の一里塚〜
今月に入り、村上帝は頻繁に体調を崩すようになった。執政に未だ支障はないが、宮中ではまことしやかにこんな噂が流れるようになった。「天暦の帝も、もう長くないだろう」と。
康保四年五月二十五日は、すぐそこまで迫っている。
*>──五月二十二日──<*
「旦那様、最近お疲れのように見えますが」
「陛下があれなんで、こっちも色々しておく必要があるからねぇ。事は史実通り運ぶと思うけど、出来るだけ負担は減らしておきたい」
「事……とは?」
「はっきりとは言えないけど、数日内に起こるはずだ。この家に何か起こるわけではないけど……」
この日が来るのは分かっていた。私はそれを知っていたし、他の誰かに教えることも出来た。だがしなかった。もとより史実のことだし、ましてこれは人知の及ぶものではないと思う。伝えたところで信じられるはずも無し、よしんば信じられて、術があるわけでもない。
近いうちに、人が死ぬ。ただの人ではない。死ぬのは我が主君、追号村上の天皇である。
*>──五月二十三日──<*
内なる葛藤をよそに、実頼は普段通り屋敷を訪れた。
「……なんじゃお主、今日は気色が悪いようじゃが」
「……ああ、左大臣様。いえ、庭の景色はご覧の通り変わらず美しゅう御座いますよ?」
「妙な奴よ。普段ならそんな冗談も言わんだろうに、やはり何かあるようじゃ」
結局この後も返答を誤魔化したが、人に打ち明けるには些か不可解な内容と取られかねないものである。まして相手は左大臣、帝の死期を知っているなどとは口が裂けても言えない。
*>──五月二十四日──<*
「して、義憲殿。この晴明を御屋敷まで呼び寄せてのご相談事とは?」
人には言い難い話題と言っていた矢先のこれである。だが、私は晴明を呼んだ記憶などない。出来るとすれば……
「……美月君か?」
「お呼びですか、旦那様?」
「……いや、やっぱりいい。茶と菓子を」
彼女の行動も、恐らく私を慮ってのものだろう。こんな主人には勿体無いとさえ言える、メイドの鑑である。
だが、期日は既に明日である。今更どうこう出来るものでもない。どんな名医であったとしても──仮に現代医療の力を借りるとしても──困難を決めるだろう。私は医者ではないから、本当のところは分からない。だが、己の罪悪感だけで歴史を変えるものでもない。私は傍観者であって、庭師ではないのだから。
晴明には当たり障りのない夢占いで帰ってもらった。彼なら気付いていてもおかしくないが、それで私を糾弾するような人物でもない。
これでいいのだ。これで。
*>──五月二十五日──<*
私や実頼などの近しい人臣が見守る中、陛下は息を引き取られた。宝算42、位を譲ること無く崩御された。
神器は直ちに皇太子憲平親王へ受け継がれ、その日のうちに践祚した。後に呼ぶところの冷泉帝である。宝算18、うら若き帝でありながら、その言動の節々には精神障害が見て取れた。文献に記された通りであった。
村上帝大喪儀は8日後に行われる。陵は山城国内の北中尾、現在の右京区にあたる。諡号は送られなかった。史実通りである。
凡そ1ヶ月後に実頼は関白へ転任し、その後内覧や太政大臣などを歴任することとなる。
──これは一つの区切りだろうか。私を取り巻く環境は大きく変わる。政が帝から人臣に降り、権力闘争の蔓延る時代への案内板となる。
私はこれを、しっかり理解しなければならない。自分の為にも、何より美月君の為にも。




