第十三話〜桂川、海の如し〜
康保三年閏八月十五日、私は晴明の屋敷にいた。
「……桂川の氾濫と来ましたか。確かにそろそろ野分の時期です、あってもおかしくないでしょうが……情報元はどちらで?」
「いつも通り、夢とお考えを。実際に起きるかどうか、占えませんか?」
当然、実際に起きることである。4日後には桂川は決壊し、右京の五条大路から六条大路の範囲は水没する。もとより古代からの暴れ川であるから、先の内裏焼亡よりは信用されるだろう。
「占うのは構いませんよ。まあ義憲殿の情報ですから、大方起きるのでしょうけど。しかし、占って何になさるのです?」
「夢で見るには不吉なものですから」
「……承りました。では、占いましょうぞ……」
*>────<*
「そうして今に至るってわけよ」
「旦那様はいつも唐突ですね」
ここはお察しの通り、桂川の氾濫箇所である。前の鴨川氾濫のような光景を呈している。
「今回は動かなくても良いと、旦那様から伺っていた筈ですが」
「堤防の修復とかは山城守殿がやってくれるからねぇ。今回は無事らしいし、お呼びも掛からないと思うよ。それはそれとして気になるから来たのさ」
「野次馬ですか」
「歴史家の好奇心だよ」
元々この辺り一帯は湿地になっていて、違法ながら農地と化している部分も少なくない。そのため被害者は史実でも多くないと予想される──史料が無いので詳細は不明だが──が、今回はほぼ0人に抑えることができた。
「いやぁ、流石義憲殿。占いの通りでございますな」
「おや、晴明殿。ここにいる旨は伝えていなかったと思いますが……」
「いえ何、うちの式神に探させておりましてなぁ」
(旦那様、やっぱり式神っているんですかね?)
(流石に諜報員とかでしょ……多分)
どういうルートで探り当てたかはともかく、後で向かおうと思っていたので都合がいいと言えばいい。
「主上への密奏、感謝します」
「いえいえ、義憲殿が取り次いで頂かなければこうも行きますまいよ。お陰で宣旨も容易く出されたとか」
今回の水害に際し、私と晴明の二つのルートを通じて奏上した(厳密には、晴明は天文博士であった師の賀茂保憲を通じた)。二方向から同じ奏上を受けた村上帝は内侍に宣旨を伝え、蔵人頭から担当の人間に伝えられて宣旨として下された。
宣旨の内容は右京南部の避難指示であり、これは奏功したと言えるだろう。
「旦那様、これ歴史改変では?」
「うーん、まあそうなんだけどねぇ。史料にあまり残ってない部分でもあるし、大きく変わることもない、と、思う。多分」
「随分歯切れが悪いですね」
「断定出来るものじゃないからね。もとより閑散とした地域だから、後世に多大な影響を与えることはないんじゃなかろうかなぁ」
本来なら介入するつもりは無かったのだが、なぜ私は歴史を変えたのだろうか。
もしこれが出来るなら、前回の鴨川でもそうすべきであった。左京は人口も多いし、むしろそちらでこそすべきだった筈だ。ただの気紛れで助けたり助けなかったりが変わるなぞ……
「……なるほど、これが未来人か」
「義憲殿、今何と?」
「ああいえ、何でもありませんよ。ただ、鴨川の時もこう出来たらな、と」
「霊夢を常に見るとは限りません。此度は見て、前回は見なかったと言うだけの話……と考えれば、幾らか気休めにはなりましょうぞ」
「…………」
私は未来人として、如何にあるべきだろうか。大概のタイムスリップものは歴史改変をしたりすることが多いが、私にそれだけの資格があるだろうか。私は将来起こることを知っている。誰がいつ生まれ、任官し、老い、死ぬか、少なくとも天皇や貴族達のそれはほぼ完全に把握出来る。村上帝の御代代わりの時期も、実頼の死期も知っている。
私は、どうあるべきだろうか。
美「桂川ってそんなに氾濫しやすいのですか?」
義「古代から近現代まで、むしろ落ち着いてる方が珍しい川とも言えるんじゃないかな。最近の氾濫は2013年だったかな?」
美「なら、護岸とかも古そうですね」
義「5世紀以降に入ってきた秦氏とかによる『葛野大堰』とかが代表例だね」




