第十一話〜鶯宿梅〜
「あの紅梅が枯れて、少し寂しいものだなぁ」
村上帝がそう指し示す梅は、清涼殿前に植わっていた紅梅のことである。距離的には承香殿西と言ったほうが近いのだが、まあこの際どちらでも良い。因みに承香殿には現在、主上の女御である徽子女王がお住まいである。
「……うむ、決めた。そこに植える新しい梅、卿が探して参れ」
「…………は?」
「無論ここに植えるからには、見目良き物を選んでくるように」
「いやいやお待ち下さいよ陛下、そんな都合良い物が一朝一夕で見つかるわけが……」
「期限など指定しとらんだろうに。ほれ、早う探して参れ」
*>────<*
「……と言うわけなので、美月君の力を借りたい」
帰宅早々美月君に協力を要請する。何か私にはよく分からないコネとかそう言ったものを生かして、現代でもよく活躍してくれたものだ。全く環境が変わったここで同じことができるかは分からないが、駄目で元々、と言うやつである。
「久しぶりに無茶を仰いますね、旦那様。……まあ、当てがあるなら良いのですが」
「あるには、ある、が、ねぇ……」
「かなり歯切れの悪い言い方ですね。時の天皇が言ったことなら、何かしらの史料に遺っているのですよね?」
「……ええと、そうね……」
思うに、今回の話は「鶯宿梅」の逸話である。四鏡の一つ目である「大鏡」にも記されている話なので、当然私も知っている。知っているのだが。
「……場所が明記されていないのよねぇ、これ」
「…………は?」
「『西の京のそこそこなる家』とだけ。つまり、朱雀大路以西のとあるところってことだ」
「……何も分からないよりはマシでしょう。分かりました、旦那様のためにも調べて参ります」
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翌日、私は牛車で右京へ向かっていた。美月君がそれらしい家を見つけたと言うことなので、その家を実際に見に行くのである。今回で例の家が見つかるといいのだが。
「……にしても、昨日の今日でよく見つけたねぇ。どうやったの?」
「これもメイドの技量ですから」
「諜報員すごい」
私の知っている一般的なメイドとはだいぶかけ離れている気もするが、これが美月君と言うものである。大抵の無茶はどうにかしてくれているので、頭が上がらない。
「……旦那様、確かこの辺りだったと聞いています。降りてみましょう」
「やっぱり左京からこっちは遠いねぇ。牛車が広くて良かったわ」
少し伸びをしながら牛車から降りると、そこには普段はあまり見ることのない景色が広がっていた。一言で言うなら庶民街、わざと嫌な言い方をするなら……
「スラムみたい、でしょうか?」
「も少しオブラートに包みなさいよ。しかも代弁したみたいな語尾しおってからに。片田舎って言いたかっただけだわ」
そもそも右京、特にその南部は桂川による湿地帯である。それによってここら一帯の人口は少なく、本来禁じられている耕作さえ行われている土地も散見される。京職とかに報告すべきなんだろうが、したところで対処出来る力も残ってはいないだろう。
少し歩けば、目的の家はすぐに見つかった。優雅に咲き誇る梅の大木を擁する、地域性に少し見合わない規模の家である。自宅に比べれば当然小さいが、庶民宅と言うにはやや大きめか。やはりここが……
「随分立派な梅の木でございますね」
「見事なもんだねぇ。よし、家主に許可を取ってこよう」
「許可って、これ持って帰るのですか?」
「そういう指示だからねぇ。そのために荷車と人足連れて来てる訳だし。御免くださーい!」
声をかけると、家の使用人と思しき女性が顔を出してきた。主命によって梅の木を持って行きたい旨を伝えると、使用人は引っ込んでいった。家主に伝えたのだろうか、暫くすると短冊状の紙を手に戻ってきた。
「これを枝に結びつけ、そのまま持って行かせよとの言伝で御座います」
「……やっぱり。よし、掘り起こして運び出しなさい。根っこは傷付けないように」
人足に作業をさせ、使用人にもっと詳しい話を聞くとしよう。後でまた来るより、ここで聞いておいたほうが良い。
「失礼ですが、この家の主人は……?」
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「……と言うわけで、その梅の木を持って参りました次第で御座います」
「苦労を掛けたな。して、その手紙がこれか」
無事内裏へ運び込まれた梅は、予定通りの場所へ植えられた。様子を見に来た村上帝に経緯を伝え、結び付けられた手紙を渡す。
「早速見てみよう。どれ……」
勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問はば いかが答へむ
(勅であるなら大変畏れ多いのでお断りしませんが、もし鶯に「巣は何処なのか」と問われたら、私はなんと答えれば良いのでしょうか)
「…………この梅の持ち主、誰であった?」
「運び出す際に尋ねましたところ、紀貫之殿の御息女様と。梅の木は貫之殿の形見だったそうです」
大鏡に記されていた通り、あの家の主人は紀内侍その人であった。父親は名歌人と名高い紀貫之で、彼女は父の形見であった梅の木を至極大事にしていた。今回詠まれた歌も史実通りである。
「……そうか。さても残念なことをしてしまったものだ」
(よし、最後まで史実通りに事を運べた)
一字一句、とまではいかないが、大鏡の表現に大きな変化が起きることはないだろう。今更「変えない努力」をする必要があるかは分からないが、ある種の自己満足である。一研究者として、史料に刻まれた一端に触れることが出来たのも幸いであった。
「せめてもの罪滅ぼしだ、この木はなるべく大事にするとしよう」
「ええ、それが宜しいかと」
美「内容は史実通りでしたけど、時期は合っているのですか?」
義「大鏡には『天暦の御時に』とあるんだけど、年号の天暦なのか村上帝の異名を示したものなのかはっきりしないんだよねぇ」
美「えぇ……」




