第九話〜応和二年(ユリウス暦962年)〜
○-○──鴨川堤の修復──○-○
「……堤の修復、で御座いますか?」
「左様。鴨川の北に山があるわけだが、大方そこの雪解け水やらが流れ込んだのであろう。決壊した堤の修復を卿に命じたい」
鴨川と言えば、天下に名だたる暴れ川である。白河法皇のこぼした「天下三大不如意」でお馴染みの人もいるだろう。平安朝廷もこの対処には頭を悩ませ、初期には「防鴨河使」が設置されている。
「しかし、それは山城守殿の職掌では? 防鴨河使は100年ほど前にそちらに吸収されたはずですが」
「流石は左大臣も認める故実家であるな、若くとも優秀だ。それなんだがな、当の守は屋敷が酷く浸水したとかで動けんらしい」
「……現地での巡検とか必要でしたね、そう言えば。蔵人の仕事は六位蔵人にやらせましょう」
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「と言うわけでやって参りました鴨川、ご覧の通り大惨事です!」
「どんなテンションですか旦那様、しかも何ですか『と言うわけ』って」
「それはね、かくかくしかじかなの」
「まるまるうまうまですか。しかし、これはまた派手に決壊しておりますね」
目の前に広がるは鴨川の堤、の残骸。一度弾けたことで水量は収まっているが、その放出先は目も当てられない有様である。これが現代日本なら大水害だろうが、この頃はまだそこまででもないのが救いか。
「それで旦那様、ここでは何をするのですか?」
「そうだねぇ。決壊箇所の確認、修復工事の監督、かな。全部終わったら報告書書いて奏上で終わり。工事の手は……雑徭だよねぇ」
雑徭の徴用は本来なら国司権限である。だが今回は臨時で山城権守にしてもらっているので、その辺りは問題ない。
「雑徭なら聞いたことがあります。しかし、農民への負担が大きいのでは……?」
「京域内からなら労働6日前後+徭銭で山城国内からだと20〜30日、何れも食糧供給は規定無し……そら負担なるよなぁ。でも下手に改善しようとすると方々から怒られるし……」
「雑徭以外の手は?」
「無いんだよねぇ。ええと、後やる事は……主計寮に概算伝えて名簿作って、人数次第だけど弾正に巡行させて……」
「……お手伝いします…………」
屋敷の復旧が終わった山城守が復帰した頃には、目に見えて窶れていたらしい。美月君談である。
○-○──南都諸寺の野分被害──○-○
「……以上、台風被害の点検報告を終わります。建物や塀に被害が出なかったのは、今回の規模を考えれば幸いと言えるかと」
「そうねぇ。庭の木は一本へし折れたけど、まああれくらいならどうにかなるし」
西暦なら8月末のこの時期、ここでは勿論台風の季節である。先日のそれは特に強く、家中の格子や妻戸を閉じて対抗した。
「左大臣様御入来!」
また来た。なんで毎回唐突なんだこの左大臣は。事前アポ不可のロケかなんかしているのか。呆れつついつもの門に行けば、いつもの人がいつもの車から出てきた。いつものことである。
「おお蔵人殿、お主の方はどうじゃったか?」
「また来たんですか左大臣様。此方は幸いなことに何もなく、ほぼ無事で御座いました。しかし噂には、南都の寺が手酷い被害を被ったとか……」
「お主の耳にも入っておったか。実は、興福寺もやられてしもうてのぅ……」
耳に入っていたというか、知っていたというか。記憶の限りでは東大寺南大門も倒壊していたはず。こっちは再建まで230年ほどの間隔が生じ、鎌倉時代のものが現代に遺っている。
「興福寺は確か、左大臣様の氏寺で御座いましたな」
「うむ。しかも当代の氏上は儂故に、その修復は儂が監督せにゃならん。面倒じゃのぅ」
氏上、或いは氏長者は文字通り氏族の長である。氏族内での祭祀権を行使する存在であり、氏寺の保守管理もその責務の一つだ。
「しかし、興福寺の造営には朝廷もかなり噛んでいたはずです。その方向から資材等調達はなされないのですか?」
「なに、どうせ堂宇が一つ崩れたのみ。主上を頼らずとも再建は容易じゃて」
「そうでしたか、それは失礼しました。再建したら、是非とも参詣したいものです」
「ほっほ、再建時と言わず近いうちにでも参れば良かろうて。声を掛けてくれれば儂も共に参ろうぞ」
……本音を言えば、すぐにでも行きたい。どんな研究者であっても「平安中期の興福寺を隅々まで観察できる機会」なんぞ与えられないだろう。だが、自分の上司と行くのはなぁ…………
「いやいや、左大臣様のお手を煩わせるわけには……」
「いやいや、それ位構わんよ……」
「いやいや……」
「いやいや……」
以下省略。無限ループって怖くね?
美「『天下三大不如意』のあと二つって何ですか?」
義「『双六の賽』『山法師』だね。前者は盤双六におけるサイコロの目のことで、自身の腕が上がらないこととか、双六賭博の規制が進まないこととか言われてるよ。後者は延暦寺の僧兵のことで、よっぽど頭を悩ませていたみたいだね」
美「では、それ以外は思い通りになると?」
義「うんにゃ、『不如意』なだけであって他が意の如く動いたわけでもないよ。抑も、挙げられてるものが天災、確率、政治だしねぇ」




