第一話〜ここはどこ?〜
ある文豪の作品に曰く、トンネルを抜ければ雪国が広がっているらしい。これが全く使い古された表現であることを承知の上で、私はこれを用いたいと思う。
目を開くと、そこは一面の草原であった。
「……私の家は? さっきまで家の地下室にいたと思うんだけど」
「私も同じ認識でございます、旦那様」
そう、ついさっきまで私達を守ってくれていた愛しの我が家が、全く見知らぬ土地に姿を変えてしまったのである。
裸眼視力1.0を誇る私の目が間違っていなければ、目の前には大きな川が流れている。私から見て右から左へ、護岸も何もされていない川が滔々と流れている。ここは河原であるらしい。右の方、つまり上流は二手に分かれていて、左の方で合流している形だ。そして下流側には橋が架かっている。コンクリ製の簡素な橋とかではなく、木製の古めかしい橋である。
川の向こうへ目を向けてみれば、川を挟んでかなり近い所に建物があるように見える。但し高い建物は見える限りでは存在せず、どれも平屋クラスの低いものだ。屋敷か何かに見えなくもないが、もっと近付かないことには分からない。
結論、ここは現代日本ではない。なら考えられる答えはこれだろう。
「これ実は異世界転生的なあれで、見た目が大きく変わっていたりしない?」
「いくらか若く見える以外は、いつも通りの野寺義憲様でございます」
なるほど、転移転生系ではなく若返り系か。過去に戻って人生をやり直すのも良いと思うが、だったらあの懐かしくも輝かしい青春時代にいて然るべきだと思う。罷り間違っても、こんな千年レベルで過去に戻ったような平原にいて良いはずがない(私見)。
まあ、それはそれとして、である。
「……かなり冷静に見えるけど、どうしてこうなったか見当ついてるの?」
そう、この隣にいる私のメイドは、この状況下にあって全く冷静に受け答えしているのである。私より16も年下なのに、下手したら私より大人びているではないか。
「恐らく、ほぼ確実に旦那様の責任だと思われます。もしお心当たりが無いのでしたら、不肖この高瀬美月が、旦那様のメイドとして御説明申し上げますが」
「分からないんでお願いします」
*>────<*
旦那様も覚えておいででしょうけれども、私の記憶している最後の日付は〈西暦2019年11月24日〉でございます。この日は日曜日でしたので、旦那様は勤務先の大学がお休みなのをいいことにお屋敷の地下室を漁っておりました。
「『漁って』って……」
「手当たり次第に且つ無造作に引っ張り出しては放り出していたので、これが一番正しい表現だと思いますが」
「すいませんでした」
話を戻しまして、旦那様が地下室を漁っておりましたところ、部屋の最奥部から沢山の計器類とパネルの付いた機械が出て参りました。危ないと私が止めるのも聞かず、旦那様はまるでおもちゃを見つけた3歳児のようにその機械をいじっておりました。
「『3歳児』って……」
「再三にわたる私の忠告を聞いて頂けていたなら、こんな言い方はしなくて済んだのですが」
「すいませんでした」
それはさておき、そうして旦那様が機械をいじっておりましたところ、付いていたパネルが突然光り出したのでございます。同時に大きな音でアナウンスを始め、地下室一帯は機械から発された光に包まれました。そして恐らく私達の何方も気を失い、今に至ります。
「アナウンスはなんて言ってた?」
「そうですね……確か、頻りに『エラー』とか言っておりました」
「完全に原因私だねこれ」
*>────<*
「旦那様、ご理解頂けましたか?」
「本当にすいませんでした」
よく思い返せば、確かにそんな記憶がある。大方祖父か父の遺産の一つだろうが、随分と物騒なものを遺したものである。好き勝手いじって(多分)壊したのは私なわけだが。
「……帰れると思う? これ」
「一介のメイドには分かりかねます」
「だよねぇ……」
しかし、どうしたものだろうか。ここが何処だか分からないのに、何だったらいつなのかも若干怪しいのに、他に帰る手段があるだろうか──正直、これは反語で語りたいところである。
「……旦那様、向こうから誰かが参ります」
「え?」
振り返ると、橋の方に辛うじて人影が見える。性別は恐らく男性で、服装は細かくまで判別出来ないが、少なくとも現代的な洋服ではないだろう。頭に烏帽子のようなものを被っていることからも、この判断は間違ってはないと思われる。
その後ろには、何か乗り物のようなものが続いている。「何か」と言ったが、その形は何処からどう見たって牛車であることは明白である。模様と形から恐らく小八葉で、平安時代で最もポピュラーな種類である。勿論、牛と牛飼童も付随している。他にも車副と思しき人間が数人。
車副の一人は、こちらを認めると手を振りながら何か叫んできた。向こうはこちらと面識があるのだろうか。生憎こちらにはないので、人違いだろう。
「主様ー! やっと見つけましたぞ主様ー!」
これ、もし人違いではないとなったら、どうすれば良いんだろうか。
初めての方もそうでない方もこんにちは、一条中納言従三位藤原朝臣公麿と申します。
我が人生二つ目の連載でございます。お付き合い頂ければ幸いと存じまする。