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Ark

作者: ネム。

お題 すっぽんぽん ニート 膝蓋腱反射


 ハンマーは振られる。僕の膝頭の真下を鋭く狙って。鈍い衝撃、そして痛みの後に、僕の足は間抜けに跳ね上がる。壊れたおもちゃみたいに、ただ上がっては力なく下がる。

 こんなことが何になると言うのだろう。

 僕はハンマーを振る彼女に向かって問いかけた。

「何の意味があってこんなことをするんですか」

「…………」

 彼女は何も答えない。彼女の着ている白衣のように白い沈黙が場を包む。彼女は答えの代わりのように、ハンマーをまた振るう。鈍い衝撃、痛み、跳ね上がる足。何度目かの感覚になるが、慣れることはない。

 見知った自分の部屋が、異質な体験によりどこか形を変え、異空間のように感じられた。ここはいったいどこなのだろう。本当に僕の部屋なのだろうか。実は自分の知らぬ間に、僕の部屋ではないどこかへと変わってしまったのだろうか。

 あるいは、僕の部屋などという認識自体が最初から間違っていたのだろうか。

 壁にかかったアニメのキャラクターの笑顔が目に入った。一番最初にハマったアニメのキャラクターだ。その笑顔がやたら眩しくて、眩しすぎて、受け止められない。

 ああ、どうか笑わないでおくれよ。こんな僕を……。


 始まりはいつだって突然だ。それは迷惑な来訪者で、ノックもせずに入ってきて土足で日常を踏み荒らしていく。そこに礼儀や礼節なんてものはなくて、彼らの「目的」しかないのだ。


 僕の日常は、この部屋で始まり、この部屋で終わる。

 真昼に起きて、部屋の外にあるご飯を回収して食べる。二リットルのお茶をがぶがぶと飲み、喉を潤す。味などはどうだっていい。空腹と喉の渇きを解消するためのツールでしかないから。

 後はゲームの時間だ。

 ファンタジー世界のオンラインゲーム。ここでは僕は英雄だ。ここだけでは英雄だ。前線を駆け抜ける騎士となり、僕はこの世界を生き抜いている。

「アキラ、眠りし幽玄の龍って戦った?」

 アキラとはこの世界での僕の名前だ。音声チャットで、戦友が僕に語り掛けてきたのだ。

「いや、まだ」

 最新アップデートで増えたこの龍と、僕はまだ戦ってはいなかった。強敵である、という噂は聞いていた。聞いていたからこそ、強化をしてからと思っていたのである。

「挑まないか?」

 強化は既に済んでいた。断る理由を見つけることの方が、その龍を倒すことより、数倍難しいように思えた。

「いいぞ」

 返事は、決まっていた。

 眠りし幽玄の龍は、渓谷の深くにいるということだった。山の頂上に座しているのではなく、谷の深くで悠然と眠っているということだった。

 道中もさほど苦しむことはなく、三十分ほどで、僕らのパーティーは龍の元へとたどり着いた。

「何か、案外あっさりと着いたな」

「これが、眠りし幽玄の龍……」

 僕たちのキャラクターの何十倍もあるであろうその深い緑を基調とした龍は、ただ静かに眠っていた。

 冒険者たちのことなど気にもせずに、まるで僕らがここに存在などしないかのように、眠り続けていた。

「眠り続けてるな」

「おい! 不用意に近づくなよ!」

「あっ、あぁごめん」

「だけど、起きないな……」

 四人でぐるぐると龍の周りを調べてみる。特に変わったギミックなどは仕掛けられていないようだ。龍が眠っている理由が油断からなのか余裕からなのかは分からなかった。

「囲むぞ」

 僕がポツリと呟くと、場に緊張感が走った。

 今行っているものが、遊びではなく、戦いになったのである。

 四人で陣形を組む。接近戦を得意とする僕ともう一人の仲間で挟み撃ちにし、トリッキーな戦術を得意とする弓使いが僕の後ろで隠れるように待機。最後に大魔法で火力を担う魔法使いが、遥か後方に位置する。いざというときは回復もしてもらうため、敵の攻撃の届かない場所にいてもらうのだ。

「行くよ?」

 魔法使いが詠唱を始める。この魔法が敵に当たると同時に戦闘が始まる。魔力が高まり、じりじりと場に緊張が走っていくのを感じながら、胸の高鳴りを抑えていた。

 詠唱が終わり、龍の頭上に現れた巨大な火の玉が龍を包み込む。火の玉は火柱となり、煌々と燃え上がっている。その中で龍がどのような状態になっているのかは視認できない。

 だがそれと同時に挟み撃ちを仕掛ける。勝負は最初のアドバンテージが大切だ。攻撃される前に、致命傷を与えなければならない。剣を振りかざし、勢いよく飛び込む。体重を剣に乗せ振り下ろす。

 そこには輝く龍の瞳があった。

 それを見たと同時に畏怖というものを感じた「戦ってはならぬ者に手を出してしまった」という事実が一瞬で理解できてしまった。

 その畏怖で怯んだ間に、龍は行動していた。

 とっさの判断で右に向けた盾に、龍の尾が鈍く当たる。

「ぐうっ……」

 なんとか直撃は避けたものの、衝撃により後ろへと追いやられてしまう。

「あっ、やべぇ!」

 そこには同じく尾が当たったのであろう、弓使いがいた。守り切れていなかったのである。

「今回復する!」

 そう言ってアイテムのショートカットキーを押そうとしたその時。

 そいつは現れた。

 勢いよく扉が開かれ、黒いショートカットの髪に眼鏡をかけた医者らしき女がそこに立っていた。

「は?」

 口から漏れたのは間抜けな響きだった。

 女は拳を振り上げる。どこかで見たようなその動きは、次の女の動作を察知させた。女は体重を拳に乗せ振り下ろす。

 畏怖を覚えたのは、やはりこっちの方だった。

 振り下ろされた拳は、避けようとしたこちらの顎に目がけてクリーンヒットした。視界が歪んで、世界がおぼろげになっていく。

「アキラ!?」

「アキラさん?」

「どうかしたんですかー?」

 仲間たちの声が聞こえる。

 だが、僕の意識はその呼びかけに反して少しずつ遠のいていった。


 右膝の違和感で気が付いた。

 続いて起こるのは左膝の違和感。

 眼前に広がる異常な光景。自分の膝にハンマーを振るう女医の姿。

 いつの間にかパソコンの電源は落とされており、画面の黒さが自分の行きつく先を暗示しているようであった。

 上半身は椅子に縛り付けられており、身動きが一切取れない。反抗しようにも反抗できない。いや、動けたとしても、ろくに体も動かさずにゲームばかりしていた自分の力では、女性とはいえハンマーを持った人間に太刀打ちなどできないだろう。

「どうしてこんなことするんですか?」

 幾度目かの質問。幾度目かの沈黙。幾度目かの衝撃。

 振られるハンマー。

「…………」

 終わりのないこの状況に苛立っていた。思わず声を荒げて、もう一度問いかける。

「どうしてこんなことするのかって聞いてるんですよ!!」

「……」

「父さん! 母さん! 誰かいないの!」

「……」

 この質問にも、誰も答えない。そうか、父さんは会社で母さんはパートだ。誰も答えるはずがない。

「あなたが歩けるかどうかの検査ですよ」

 意外な声が代わりに答えた。

「は?」

「あなたが歩けるかどうかの検査です」

「何言ってるんですか?」

「歩けるんですか? あなた」

「歩けるに決まってるでしょ」

「自分の足で?」

「自分の足で!!」

 ふざけたことを言ってやがる。

 僕が、歩けないとでも? 確かに外には出ていない。だが、歩けなくなったわけじゃない。歩けるに決まっているだろう?

 この足は確かに僕の体を支え、地を掴み、運んで行ってくれる。

 そこには、何の問題もない。あるはずがない。

「そうですか……」

 そう言うと、女医は僕の拘束を解き始めた。するすると紐が体を離れ、し辛かった息もしやすくなり、新鮮な空気が肺を満たす。

「本当に歩けるんですね?」

「当たり前でしょ! バカにしないでください!」

「……そう」

 一言呟くと、女医は、僕の服を右手で掴んでいつの間にか持っていた大きなはさみで二つに裂いた。

「何するんですか!」

「動くと危ないですよ?」

「だから……」

「怪我するかもしれませんね」

 特に脅している声色ではないのに、抵抗する意思は綺麗に消え去ってしまった。それはまるで、王者の風格であった。絶対的な上と下が刻み込まれてしまっているのだ。

 さほど時間もかからず、僕が着ているものは切り刻まれ無残なことになっている。

 それよりも無残なのは。

 何も着ていない状態の僕だ。生まれたままの姿で滑稽にも椅子に座っている。ありのままで生きるのは僕じゃなくてフィルムの中の存在だけで十分だろう。

「自分の足で歩けるんですか?」

 女医は壊れた機械のように、また同じような質問をした。冷静な声色が癪に障る。

「当たり前でしょ! こんなふざけたことして、何がしたいんですか!」

「歩けていると思っているんですか?」

「はぁ?!」

「服、パソコン、家、食事、飲み物。何一つあなたの物なんてないじゃないですか」

「……」

「誰かにおんぶされて生きながら『自分の足で歩けている』なんてほざくんですか」

 女医は僕の手を引いて、部屋を飛び出した。

 久しぶりに目に入った部屋の外の壁は、心なしか色あせているように見えた。前に見たのは、何年前のことだったろうか。

 そのまま玄関へと向かい、外に出ようとする。靴も履かず、裸のままの僕を連れて。

「ちょっ、ちょっと待ってください」

「自分の足で歩けるんですよね!」

「それとこれとは話が違う!」

「いつまで借り物だらけの日常に浸っているんですか!」

「浸っているつもりじゃなかった!」

「惨めじゃないんですか。歩けるというのに歩かないのは!」

「許してくれ! 違うんだ!」

 だだをこねる子供のように、玄関に座り込み抵抗し続ける僕は、誰かの想像する「大人」とは微塵も重ならないのだろう。

「生きていないんですよあなたは! 死んでいるんです!」

「あんたは一体何者なんだよ!」

 もはや問答になっていないその言葉を発した途端、見ている景色が変わった。

 眼前にいるのは、死んだ目をした汚い髭面の男だ。それが自分であることを理解するのに、少しだけ時間がかかった。

 どうして僕は僕の顔を見ているんだろう。

 生ぬるい液体が体を流れる。

 気が付いてみれば、まだ裸のままである。

 生ぬるい液体は、どうやらお湯のようだ。出所を見てみると、「お久しぶりです」なシャワーヘッドである。

 ああ、ここは我が家の風呂場なのか。

 そして僕が見ていたこれは、鏡か。

 汚い髭面の男の表情は、生気がなく、死んでいる。

 ニコッと笑ってみた。不器用な笑顔は、生気のなさを際立たせていて不気味である。こんなに逆効果の笑顔はお目にかけたことがない。酷い有様だ。

「自分の足で歩く、か」

 確かに今も、僕の足は僕を支えてくれている。でも違う。歩くとは違うのだ。

 温度を調節して、生ぬるいお湯の温度を、熱いぐらいに設定した。

 上がったらまず、髭を剃ろう。僕はそう決意した。頭の中でイメージした剃刀の刃が、何故かあの時振るった剣と被った。

 ああ、何だか戦えそうな気がする。

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