第六話 「奴隷」
※暴力的な表現が多少あります。苦手な方は読まないようにお願いします。
僕が十歳になった次の日。
僕はお母さんと、食事を運んでくるメイドのおばさん以外の人間を初めて見た。
部屋の扉が開かれると、一目で上等だと分かる派手な服を身につけた、胸のむかつく様な香水のにおいをぷんぷんさせた、ギトギトした気持ち悪い肥えた豚みたいな男がいた。
その男のそばには、体格の良い男が二人控えている。
「それが、お前の大事にしているガキか」
低い声だ、偉そうな声で肥えた男が言う。
この男たちが何者で、何をしにこの部屋に来たのか、僕にはさっぱり見当がつかなかったが、お母さんが体をわずかに震わせて、怯えている事だけは分かった。
いや、認めよう。
嫌な予感がしていた。
そうじゃないかと疑った事もあった。
認めたくなかっただけなのだ。
「ふん、ガキを連れてこい」
そう言って肥えた男は部屋を後にした。
体格のいい男達が僕の腕を捕まえて部屋の外へ行こうとするとお母さんが叫び声をあげた。
「待ってください!カインは何も知りません!カインはまだたった十歳なのです!ご主人様!どうかご慈悲を!」
僕は初めて聞いたお母さんの大声で、ほとんど正しく状況を理解していたと思う。
男たちはお母さんの声などは聞こえない様子で僕を連れていこうとする。
お母さんは一層必死な声をあげて、ありそうにない主人の心変わりにすがっている。
たぶんあの男は聞いてもいないだろう。
「お母さん、僕は大丈夫だから心配しないで」
何か言った方が良いと思って、引きずられながらお母さんに声をかけた。
お母さんはボロボロと涙をこぼしながら、僕に謝り続けた。それを聞いていると悲しくなった。
「大丈夫、行ってくるよ」
扉の外は廊下になっていた。
廊下といっても大した長さはない。
ほんの少し歩けば、すぐに端についてしまうだろう。
「別に逃げたりはしません。自分で歩きますので、手を離していただけますか」
誰かに気遣い無く引かれながら歩くのは大変だった。
「ついてこい、逃げるなよ」
手を引いていた男が手を離してくれた。
話の分かる男らしい。
そうして僕は前を歩く男一人と、僕の後ろをついて来る男一人に誘導されながら歩きだした。
廊下を抜ける、外に出ると見上げるほど大きな、石造りの屋敷が目に入った。
二階建ての頑丈そうな屋敷だ。
部屋も二十や三十くらいありそうに見えた。
質素な扉を開けて屋敷の中へ入る。
誘導されるがまま歩いて、階段を下りて、頑丈そうな鉄扉の向こうに放り込まれる。
その時手を引いていた男がぽつりと言った。
「不憫な子だ」
その男の表情は、鉄扉に阻まれて見えなかった。
体がさっきから震えている。
怖いのだ、何をされるか分かったものではない。
どうせ碌なことではないのは察しがついている。
それでも歯の根が鳴りそうな程に怖かった。
部屋の中はぼんやりと明るかった。
蝋燭とはまた違う、青白い光が蝋燭置きから発生している。
この部屋には、実際には見た事のない様々な道具が整然と並べられている。
鎖。十字架みたいな物。変な形のナイフ。やけに大きいやっとこ。木馬。
いろいろあるが、最後に醜い豚。
いや、違わないだろうが、違う。
部屋の中には一人だけ人間がいた。
背丈は僕よりもずっと高い、お母さんと同じくらいあるだろう。
横幅はお母さんの倍ぐらいはあるに違いない。
上等そうなふわふわの真っ赤なドレスが絶望的に似合っていない。太り過ぎだ。
顔の作りも、良し悪しを語る以前にパンパンで、きっとこいつは若いうちに生活習慣病で死ぬだろう。と思った。
「まあ、可愛らしい!」
キンキン声が不快だった。舐めまわすような視線がもっと不快だった。
「ジーナから聞いたのよ?お父様の奴隷が孕んで子供を産んだんですってね。そのガキの見た目がとてもそそるんだってジーナは言ってたわ。だから私お父様にお願いしたの、どうせ奴隷の子供なんて何にも使えないんだから私に下さいなって。お父様はキチンと躾をするなら構わないとおっしゃったわ。当然ね。だからあなたは今から私のものよ。嬉しいでしょう?」
この破裂しそうな娘の話を私はほとんど聞いていなかった。
奴隷。
その言葉は僕にとって全く現実感が湧かないものだった。日本には存在しないものだったから。
それでも、そうなのだろうな。と腑に落ちた。
控えめに言っても、お母さんと僕の生活には違和感があったからだ。
服とも呼べないような粗末な格好。
物らしい物が何一つない狭い部屋。
つらそうな表情をしていたお母さんを見た事がある。
青あざを作ってきたお母さんを見た事がある。
泣きながら僕に謝るお母さんを何度慰めたか分からない。
奴隷の子供は同じく奴隷。
そう言う事なのだろう。
不意に僕が放りこまれてきた鉄扉が開いて、一人の男が何かをもってきた。
「ああ、用意できたのね。縛り付けて」
あれはなんだろうか、バケツみたいな物から棒が一本飛び出している。
「私の物には、私の物だと言う証を刻まなければならないでしょう?」
破裂しそうな娘が気味の悪いニヤニヤ笑いを浮かべている。吐き気がする。気持ちが悪い。
手を離してくれた男とは別の男が、僕を引きずって壁際の鎖に縛り付けた。
「さあ、素直に口を開けて?はい、あーん」
体が本能的に拒絶した。
というよりは自分の体が、上手く動かせない。
情けなくフルフル震えるだけで、ちっとも言う事を聞きやしない。
動けたならもっと抵抗できたのに。
「あら、怖くて動けないのね?大丈夫、ちょっと痛いだけよ?」
吐き気を誘う歪な笑顔が近付いてくる。やめろ。
僕の頬に指先が触れる。やめろ。
僕の唇に指先が触れる。やめろ。
「そう、勇気があるのね」
破裂しそうな娘の指先が離れても体はガタガタ震える。震えが止まらない。やめろ。
僕の体はもう自分の意思では指一本動かす事が出来なくなっていた。やめろ。
「面倒ね、むいてちょうだい」
男が僕が身に纏っていたボロ布を一息にはぎ取る。やめろ。
「ああ、本当に可愛らしい玩具だわ、舌を噛み切らないように歯を食いしばるのよ?」
子豚はおもむろにバケツから棒を抜き取った。やめろ。
それが何か認識する前にその棒が、やめろやめろやめてくれ。
僕の左胸の上あたりに押しつけられた。
「あ、が、いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
「ああ、最っ高……。可愛いわ」
熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
目の奥がちかちかして、熱いんだか痛いんだか分からなくなる。
日本で一般的な育ち方をしてきた僕にはこんな痛みを感じた事はなかった。
「もう良いかしら」
「ふふふ、きれいにできたわ」
「明日から楽しみね」