第一話 「その男はゲームマスター」
周囲には何もなかった。
真っ暗だ。
自分の姿も確認できない。
「こんにちわ」
すぐそばで声が聞こえた、耳触りの良いきれいな声だ。
「あの、聞こえますか?」
私が返事をしない事に不安を覚えたのか、若干声が震えている。
「はい、聞こえています。こんにちわ」
「は、はい。こんにちわ」
依然として声の主の姿は見えない。声の様子からすると、若い少年か、女性なのかもしれない。
「あなたは誰ですか?」
「は、はい。私はダイスという女神です」
「ダイスさん?女神、ですか?」
女神、と言う言葉を聞いて猜疑心よりも先に、暗い喜びの感情が湧き上がってくるのを感じた。
「は、はい。女性の神、です」
「運命とか司ってますか?」
「運命?ええ、私の作った世界なら」
この自称女神ダイスが本物の運命の女神だと言うのなら、私にはやらなければならない事がある。
「っ!姿を見せろ!ぶん殴ってやる!」
周囲は真っ暗で私には何も見えなかったが、彼女が呆然と立ちすくんでいる様子が簡単に想像できた。
「言いたい文句が山ほどあるんだ!お前が私にした仕打ちを忘れたとは言わせないぞ!」
あれはそう、習作を幾つも作り、それなりにプレイが上手になってきた時の事だ。
初めて自信を持って完成させた邪神系TRPGのシナリオがあった。
話は短く、行動範囲も狭いが、じわじわと恐怖をあおり、時に危険なトラップを仕掛け、不可解な謎を解き明かして、最終的には緊張感をもって脱出できる。
いい出来だと、予感を持てたシナリオだった。
実際に友人たちとプレイすると、予感は確信に変わった。
友人たちはのびのびと、けれども真剣にプレイしてくれて、私もゲームマスターとしてとても楽しめた。
しかしクライマックスで悲劇が起こった。さあ、脱出だと意気込んだ矢先のことだ。
シナリオのボスである邪神が姿を表し、プレイヤーたちのキャラクターを一人狂気に陥らせた。
それは私の狙い通りでもあった。取り返しのつかない状況ではない。この狂気でさえ私が演出したかった緊張感の一つだった。
あらかじめ友人たちに言い含んでいた通り、プレイヤーは狂気に対して対抗できる技能を持っていたのだ。(TRPGではサイコロを使って成否判定を決定する事がほとんどである)
狂気を回復させようとした成功率89%の友人は100ファン(大失敗)。
邪神の接近を防ごうとした筋力17の友人は98のファンブル(大失敗)、バリケードを作ろうとして下敷きになった。
発狂しっぱなしの友人は、運悪く自食衝動にかられ傷ついた自分の右腕を貪り食った。
邪神もこれを幸いと三人の友人に襲いかかろうとするがファンブル(大失敗)の嵐で後頭部をたんこぶまみれにした。
カオスだった。そこにはカオスしかなかった。
これはこれで楽しくはあったが、シナリオを自作した私としては、初回プレイぐらいはキチンと狙い通りに進んで欲しいと言うのが本心だ。なにせ初回プレイは一度しかできないのだから。
TRPGは大抵の場合、思った通りには進まない。
プレイヤーはそれぞれ自由に行動するのだから当然だ。
そんな事は分かっているし、長くやっていれば、たまにはそう言う事もあるだろう、と納得もできる。
だが、たまに起こる事ではなかったのが問題だった。
私が新作のシナリオをもちこんだ日は、必ずと言っていいほどサイコロが荒れた。(1に近い大成功か、100に近い大失敗が異様に出る事をサイコロが荒れる、と言う)
やがて、私が新作を作ってきたと友人たちに言うと
「はいはい、また荒れますね、ご愁傷様です」
なんて言われるのだ。
それだけの意味で放った言葉ではないのは分かっている。
それでもつらかった。
きっと軽口の類だったのだと理解もしている。
それでも哀しかった。
新しい話を楽しんでほしい一心で睡眠時間を削ってシナリオを書き、ハンドアウトを作成し、全てのデータを精査して、バランスが取れているか確認し、私の狙いがキチンと正しく動くかを何度も何度も確認する。
シナリオの長短など関係なく、一つ一つ全力で行わなければならない。
しかも、用意したデータの大半は一度のプレイでは使用されない事も多い。
大半が無駄なデータなのだ。それもつらい。
しかし手を抜けば緊張感も達成感もない、つまらないシナリオになってしまう。
だから手は抜かない。
つらくて、悲しくて、心が折れそうになっても手を抜いてはならない。
だからTRPGをプレイする人は天に唾を吐きながら言うのだ。
特にゲームマスターは、本心から言うのだ。
TRPGでつらい事があったら言うのだ。
『ダイスの女神はマジでクソ』
仕方がないのだ、理解している。
確率論を大上段に振りかざし、ランダム性を持たせるからこそ、思い通りにならないからこそ面白い。
それでも、ムカつくものはムカつく。
なんで今?なんでこれで失敗するの?なんで成功しちゃうかな?
だから私は、運命の、もしくはサイコロの女神に会う事が出来たら、
とりあえず一発は殴る。
と心に決めていた。