勇者のお供をするにあたって・32
『この感じ……まさか、こいつ、ラヴィールの!?』
ロゼが上空に浮かぶそれを注視しながら叫んだ。
私の視界の先、目に飛び込んできたのは、黒い猿の姿をした七大魔獣の一角、黒猿リトルマザーであった。
『これはこれはリトルマザー。わざわざこんな所までどうしたのです?』
惚けた様な態度でフェレスが話し掛ける。
『メフィスト・フェレス……。―――死ね』
問答無用とばかりに巨大な禍を放ちながらリトルマザーが冷たく吐き捨て、手の平に力を溜め始める。
『ふふ、随分嫌われてしまったみたいですね』
フェレスが呑気に嗤う。
冗談ではない。ここであんなものを放たれたら、フェレスどころか街ごと消し飛んでしまう。
フェレスが死ぬのは勝手だが、他を巻き込まないで欲しい。
「待ってリトルマザー! ここは人が多過ぎる! 何処か別の『うるさい』
リトルマザーが力を開放する。
――――激しい爆音と衝撃が一帯に押し寄せる。
しかし、それは街や私達が吹き飛んだからではない。
私達の視線の先、黒い髪を靡かせて、佇むのはリトルマザーとは似ても似つかない妖艶な美しい女性。
紅い魔女フレアその人であった。
「フレア!?」
私の言葉が聞こえていないのか、青筋を立てたフレアが呪詛を吐き出し始める。
『あんのクソボケ猿が! マロンに傷のひとつでも付けてみぃ、挽肉にしてくれたるわ! ボケェ!』
そう叫んだフレアは、自らが吹き飛ばしたリトルマザーを追って街の外へと飛び去っていってしまった。
「フレア!」
何故、彼女がこんな所に?
『おい! 追うぞ!』
ロゼの言葉にハッと気を取り直し、首から下げていた笛を吹く。
人の聴覚では聞き取れないその音色は、大陸中に届くかの様に高らかに鳴り響く。
笛の音が響くと、直ぐにジャズがやって来た。
そうして、私達はジャズの背中に乗ると、フレアの向かった先へと急ぎ飛び立った。
「フレア!」
私は何度目からになる彼女の名を呼ぶ。
そこでようやく、フレアは私へと顔を向けた。
『なんや来てもうたんかいな。危ないから離れとき。アイツはウチが相手するさかいな。あんたらは手ぇ出したらあかんで?』
そう告げ、フレアは砂漠に寝転がるリトルマザーに顔を向き直した。
「ひとりで相手するなんて無茶よ! アイツは黒猿リトルマザー! 七大魔獣の一角よ!」
『そんなん知っとるよ。ウチの心配はええから早よ離れとき』
言って、フレアは私達に向けて軽く指を振る。
フレアが指を振ると、私達の回りに泡が現れ、ジャズごと包み込みふわふわとフレアから離れ始める。
おそらく結界の類いだろうと予測する。
「待って! これを解いてフレア!」
泡の中から身動きが取れない私の声に、フレアが軽く手を振って答える。その横顔はどこか嬉しそうに微笑んでいる様に見えた。
私が再び声を上げようとした直後、爆発音と共に砂塵が巻き上がる。
『おーおー、猿がキーキー怒っとるんか?』
『……何? あんた? 私の邪魔するの?』
『猿が一丁前に人様の真似してお喋りとは、これがホンマの猿真似っちゅーやつか?』
『あんた―――ムカつく』
殺意の籠った声でそう呟いたリトルマザーがフレアに向けて腕を突き出す。
巻き起こる強大な禍の奔流がフレアに襲いかかった。
おそらく、その一発だけでラヴィールなどは街の半分が更地となるだろう。それ程に強力な力が込められているのが見てとれた。
しかし、対峙するフレアは慌てる事なく、むしろ歯を見せてニヤリと不敵に笑い、掲げた腕を真上から振り下した。
それだけでリトルマザーから放たれた強大な禍が立ち消える。まるで何事も無かったかの様に、少しの風を残して。
信じられない光景であった。フレアはあれを、あれ程の魔力を、相殺するでもなく完全に抑え込みかき消したのだ。
そんなフレアの実力を前に、私以上に驚いた顔を見せたのはリトルマザーであった。
『あんた……何者?』
『紅い魔女フレア様や、よう覚えとけ猿』
こうして、災厄を撒き散らす化物と、人智を超えた魔女の戦いが幕を開けたのである。
『出し惜しみはせえへんで。うちは節介やからな』
言いながらフレアが右手を真横に構える。
『魔帝・轟炎』
フレアが、まずは挨拶とばかりに軽い口調で右手を振り魔法を行使する。
突如、自らの真横に現れた強大な灼熱の塊をリトルマザーが禍を纏わせた片手で抑える。
高熱にさらされた砂漠の砂が、ドロドロと融解していく。
『永久の零白』
間髪入れず、フレアが真横に向けていた左腕を振り新たな魔法を行使する。
『――――ッ!』
残った腕に禍を纏わせたリトルマザーが、襲いかかる絶対零度の魔力を抑え込む。
これでリトルマザーは大の字を描いて両腕を封じられる。
『交錯!』
両腕をリトルマザーへと突き出していたフレアの左右の腕が正面で交差する。
炎と氷。二つがリトルマザーを中心に混ざり合い―――。
――――超爆発を巻き起こした。
しかし、爆発の余波が辺りを襲う事はなく、直径5メートル程の円球の中にその純然たる破壊の力全てを閉じ込めていた。
破壊の力が円球の中で渦を巻く。
それは一体、どれ程の破壊の力であろうか想像も出来ない。
あの中に居て助かる訳が―――。
『……ちょっと訂正したるわ、あんたはクソボケ猿やないみたいやな。……あんたは凄いクソボケ猿や』
少し呆れた様にフレアが言った直後、円球が破裂音と共に弾けた。
『ふー……ふー……殺す』
『やってみぃ、凄いクソボケ猿』
激しい息遣いのまま殺すと宣言するリトルマザーを、尚もフレアが挑発する。
『腐敗王の呪息!』
リトルマザーが己の手の平に唾を吐き出し、手に魔力を込める。
途端に、リトルマザーを中心にしてどす黒い瘴気が溢れ出す
。
溢れ出した瘴気は、大地に広がる砂をズグズグと融解しながら、まるで生き物の様に地表をうねり、フレアへと襲いかかる。
『魔法っちゅーのはな、ただ魔力込めたらええっちゅうもんちゃうねん』
自らに迫るどす黒い瘴気に慌てる事もなくフレアが告げる。
『泡 洗 浄』
魔法を唱えながら、フレアが指を鳴らした。
そうすると、地面を融解しながら蠢いていた瘴気が、無数のシャボン玉へと姿を変える。周囲にふわふわと浮かぶシャボン玉。
そうして現れたシャボン玉は、宙を漂いながら次々に割れ、直ぐに消えていってしまった。
『やっぱ汚物は消毒やな』
ケケケとフレアが笑った。
そんなフレアの態度に、リトルマザーは更に怒気を強める。
リトルマザーは胸の前で軽く両の手を合わせると、捩る様な仕草で魔力を練り固め始めた。
『猿のひとつ覚えやな』
ケケケと笑ったフレアが上空に舞い上がりながら両腕を大きく開く。
そうして空中に無数の魔法陣を浮かび上がらせる。
『乱れ射ちじゃ! どクサレ猿!』
叫び、フレアが腕を振り下ろしリトルマザーに向け指を差す。
上空から砂の大地を埋め尽くす様に、1メートル程の岩石が降り注いだ。
僅かな隙間すらも見せぬ程に降り注ぐ岩石を、リトルマザーが魔力を纏わせた左腕のみで捌いていく。右手には依然として練り固めた魔力の塊を持って。
数十秒に渡り降り注ぎ続けた岩石の雨が止む。
幾つかの岩石により傷を負っているものの、リトルマザーは岩石を凌ぎきった。
そして、岩石が止んだ事を確認すると邪悪に笑い、岩石を捌きながらも右手に練り上げていた魔力を一気に研ぎ澄ます。
『死ね』
そう冷淡に吐き捨てたリトルマザーが魔力の塊を手に振り抜く。
『あんたが死ね』
リトルマザーが腕を振り切るより前、そう告げたフレアがパチンと指を鳴らした。
パチンという音と共に現れたのは、砂の大地に描かれた巨大な魔法陣であった。降り注いだ岩石を消す物と消さずに残して置く物とで選り分け描かれたであろうそれは、僅かに光り輝くと、何本もの鎖を出現させた。
出現した鎖は瞬く間にリトルマザーを縛り上げる。
『――――封魔の陣ッ!』
鎖に締め上げられながらリトルマザーが苦々しそうに叫ぶ。
『ケケケ、これが魔女の戦い方や。猿には難しかったかな~ん?』
頬に人差指を当て、可笑しそうに小首を傾げて笑うフレアが、地上に降り立ち、ゆっくりと歩みを進めながら右手に魔力を集中していく。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!』
呪詛の言葉を叫びながらリトルマザーがフレアを睨む。
その目は赤く血走っていた。
『おー、こわー。ちびってまいそうやわ』
『あぁぁあぁぁぁあ!』
リトルマザーが体に力を込めているのか、鎖がキリキリと音を立てた。
『無理無理、地獄の大公爵かて封じる鎖やで? 自力ではどないもならんよ』
そう言いケケケと笑ったフレアの顔が僅かに曇った。
『があぁぁあぁぁぁあ!』
リトルマザーが慟哭の声を上げると同時、甲高い金属音と共に鎖にヒビが入り始める。
『嘘やろ!? ――――化けもんが!』
慌てたフレアが一気に距離をつめる。
放つのではなく直接手の中に集中した魔力をぶつけるつもりであるらしい。
しかし、フレアが最後の一歩を踏み出す前に鎖が砕け散る。
『押しきったるわ!』
そう叫び、振り切ったフレアの右手にぶつける様に、リトルマザーも手を突き出した。
巨大な魔力がぶつかり合う。
そして、僅かな押し合いの後、――――砂漠に大爆発が巻き起こった。