勇者のお供をするにあたって・13
私が近付くと同時に、ベッドの上に座っていた少女が大きく目を見開いた。
私に何の感情も見せなかった筈の少女の挙動に、ビクリと震え、踏み出しかけた二歩目の足が止まる。
歩みを止めた私に、少女が目を見開いたまま小首を傾げた。
そして、小首を傾げた勢いそのままに少女の首が真っ白なベッドの上へと落ちた。
「え?」
あまりの出来事に思考が止まり、硬直する。
そう為らざるを得ない程、唐突に少女の首が取れたのである。
瞬時に沸き上がる嫌悪感と共に、私は後方へと後退る。
そんな慌てる私を見た少女の首が可笑しそうに笑った。
何が起こっているんだ!?
混乱する私の目の前で、頭の無い少女の首から何かが出て来るのが視界に映った。
それは黒い指。
その黒い指はグチョグチョと音を立て、肉を掻き分けながら首から這い出し、少女の首へと指を掛ける。そうして指は手となり腕となり、徐々に少女の中から現れる。
私が呆然と見詰める中、今や両腕まで生えた少女の首は、メキメキと鈍い音を立てながら広がり、その広がった首から血にまみれた頭が現れた。
広がり裂けた少女の上半身からは血が滴り、彼女の白いドレスは鮮血に染まった。
「うっ」
そのあまりの気持ち悪さに、口元を押さえた私から思わず呻き声が洩れる。
そんな私などお構い無しに少女の中から現れたのは、猿の様な姿をした魔獣であった。
少女であったソレの首から上半身を現した魔獣が驚きで固まったままの私に向けて手を振った。そして魔獣は、小さく『バイバイ』と二重に曇った様な少女の声で言葉を発した。
直後、呆気に取られている私を激しい衝撃が襲う。
その衝撃を受け、大きく後方に吹き飛ばされて窓を突き破る。
空中に投げ出された私が、意識を失う寸前に見たものは、ガラガラと音を立てながら崩れる屋敷の姿であった。
気を失ってからどれ位たったのだろうか。
意識を取り戻した私が起き上がろうとする。それに伴い私の全身を激しい痛みが襲う。
痛む身体を無理矢理起こして辺りを見ると、既に陽は落ち、街は暗闇に包まれている。
そんな暗闇の中、遠くに輝く炎が見える。
それは篝火などでは無い。
街が燃えていた。
慌てて炎へ向けて走り出す。
が、全身を駆け巡る痛みの為に、思う様に身体が動かない。
私は走りながらも、不馴れな回復魔法を詠唱し、自らに施す。少しだけ痛みが和らいだが、どうも肋骨が折れているらしく、呼吸をする度に激しく痛む。
私の回復魔法では骨折までは治癒出来ない。
しかし、二人が心配で堪らない。
痛む身体に鞭打って、私はほぼ徒歩と変わらない速度で街の中心、広場へと向け、歩を進めた。
街の中心に近付く程、炎は明るさを増していく。
建ち並ぶ建物は至る所が壊れ、瓦礫が道に散乱していた。
進む道の先、地面に倒れ臥す数名の住民達の姿が目に入る。
どれも血溜りが広がり、既に息は無い様だ。
それらを視界と思考の端に追いやり、更に奥へと進む。
炎に背を向け、此方に向かって逃げて来る住民達がチラホラと目に付き始めた。
中には瓦礫を前にして泣き喚き、助けを求める女性の姿もあった。
私は女性に近付くと、魔法によって生み出した風を用い、瓦礫を退けてやる。
そうして瓦礫の下から現れたのは、男性と子供。女性の身内だろうか。しかし、血にまみれた二人は既に息絶えている。
子供を抱き上げ、名を叫びながら悲痛な声で泣き喚く女性を残し、私は尚も広場へと向かう。
昼間、祭りであれだけ賑やかだったラヴィールの街は今や見る影も無く地獄の様相を呈していた。
この惨状は、恐らくあの魔獣の仕業だろうと推測する。
あれは間違いなく言葉を発した。『バイバイ』と。
知恵ある魔獣。それはつまり膨大な禍を取り込んだ統率個体であるという事。
私は舌打ちし、何処かに居るであろうあの魔獣に悪態をつく。脇の下が酷く痛んだ。
私が少女が行動を起こす前にそれに気付けたなら防げたかも知れない。だが、私は気付けなかった。防げなかった。
惨状を前に自責の念で押し潰されそうになる。
「ごめん」
誰に言うでもなく、私は虚空に向けてそう言葉を呟いた。
広場の少し手前、息も絶え絶えに歩を進めていた私の視界に数匹の大きな猫の様な魔獣の姿が映った。
それらの魔獣に背を向け、逃げる女性。
見覚えのあるその女性を魔獣達が追い掛ける。
私は素早く詠唱を済ませ、魔獣に向けて氷魔矢を放つ。ズキリと僅かに身体が痛んだ。
逃げる最中に躓き、頭を抱えて踞る女性に襲いかかる魔獣達。
そんな魔獣達の頭を同時に矢が射抜く。
それに気付かず、尚も頭を抱えて泣きじゃくる女性に近付き、『もう大丈夫よ』と声を掛ける。
私の言葉に涙でぐちゃぐちゃになった顔を向けたのは、昼間、ステージで見た司会の女性であった。
彼女は一度私の顔を見た後、頭を射抜かれ自分の傍で倒れている魔獣を見やり、『ひぃ』と小さな悲鳴を上げた。
「ねぇ、ロゼ達は何処に行ったか知らない?」
私は出来るだけ優しい声色を意識して女性に質問を投げ掛けた。
女性は魔獣の亡骸に取り乱しつつも私の問いに答える。
『ゆ、勇者ロゼ様は、広場で奥方様と共に魔獣を相手してくれています! ですが、魔獣の数が多く、いくら勇者様といえど』
「そう、二人はまだ無事なのね。ありがとう」
私は彼女の言葉を遮る様に礼を述べ、広場へと向かう。
二人は無事ではあるものの、事態は一刻を争う様である。
ややあってから『あ、あの! ありがとうございます! お気をつけて!』
司会の女性が足早に広場へと進む私の背に向け、礼を述べてきた。
私は正面を向いたまま、片手を上げてヒラヒラと手を振って返した。
広場へ着くと、そこは夥しい数の魔獣で溢れていた。
ステージや広場の周りの建物は激しく燃え盛り、広場を煌々と照らし出している。
そして魔獣達の中心、魔獣に囲まれるロゼとクゥの姿が見える。
私は痛む身体に構う事なく、一度大きく息を吸い込むと詠唱を開始。
ロゼとクゥが魔獣と攻防を繰り広げる中、魔獣に向けて魔法を行使する。
魔獣の群がる地面から、尖った岩が幾つも突き出し魔獣を蹴散らしていく。
突然の不意打ちで私に気付いた数体の魔獣が、此方に向かってくる。
しかし、ロゼの剣から放たれた剣撃がそれらの魔獣を切り裂き、私への接近を阻止する。
魔獣の注意が私とロゼに向いたその隙をクゥが見逃さず、一瞬にして二体の魔獣の首をへし折った。
「二人とも無事で良かったわ!」
『そりゃこっちの台詞だよ! スゲー心配したんだから!』
依然として距離があるものの、私の言葉にロゼが大きな声で返す。
言葉と共に放たれた氷魔矢が更に4体の魔獣を仕留める。
仕留め損なった1体が私に向かって来るが、それを大きく跳躍したクゥが上空から強襲し、魔獣の頭を地面へとめり込ませる。
害虫でも相手しているかの様に嬉々として魔獣の頭を踏み潰すクゥの姿に若干引く。
そんな私の感想など露程にも知らないクゥが潰れた魔獣には目もくれず、私に抱き付いてくる。
『マーちゃん! マーちゃん!』
嬉しそうに抱き付くクゥが力を込める度に、私のあばらが悲鳴をあげる。やめてください死んでしまいます。
口から白い何かを吐き出し、白眼を剥く私に気付いたクゥが『ご、ごめん!』と謝ってきた。
と、同時に聞こえてくるドサドサと何かが落ちる音。
『何やってんの?』
私達二人に襲いかかる二体の魔獣を切り伏せたロゼがそう呟いた。