勇者のお供をするにあたって・12
三つ目の課題を見届ける事なく、私は地図に記されていた街の外れへと赴く。
そこには古びた大きな屋敷が佇んでいた。
外から見える限り、屋敷は庭の手入れも行き届いており、一見すれば立派な屋敷に見える。
しかし、街の外れにある事に加え、現在、年に一度の祭りの真っ只中の云う事もあり、辺りに人気が無く、物寂しい雰囲気であった。
屋敷の中にも人の気配が無い様で、どうしたものかと私が思案していると、甲高い金属音を響かせて屋敷の門が一人でに開いた。入れ、とでも言う様に。
僅かに不安を覚えながらも開いた門を進み、屋敷の正面、大きな扉に向かい歩を進める
屋敷まで続く石畳には、赤い薔薇で彩られたアーチが幾つか設けられており、辺りには薔薇の香りが漂っていた。
扉の前まで来ると案の定と言うか、正面扉は一人でに開き、私を招く。
気を落ち着かせる様に、一度大きく深呼吸をする。薔薇の香りを含んだ空気が肺を満たした。
屋敷の中へ入る。
中は大きなグランドフロアが広がっており、吹き抜けになっている。
そのフロアの床には赤い絨緞がひかれ、奥の階段へと続く。
フロアには剣と盾を携えた甲冑や絵画などが飾られており、広々としたフロアをそれらが彩っていた。
しかし、やはり人の姿はどこにも無かった。
ここは本当に彼の屋敷なのだろうか?
そんな風にも思ったが、考えるだけ無駄であろうと思い直して、さっさと用件を済ませてしまおうと赤い絨緞の上を進む。
彼の話が本当なら、この屋敷の何処かに迷子とやらが居るに違いない。私は迷子を探す為、屋敷の中を歩き回る。
迷子が居るのなら名前くらい聞いておけば良かった。屋敷に響く様に「どなたか居られませんか!?」と大きな声を出しながら歩き回る私がほんの少し後悔した。
しかし、それも一瞬だけ。
彼とは不必要に関わりたくないのが本音である。
彼、メフィスト・フェレスと初めて出会ったのは300年以上前、まだ先代が妖精王を務めていた頃である。
何の前触れもなく妖精の聖域へとやって来た彼を先代が招き入れた。
聞けば先代の古い友人なのだと言う。
ニコニコと笑顔を絶やさない彼に対する私の第一印象は、決して悪いモノでは無かった。
自らを魔導士だと語った彼は博識で、魔法や魔術だけでなく、様々な分野の物事を良く知っており、私を含めた妖精達は、彼の話す物語や森の外の様子を聞くのが楽しく、直ぐに彼と仲良くなった。
先代が他の妖精と比べて、世俗的な知識が豊富なのは彼の影響かも知れない。そんな風にも思ったりした。
妖精の聖域で数日を過ごした彼は、来た時と同じ様に笑顔を浮かべて何事もなく去っていった。
友人である先代の所にちょっと遊びに来た、そんな所だろうと私は勝手に解釈した。
彼が去った後、私はふと、彼は徒歩で帰るのだろうか? と思い至り、妖精の抜け道で森の出口まで送ろうかと考えて、森の中へと消えていった彼の後を追った。
その事を今でも後悔している。いや、彼の本質を知れたという点では良かったのかも知れない。
森を飛び、しばらくして彼の後ろ姿を遠くに見付けた私が声を掛けようとした時だった。
急に全身を支配した悪寒に、私は驚き、思わず木陰に身を隠した。
訳が分からず、息を殺し、彼を観察する。
彼は少しだけ先程まで私の居た辺りを眺めてから、気のせいかと云った様子で小首を傾げる。
次いで、彼は何かをブツブツと呟き始める。魔法の詠唱だろうと耳を傾け、彼を観察していた私が驚きで悲鳴をあげそうになった。
詠唱を行う彼の左側、空中を漂う様に三つの石が彼の回りに浮かんでいた。
それは紛れもなく同胞達であった。
石になった同胞達の姿、そしてそれを辺りに浮かべる彼の姿に私は混乱する。
混乱と恐怖に蹂躙される私をよそに、彼は石になった同胞を引き連れて消えてしまった。
恐らく、彼が詠唱していた魔法は転移系の魔法であろう。
忽然と姿を消した彼が居た空間を凝視しつつも、私はしばらくその場を動けなかった。僅かにでも動いたら彼に私の存在がバレてしまう。既に彼は去った後にも関わらず、私はそんな風に感じていた。
結局、妖精の聖域に戻ってからも私はその出来事を先代に伝えなかった。
先代は、妖精が居なくなった事に気付いている気配は無く、いつもと変わらない様子である。
あの出来事を何度となく先代に打ち明けようと思ったが、私の中の何かがその都度、告白を引き止めた。
私は先代を尊敬している。
悪戯に御執心なのがたまに傷ではあるものの、博識で根は優しい先代。
が、もしも、そんな先代がその事を知っていたら、彼の仲間だったとしたら。心の何処かでそんな風に感じていたのかも知れない。
私が先代にその事を聞けずにいる内に、時は流れ、私は妖精王を引き継ぎ、それからしばらくして先代は人知れず森を去ってしまった。
私が妖精王を引き継いだ数十年後、彼は再び、妖精の聖域にやって来た。
何も知らない妖精達が招き入れたのだ。
数十年ぶりに会った彼は、あの時と全く変わらない姿で私の前に現れた。
あり得ない。その時、私が彼に受けた印象はそれであった。
ただの人間が歳も取らずに生きるなど、異常以外の何物でも無い。
私はその時点で、先の件も相まって彼を人間だと思う事をやめた。森から排除すべき対象と見なしたのである。
彼は数十年前と変わらずニコニコと笑顔を貼り付けていたが、彼を脅威と見なした私にはその笑顔は狂人のそれにしか見えなかった。
彼は私に、妖精王になった事への祝いの言葉などを述べたが、私の耳はその言葉を右から左に受け流した。私の頭の中は、如何にして彼を追い出すか、という打算で埋め尽くされていた為、殆ど耳に入って来なかったのだ。
そんな私に何かを感じたのか、それとも他に理由があるのか。彼は少し妖精達と会話しただけで直ぐに森を去っていってしまった。
結局、僅かな滞在時間ではあったものの、その間に彼は友人である先代の事に一度も触れなかった。
その事で先代の身が心配になるが、居所も分からない上に、この森を離れる事も出来ない今の私にはそれ以上の行動を起こす事など出来はしなかった。
あれから数百年。
今日見た彼はあの時と何も変わらず、笑顔を貼り付けて私の前に現れた。
態度に出ない様に苦心したが、正直言えば私はあの時、生きた心地がしなかった。
彼を脅威と見なしたあの日から随分時間が経っている。
あの頃から、私は魔法や魔術を本格的に学び始めた。
万が一の事態が起こった時に、七夜の樹を、妖精達を守れる様に。
それでも、始めに植え付けられた彼への恐怖の為か、或いは苦手意識の様なものが先行してしまい、十分な対応を行えなかった。頭が真っ白になってしまったのである。
全く情けない話である。私はそう自嘲する。
そんな事を考えながら、手当たり次第に屋敷の扉を無遠慮に開いて行く。探す迷子を除けば、どうせ誰も居ないのだ。礼儀など必要無いだろう。
しばらく屋敷を歩き回る。
そうして、2階のファーストフロアにある東側の扉を開いた先、白いレースの天蓋が設置された大きなベッドの上に彼女は居た。
年の頃は10才前後といった所であろうか。
肩まで伸びた長い水色の髪が美しく、前髪の右半分を留める様に銀の髪飾りを付けた可愛らしい少女が、私を見つめながらベッドの上にちょこんと座っていた。
「こんにちは」
私は少女に向けて微笑みながら挨拶する。
返って来たのは沈黙。
「私はマロンと言います。メフィスト・フェレスにあなたの事を頼まれました」
沈黙。
「不安かも知れませんが、彼はここには戻って来ません。ですから私と共に来て頂けませんか?」
少女は何の変化も見せず、ただじっと私を見つめ続ける。
困った。フェレスの頼み事を抜きにしても、子供を一人でこの屋敷に残して置く訳にもいかない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、唐突に少女が『妖精』と言葉を発した。
少し驚く。
私は妖精と言っても、人間と見た目は変わらない。薄く透き通った羽を持ってはいるが、現在は服の下に隠している。
なので、少女が私の事を妖精だと気付いた事に対して驚いたのだ。
考えてみれば、あのフェレスがわざわざ拾ったらしい子供が普通な訳がないか。
その事に僅かな不安を感じたが、大丈夫、と自分に言い聞かせ心を落ち着かせる。
そうして、私が一歩を踏み出した時、状況は一変する事になる。