鈴虫のお供をするにあたって・8
大広間にて、アキマサとアンを加えた鈴虫一同が今後取るべき策について話し合っている。
あーでもないこーでもないと意見を交わす者達を尻目に、俺はプチを伴い城の天辺へと移動する。
兵法なぞ知らない俺から出せる意見など何も無いから居ても居なくてもおんなじなのだ。
まぁ、もっとも策を立てた所で2万相手に5百の人数で何がどう出来るとも思わなくもないが。
城の天辺には、水色の髪を風になびかせながらキリノが佇んでいた。その視線の先には潰れて標高が低くなった山があった。
正面を静かに見詰めるその横顔が月明かりに照らされる。神秘的で美しいキリノの横顔に不覚にもつい見蕩れてしまった。
キリノは基本的にはとびっきりの美女なのである。性格が黒いだけで。
「寒くないか?」キリノの隣に立ち、聞く。
然程に強くないとは言え、高い屋根の上である。時折、風が吹き抜け耳を鳴らしていた。
『別に』
キリノが簡潔に答える。
「そぅ」
俺も簡潔に返す。
特に会話も無く、ただただ同じ様に佇んでみる。
空を見る。月は満月、星が視界いっぱいに広がっていた。
森に居た時は木の上で良くこうやって一人、星空を眺めていた。住み処を離れてまだ一月程しか経っていないが随分久しぶりに星空を見た気がする。
『何か用?』
しばらく星を眺めていると珍しくキリノから話し掛けてきた。
視線は正面を向いたままである。
「いや、特に用事はないけど」
本当はオンフィスバエナ戦やタラスク戦の時の様に、キリノ大先生のお知恵を拝借しようかと思って来たのだが、何だかそんな気分じゃなくなった。
必死に知恵を絞る鈴虫達には申し訳ないが、気分が乗らないのだ。
『そう』
俺の返事にそう一言だけ返してきた。
再び流れる静寂。
プチがクアァと大きな欠伸をした。
『数が多いだけ』
「え?」
静寂の中、キリノがポツリと呟く。
『魔獣』
「ああ……そうなのか」
何でもない事の様に俺が返す。
「ああ、でもアキマサの話じゃ悪魔が紛れ込んでるみたいだぞ?ビブロスみたいな奴」
俺の言葉を聞いたキリノがフッと小さく鼻で笑う。
『問題ない』
余裕綽々と云った風である。キリノが問題ないと言ってるのだ、きっと問題ないのだろう。
こんなにも余裕ぶられると、先程の鈴虫と家臣達のやり取りが茶番に思えて来る。向こうは決死の覚悟と云った様子、対してキリノは朝飯前である。ギャップがすげぇ。
三度の静寂。
もう少し星を眺めてたいが、アキマサ達も気になる。そろそろ屋根の上はおいとまさせて貰おう。
俺が動きかけた時にキリノが話し掛けてきた。
『ひとつ、聞いても良い?』
「ん? ああ」
俺の返事に今まで正面を見据えていたキリノが僅かに顔を横に向け俺を見る。
目が合う。
少しの間の後、
『あなたは誰?』
そう呟いたキリノが視線を逸らす事なく俺の返事を待つ。
真っ直ぐ、心の奥深くまで見ようとする様なキリノの視線に、俺はあっさり負けて視線を逸らして頭を掻く。
「そりゃあお前、みんな大好きクリさんだろ? アキマサに見えるか? 俺は俺だ。問題ない」
おどけた様に言い、もっとも今はラナの見た目だけどな、と付け加える。
『そう』
キリノは一言呟くと、また顔を正面に向けた。
キリノの水色の長い髪を吹き抜けた風が揺らした。
キリノにもう一度だけ僅かに視線を向け、屋根を降りようとプチの背に乗った所で、キリノの様子が変わった。
『動いた』と一言だけ告げるキリノ。
山を見る。特に変わった様子はない。
だが、どうやらいよいよ魔獣さん方のお出ましらしい。
「知らせて来る」
俺は屋根を降り、大広間へと向かった。
☆
「魔獣が動き出したらしいぞ」
大広間に着くなり開口一番、アキマサ達へそう告げる。
『来よったか。皆、覚悟は良いな。予定通り城下の外にて陣を構え迎え撃つ!』
鈴虫の宣言に家臣達が動き始める。
その顔はどれも皆、覚悟を決めた様に真剣そのもので、ピリピリとした雰囲気を漂わせている。
うん、やはりキリノ大先生とのギャップが凄い。
武装した兵達が城の大門を潜り抜け、城下を駆けて行く。
その光景を大門の上から眺めていた俺も、兵達の後に続く様にして城下の外を目指し移動を開始する。
しばらくプチに跨がり町の屋根から屋根へと駆けていると、向かう視線の先に、いくつもの明かりが見えて来た。
明かりの下へと足を進める。
城下の外、夜の暗闇を塗り潰す様に多くのかがり火が設置されていた。
おそらく、この場所に陣を構えるのだろう。緊張した面持ちで立ち並ぶ多くの兵の姿が見て取れる。
俺は一度、辺りを見回す。
白百合城と山を最短距離で結ぶ直線上に位置するこの場所は、視界の開けた平原であり、ここから30分も歩けば山の足元へと辿り着く距離にある。
平原を見渡していた俺の視界の中に、周りの兵達とは異なる服を着た十数人の集団が映り込んだ。
小走りに集団の近くへ向かう。
「ビクトリア!」
『ああ、クリかい』
俺の呼び掛けに答えたのは赤毛の女海賊ビクトリアであった。
ビクトリアは俺の顔を見、ニカッと笑う。
「何でお前らがこんなとこに?」
『そりゃあ、魔獣と戦う為に決まってるさね』
手に持った剣を肩に当てながら、何でもない事の様にビクトリアが答える。
『旦那の墓参り済まして、船でのんびりあんたらの事を待ってたんだけどねぃ、そしたら島からドデカイ音がしたんで見に来たらこの騒ぎさね』
ああ、用事って墓参りだったのか。
ビクトリアの話では、彼女の亡き夫はこの国を気に入っていたという話であった。大陸ではハミ出し者の海賊なのだ、気に入ったこの国に墓があっても特段不思議だとは思わなかった。
タラスク出現により島に立ち入る事が出来なかったのだから、約5年ぶりの墓参りって事か。
まさか墓参りの為だけに俺達に魔獣討伐を頼んで来たのか? 下手すりゃ死んでたかも知れないのに……。
口では彼の事を、船に女房の名前を付ける恥ずかしい男、だとか言っていたが、彼女は彼女なりに夫を想っていたのだろう。軽口はただの照れ隠しってとこか。
『なんだい?』
ビクトリアが黙り込んでしまった俺に怪訝そうな顔で声を掛けてくる。
「いや……可愛いとこあるな~って思ってね」
俺の言葉に一瞬キョトンとなるビクトリア。
『アッハハハハハ! なんだい? アタシを口説いてるのかい!? まさかこの状況で口説かれるとは思ってもみなかったよ!』
楽しそうにそう笑うビクトリア。次いで、
『男に生まれ変わって出直しておいでお嬢さん』
そう言ってまた笑う。
「ああ、そうする」
俺も笑ってビクトリアに答えた。
『そうそう、そう言えば、鈴虫は元気にしてたかい? 会ったんだろう?』
ビクトリアが俺に聞いてくる。
「鈴虫を知ってるのか?」
『まぁ、最後に会ったのは5年前だけどねぇ。でかくなってんだろうねぇ』
懐かしそうに目を細めビクトリアが言う。
5年前、7歳の鈴虫の姿でも思い出しているのだろう。
『からかいがいのある生意気なガキだったさね』
「あ~、多分、今も大して変わってないな。偉そうだ」
俺の言葉にクックックッとビクトリアが笑う。
『音天丸、アイツの親父が島を出る時に船を出したのがアタシらでねぇ。音天丸を大陸に送って、それを報告しに行ったら、妾も連れてゆけ!って大暴れ。危うく船を沈められかけたさね』
肩を竦めて、大変だった、とアピールするビクトリア。
『ふん! あれは妾を船に乗せぬお主が悪いのじゃビクトリア』
バッと後ろを振り向くと、腰に両手を当てた鈴虫がこちらを向いて仁王立ちしていた。
居たのかよ。
『大体、妾に黙って旅に出る父上も父上じゃ! コソコソと夜逃げの様にうわっ!なんじゃビクトリア!?』
プリプリと怒る鈴虫をビクトリアが抱き締め持ち上げる。
『元気にしてたかい鈴虫!? 大きくなったねぇ!』
嬉しそうにうりうり!、っと頬擦りするビクトリア。
『止めぬかビクトリア! スリスリ致すな!』
頬擦りするビクトリアの顔を鈴虫が必死に手で押し戻そうと藻掻く。しかし、そんな鈴虫の顔は何処となく嬉しそうにも見える。本気で抵抗しない辺り、鈴虫も満更でもないのだろう。
イヤよイヤよも好きのうち、か。
久々に会った親戚のおばさゲホッゲホッ、お姉さんと姪っ子と云った感じだ。
『うぬぅ……ビクトリアもビクトリアじゃ。来ておるなら城に顔を出せば良かろうに』
早々に抵抗を諦めた鈴虫がぼやく。
『そりゃあ、そうしたかったけどアキマサ達を送り届けなきゃいけなかったしねぇ。また連れてけと暴れて船を壊されちゃ堪んないよ』
抱き上げていた鈴虫を降ろし、ビクトリアがからかう様に笑う。
『いつまでも左様に子供みたいな真似はせぬ。妾もな、大人になったのじゃ』
胸に手を当て、フフンと胸を張る鈴虫。
自分で大人になったと言うところが子供の証拠だろう。口には出さないが。
胸を張っていた鈴虫が急に真剣な表情でビクトリアの顔を見た。
『じゃが、ここに居って良いのかビクトリア。此度の戦にお主が付き合う必要など無い。逃げるならば今すぐにでもアイタ!?』
鈴虫が話を言い終わる前にビクトリアのデコピンが炸裂する。鈴虫の頭の鈴がチリンと鳴った。
『泣き虫で鈴虫のくせに生意気言うんじゃないよ』
ビクトリアがカラカラと笑う。
『ビクトリアお姉さんが勝手に好きで手伝ってやるって言ってんだ。黙って手伝わせときゃ良いんだよ』
そう言いニカッと笑う。
『……うん、ありがとう、ビクトリア』
デコピンの炸裂したおでこを両手で押さえたまま、鈴虫が小さく微笑んだ。
その可愛らしい鈴虫の仕草に、辛抱堪らんとばかりに目を輝かせたビクトリアが抱き付こうとにじり寄る。
それを受けて抱き付かせてなるものかと鈴虫も身構える。
緊張感の欠片も無いな。
俺がそんな感想を抱いた時、大地が僅かに揺れた。