松虫のお供をするにあたって
キリノが無表情のまま広場中央に進み出る。
キリノからは何の感情も読み取れないが、真っ向勝負で負ける所を想像出来ない。こと実力に関して言えば、そう思えてしまう程の信頼をキリノに対して俺は持っていた。
多分、アキマサやアンも似た様な感情をキリノに抱いていると思う。
『あやつの相手は一人しか居らぬと考えておった』
ふふふ、と鈴虫が笑い、辺りをキョロキョロと見回す。
そして、広場の端にある数本の木々にアタリを付けて叫ぶ。
『松虫! キリノの相手はお主じゃ!』
『えー!?』
と松虫が声を上げる。
そして、鈴虫の座る箱の下からモゾモゾと松虫が這い出してきた。その姿は松虫というより毛虫だ。
と言うか、もしかしてずっとソコに居たのか?
こいつマジで風呂を覗き見とかしてるんじゃないか?
自分の直ぐ真下から這い出て来た松虫に鈴虫の肩が僅かに震えた。
『そ、そこか』
顔を引き攣らせた鈴虫がコホンとひとつ咳払いをした後、
『いけ!松虫! 負ける事は許さぬ! 逃げる事も許さぬ!』
驚かされた腹いせとでも云う様に鈴虫が、勝て!と命じる。
『そんなぁ!』悲痛な声と共に松虫がキリノを見る。
キリノと目が合い、しばらく見つめ合うと、何故かペコリと頭を下げる松虫。
『無理無理! 絶対無理です!!』
松虫が懇願する様に膝をつき、イヤイヤと首を振って拒否する。うっすら涙も浮かんでいる。
『さっさと行かぬか!』
鈴虫が、ゲシッと泣き付く松虫の顔に蹴りをお見舞いすると、およよ、と松虫は地面に両手をついて倒れ込んだ。半泣きだ。
そんな松虫を観察してみる。
年は鈴虫の少し上、14歳くらいだろうか、少年といった感じである。
黒髪の真ん中で分けられた前髪からは金属製の額当てが覗いており、整った顔立ちはあと数年もすればイケメンに属する可能性を秘めていた。こいつは危険です。今の内に始末せねばなるまい。
また、全身を黒服で覆っていて、腰の後ろに30センチ程の短刀を装備している。
松虫を見た隣のアキマサが『おお、忍者』と聞き慣れぬ単語を呟いていた。
立ち上がった松虫は、何かを期待するかの様にチラッチラッと鈴虫を何度も振り返りながらキリノの待つ広場の中央へと進んでいった。その足取りは重い。
今まで無表情だったキリノが、そんな松虫を見て本の一瞬だけ笑った。いや、不敵に微笑んだと言うべきか。
松虫はキリノの何かを踏み抜いてしまったのかも知れない。
俺も何となく気付いてしまった。多分、キリノも同じ様な印象を受けたのかも知れない。
こいつは間違いなくアキマサと同じポジションだ。
両者が中央に対峙する。対峙してしまった。
家来の一人が松虫に歩みより、短刀を取り上げ――――
そして、代わりにキュウリを手渡した。
あれで闘えと言うのか? 何の冗談だ?
キュウリを手渡された松虫が驚愕の表情で鈴虫を見る。
そんな松虫に対して、鈴虫は爽やかな笑顔で、うん! と頷いてみせたた。
いや、うん! じゃねぇよ。ひでぇ。
『両者、準備は宜しいか!?』
家来の一人がそう言葉を発すると、キリノが小さく頷き、松虫が何度も首を横に振った。
『始め!』
横に首を振る松虫を無視して無情にも開始の合図が飛ぶ。ひでぇ。
『うおおぉぉ―――!』
叫び声を上げながら松虫がキリノに向け疾走する。もはやヤケ糞だろう。しかし、その動きは中々に素早い。
そうして、キリノの手前で跳躍した松虫の身体が空中でポンと音を立て4体に増えた。
それを見た俺とアキマサが同時に、おお!と感嘆の声を上げる。
分身か! 松虫凄いじゃん!
4人になった松虫が四方から同時にキリノへと襲いかかるが、そんな松虫に慌てる事なくキリノは結界魔法を四方に張り巡らせた。
そうして、みなが固唾を飲んで見守る中、キリノの結界に松虫の攻撃が炸裂。
4本のキュウリがペキッと折れた。
そりゃまぁ、キュウリだし? みたいな?
キュウリを結界で防御する、という構図はかなりシュールであった。才能、もとい魔力の無駄使いもいいところである。
横に目をやれば、鈴虫が腹を抱えてゲラゲラと笑い転げていた。ひでぇ。
視線を広場へ戻すと、折れたキュウリを握り締めた松虫が降参のポーズを取っていたが、何故か突然、驚愕に目を見開いた。
喉を押さえて何やら慌てた様子である。
こちらに顔を向け、必死に喉を指差す松虫。が、肝心の鈴虫は笑い転げて見ていない。
自分を見てと、手を鳴らしたり、足を鳴らしたりと一人盆踊りの様にドンドンパンパンと必死にアピールする松虫。そして、それを見た鈴虫は更に笑い転げた。
これは多分、俺が思うに声を出せなくされたのだろう。魔王キリノに。降参宣言潰しである。ひでぇ。
目にいっぱいの涙を湛えた松虫が、何かを決意した様に更に分身を増やした。
ポポポポーンと合計20人にも増えた松虫が広場を縦横無尽に駆け回る。
ああ、シャッフルだ。これは絶対シャッフルだ。
痛い思いをしたくない、と藁にもすがる思いで生み出した苦肉の策であろう。分身でとにかくやり過ごそうという腹積もりである。
しかし、そんな空気など読めない、いや、あえて読まないのが魔王キリノである。
キリノは狂気に満ちた顔で微笑むと、杖をトンと地面に打ち付ける。途端に、広場を覆い尽くしそうな程の巨大な竜巻が巻き起こった。
憐れ松虫、本体も分身も丸ごと風に呑まれる。もはやどれが本物だとか関係ない。一網打尽である。
竜巻の中でグルグルと強風に翻弄される松虫。
多分、今、本人は色々と叫んでいるのかも知れないが声を封じられた松虫の声は誰にも届かない。松虫的には、届けたいこの想いと言った感じか。
しばらく松虫を巻き込んで翻弄していた竜巻だが、キリノがもう一度、トンと杖を鳴らした所で消えてしまった。
突然に消えた竜巻の後、空中に投げ出された松虫がベチャと地面に墜落。墜落と同時に分身は全て消えてしまった。ただ一人残った松虫本体の傍らにポテッと転がるボロボロのキュウリが見る者の涙を誘う。
キュウリはこのあと松虫が美味しく頂きました。
しかし、そんな事では負けないとばかりに、フラフラと立ち上がる松虫。
いや、違う。あれは立ち上がったと言うより無理矢理立たされていると言った方が正しい。現に松虫はかろうじて足が地面に付いてはいるものの、グッタリと項垂れ、さしずめ糸で吊るされた操り人形の様だ。
『クッ、中々やるじゃない。でも勝負はまだまだこれからよ』
キリノが苦しそうな顔をし、まるで強敵とでも戦っているかの様な、そんな事を言うんです。
松虫は何もやっちゃいないし、勝負はとっくに終わっている。
まだ足りないと言うのか!?もう止めて!松虫の気力はもう0よ!
瀕死の松虫の目を覚ますかの様に、水属性魔法と雷属性魔法が松虫を襲う。私の揺さぶりに耐えられるか?おい、とばかりに気絶と覚醒の波が押し寄せる。
このままでは本当に死んでしまうのではないだろうか、と本気で心配したのだが、他の魔法に隠れて時折、キラキラと回復魔法が放たれていた。生かさず殺さずって事か。ひでぇ。
頑張れ松虫。ここからが本当の地獄だ。
その後、たっぷり1時間、エンターテイナー・キリノによるドキドキハラハラのスペクタクルマジックショーが行われた。アシスタントは勿論、松虫であった。