妖精のお供をするにあたって・7
思考を大異変直前のあの日にまで巡らせる。
アンは園に転移してすぐ、引き返す事を提案した。その時のアンは半狂乱に近かった。死んでも助けに行くと。そんな事を何度も口にしたと思う。アンの心の声はぐちゃぐちゃで、多分自分でも何をどうしたら良いのか分からなかったのだろう。
そんな時でも口ベタな私は、駄目とか、行かなせない、なんて事しか言えず、そんな自分がつくづく馬鹿で、情けなくて、嫌になった事を覚えている。
いよいよ口頭で押し留める事が難しくなってきた時、そんなアンを止めたのは意外にもアキマサだった。
私はどちらかと云えばアキマサはアン寄りの性格、考え方をしていると思っていたので、アキマサが助けに行く事を止めたのは意外だと思った。
そうして、冷静に、とアキマサが今後についての話を切り出した直後。私達の前に二人の人物が現れた。
一人は忘れもしない、混沌の主。低く冷たい声の持ち主。
混沌が追って来た事に、私は馬鹿かと自分を呪った。
混沌から離れられたという安心感と、下手に実力があるせいで今まで敵を前に逃げるという事を一度もせず、力任せで乗りきってきたという私の経験が、危機意識の欠如に繋がった。
昔から、こういう事態は全てアンに任せていたという自身の怠慢もあると思う。
が、アキマサはそうは思わなかったらしい。
あの場所からさほどに離れてもいないこの場所に、クリがわざわざ転移させたのは意味があると思っていたと、のちに語っていた。
もっとも、それは私達の目的がここ竜の園にあり、その目的が聖剣絶対王者に関するモノだと思っていたそうなので、混沌とほぼ同時に現れたもう一人の人物については予想外であったのだろう。
おそらく、クリだけがその人物がここにいるだろう事を理解していた。だから、私達をここへやった。
そうでなければ、転移でアイゼン王国なり、転移限界まで距離を取ったはずだと思う。
☆
「アキマサ、アンを連れて逃げて」
二人の前に一歩を歩み出て、混沌を見据えながら告げた。
追い付かれてしまったのは、私の油断からだという思いがあった。クリに任せれたというのに腑甲斐無い。どうしようもない馬鹿だ、と。
『戦いましょう』
無刀のままアキマサが私の隣に立ち、告げる。
そうやって、力を充実させていくアキマサの聖霊力は以前とは比較にならない程に大きかった。
クリの力を借りて竜王ザ・ワンと戦った事で急激に力が馴染み始めているのだと思う。
でも。
それでも目の前の混沌にはまだ及ばない。
私と二人でも勝てる気がしない。
「駄目。勝てない。あなたは死んではいけない」
自分でそう言ってはみたが、正確にその答えまでは分からない。
ただ、クリがそう結論付けていたからそう思っただけ。彼がそう思う何かが、勇者に、アキマサにあるのだろう。
だから、死なせる訳にはいかなかった。
私がもう一度、逃げるように促すより早く、アンが口を開いた。
『魔王。クリさんはどこです? ―――クリさんはどこだ!』
今にも飛び掛からんとする殺気を放ちながら、アンの怒号が竜の園に響き渡る。
『あれは死んだよ』
興味もないような、なんの表情もない魔王が低く吐き捨てた。
直後。
「駄目!」
止める間もなく、怒りを全身に滾らせたアンが混沌へと斬り掛かった。
それを見越した様に、混沌によって生み出された衝撃が、私とアキマサを襲う。
その一瞬の出来事で、混沌とアンから切り離される様に、アキマサと私は後方へと大きく離される結果となった。
『アン!』
「フオウ!」
素早く体勢を立て直しつつ、アキマサと私が同時に叫ぶ。
アキマサはアンに続くように園を駆け、私はここ竜の園で召喚出来る中で最も力のある悪魔を顕著させた。
召喚とは世界の裏側に生きる土地付きの悪魔を呼び出す事。彼らは表の世界からほんの皮一枚で隔てられた裏側に存在する。魔法でその皮をそっと捲ってやれば現れる悪魔。
古より生きる最古の種族達。
東方三国では九尾玉藻御前、アイゼンでは骸滑車ジージー、エディンでは水蛇ヴィイ、と、顕著出来る悪魔は土地によって異なる。中にはギトの様に、無理矢理顕著する者もいるがあんなのは稀である。
そうして、この場にフオウが居たのは幸運であった。
フオウは、人型で全身に闘気を纏った武神であり、悪魔の中でも格段に強い怪力の持ち主である。
アキマサに僅かに遅れるも、すぐにその後をフオウに追わせる。
『ダメよ~、魔王様の邪魔しちゃ』
そんな声がしたかと思うと、先に進んだ筈のフオウが私を守る様に全身で包み込んだ。
直後に、フオウの体を通して伝わる衝撃。
『あらん? なんだか、ナイトに守られるお姫様みたいで素敵よん?』
「クイーンビー」
衝撃の収まったフオウの腕から除き見えた女性の姿にその名を告げる。
その背後、アキマサはこちらを気に素振りを見せたが、私はそんなアキマサを視線だけで先に行けと急かした。
『―――今はスピカよ』
「邪魔」
クイーンビーの反論を聞き終わる事なくフオウをけしかける。
それと同時に、魔帝・轟炎も放つ。
フレアの仇が生きていた事。そんなクイーンビーに思う事はあれど、今は報復にかまけている場面ではない。
クイーンビーの背後、混沌の方を一瞥すれば、アンが混沌に幾度も攻撃を仕掛けているのが視界に入ってくる。
『裏の獣引っ張り出しといて、更に無詠唱の魔帝・轟炎。―――はぁ、天才って本当に怖いわねぇ』
露骨に呆れを浮かべた表情で言い、クイーンビーが指を高く鳴らす。
それを合図に無数の魔蟲がクイーンビーを庇う様に現れた。
そのあまりの多さに魔帝・轟炎は、途中で終息し、フオウも足止めを食らう。
忌ま忌ましいとクイーンビーを睨み付けると、意外な事に何故かクイーンビーが驚く様子と慌てた表情を見せた。
『来ましたわ! 魔王様! お早く!』
クイーンビーが混沌へと告げる。
嫌な予感がして、けれど魔蟲が邪魔をしてどうにもならず、ただ視線だけを混沌に。アンに向ける。
視線の先では丁度、混沌の手によってアンの持つ魔剣紅蒼の命剣が中腹から折られた場面であった。
途端にアンの体から力が抜け、急激にその勢いを失速させる。
「アン!」
叫ぶ。
声が届いているのか分からない程の距離が恨めしく感じた。
『撤収よん! ―――あらん?』
そんなクイーンビーの妙な呟きが突然の暴風によってかき消えた。
否。それどころか、暴風は夥しいまでの数の魔蟲も、クイーンビーさえも激しく巻き込み、混沌へと突き進んだ。
それだけで魔蟲は粉々に霧散し、クイーンビーも大きく吹き飛んだ。
「アン!」
もう一度、友の名を呼び、走る。
魔法しか取り柄のない愚鈍な自分の足がとてももどかしかった。
私が側に駆け寄った時、アンはアキマサの両腕の中にいた。生きてはいる。いるが、様子が明らかにおかしい。
全身から黒い煙を燻らせ、それがアンの周囲にまとわりつく。
『キリノ!』
アンを地面へと横たえて、アキマサが私の名を呼ぶ。
けど。
何をどうすれば良いのか分からなかった。
魔法―――ではない。
呪い? ―――それも違う。
何? 何が起こってる? どうしたらいい?
混乱し、とにかく何でも試そうと回復、解毒、解呪。様々な魔法を掛けるが一向に変化はない。
どんどんとアンの体にまとわりつく黒い何か。
焦る私の視界に、ふと、折れた魔剣が映り込んだ。
―――禍……なの?
禍がアンを侵食し始めている?
『諦めろ。それが魔剣を使った代償だ』
頭上から冷たく低い混沌の声。状況のせいかやけに低く聞こえた気がした。
『おい! こら、魔王! 随分姑息な手を使ってくれんじゃん! 流石の私も油断してた!』
見知らぬ誰かの声。
その見知らぬ誰かは私達を庇う様に、混沌と私達との間に立ち塞がっていた。
『ごめん! ちょっと油断した! こんな予定じゃなかったんだけど!』
こちらに振り返り女性が言う。
むしろ、状況的に助けて貰ったと判断出来ていたので、謝られる謂れもないが、女性は申し訳なさそうにしていた。
私達の前に現れた女性は、腰まで伸びた薄茶色の髪を持つ綺麗な顔立ちの人物であった。白を基調とした布地に赤く燃える炎を彷彿とさせる火炎模様の入った神僧の様な服を着ている。
腰から提げた前掛けにデカデカと【私】と書かれていたのが印象的だった。
『昔っからやり方が汚いんだよお前らは!』
再度、混沌へと顔を向けた女性が吐き捨てる。
『あなたが浅はかなだけですわ。昔から』
吹き飛んだ筈のクイーンビーが、いつの間にか混沌の側へと戻っていた。
『じゃかぁしぃ!』
女性の怒号。
それだけで周囲の空気が激しく震えた。
『スピカ。先に帰っていろ』
混沌の声。
『ですがぁ……。―――わっかりましたわぁ』
それだけ残してクイーンビーは消えた。
その場の上空にはただ混沌だけが揺らめいていた。
『あ前、完全じゃないんでしょ?』
拳を鳴らしながら女性が混沌へと問う。
『お陰様でな』
軽く右手を上げて混沌が返す。
『この子を……。――――いや、魔剣か? 最初から魔剣を折る為にこの子達を追って来たんだね? 元々は皇帝アレスの所有物で、彼を魔へと堕とした元凶。禍の塊だ』
『賢くなったじゃないかクゥ・ド・エテ。竜の管理者なんてものをやっているから平和ボケでもしているかと思っていたが』
クックッと混沌が笑う。
女性は小さく息を吐いてから、
『―――相変わらずムカつくなぁ、お前』
片手を腰に当てたまま、うつむき加減で足下の大地を数度ジャリジャリと弄び、ひとり言の様に呟く。
パンッ
と、空気が弾ける音がして、女性が消えた。
遅れてやって来たのは、大地に深く刻まれたヒビと小さな波紋の様に広がる土煙。
『歯、食い縛りなよティアマット』
『……お手柔らかに頼むよ』
そんなやり取りが上空で行われた後。
亜人の英雄クゥ・ド・エテは、有らん限りの力を乗せた右ストレートを魔王の顔面に叩き込んだ。
衝撃は轟音と共に世界を砕く。
腹の底から伝わる鈍重な震え。
世界の軋みが元に戻ると、そこに混沌の姿はなかった。