妖精のお供をするにあたって・6
彼はどんな顔でこの景色を見るのだろう―――
陽光に照らされる園を、何処に行くでもなく手持無沙汰で歩く。
青空は広く遠く、雲は薄くゆっくりと散りゆく。
2日も寝ていたせいか、空がやけに眩しく見えて、一度強く瞬いて目を細め見ると、それで丁度良くなった。
黒雲に包まれた世界で忘れがちになった明るい空に視線を向ける時は、きっと誰もがこんな風に見上げるのだと思う。
少し冷たい風に逆らう様に歩いていたら、足は自然と園にある小さな丘に伸びた。
そこは半丘で、丘の半分から先は園の終わり。剥き出しの岩肌の所々が緑色に苔むしている。
眼下を見下ろせば見飽きた黒雲の川が園の下を流れていた。
不思議なもので、あの黒雲は園の高さまでは登って来ず、常に同じ高さを保って世界に在り続けた。
その為、竜の園は現状の世界において数少ない陽の光が照らす場所となっている。私が知る限り、こういった場所は他に世界樹の上部とタルタロックと呼ばれる大山脈群だけである。
そんな事を考えながら黒雲を眺めていると、足元に小さな竜が二頭、じゃれつきながらやって来た。
身体をもつれさせながら、丘をコロコロ転がる二頭に少し困った目を向ける。勢い余って落っこちてしまいそうでハラハラする。
「危ないよ」
二頭を扇動する様にして、丘を少し下り、崖から距離を取って腰を据えた。突っ立っていても良かったけれど、最近は出来るだけ座る様にしている。でないと、どうせまた仁王立ちだとからかわれるに決まっている。
膝を抱えて座り込みと、少しだけ疲労感が沸いてきた。やはり本調子では無いらしい。
何が楽しいのか、変わらずじゃれつき合う二頭を周囲に遊ばせながら、その様子をぼんやりと眺めた。
竜の園を初めて訪れたのは、敗北したあの日。――――敗北というのも正しくない気がする。私達は戦ってすらいない。ただ逃げただけなのだから――――。
その逃げた先が竜の園であった。
二人を連れて逃げろ。そう言われて、アキマサとアンの二人を任された私が意図的にここに辿り着いた訳ではない。
あの時、確かにクリは魔法を使った。転移の魔法。散々魔法は使えないと言っていたくせに、だ。
ただ、どうも私の魔力を利用しての転移の様に感じた。他人の魔力を利用して魔法を行使するというのはあまり聞かない。無い訳でもないが、少し特殊なモノだと感じた。
クリの事を考える。
と、大体いつも最後は腹が立ってくる。胸の辺りが熱くなってそれで何故かムカムカしてくる。
あの小憎たらしく悪戯っぽい笑顔のせいかもしれない。小さいくせに生意気なのである。なので、早々に長く深く考えるのをやめた。
私達を園に転移させて以降、クリは世界から居なくなった。
死んでしまったのだと思った。けど。不思議と涙は出なかった。メフィストフェレスの言う通り、血の通わぬ冷たい人形だと言われても仕方がない。
少しだけ胸がズキリと痛んだ。
胸の痛みを抑え込む様に、ゆっくり、抱えた膝に顔を埋めると、ローブから少しだけ血の匂いがした。
――――大丈夫。私はちゃんと生きてる。
自分の血の匂いに安心する。こんな風だから変な奴だと後ろ指を指されるんだろう。
顔を上げると、すぐ傍で二頭の子竜が不思議そうな顔をして私を見ていた。
膝を抱えていた両の手を伸ばして二頭の喉を撫でると、くすぐったそうに体をよじって、また二頭でじゃれつき始めた。
クリが居なくなったと同時に始まったのは、一年経った今でも消える事のない黒雲に覆われた世界。
大異変。
いつからかそういう呼び方が定着化した。
大異変はたったの一年で世界を大きく荒廃させる。
この大異変でまず起こったのは、各地での魔獣によるスタンピード。
ほぼ世界中で同時多発的に起こったそれは、他国からの援軍も望めず、国力の低い少規模な王国のいくつかを飲み込んだ。
降って湧く様な魔獣達の猛撃に、人も国もただ疲弊していった。
大国と言われる幾つかの国。
バルド王国、カーラン・スー、ノースフェル王国、新生トラキア帝国、豊穣ツヅミ、アイゼン王国。これら6ヵ国は、この未曾有の危機に対して、ようやくにして一時的な不戦を結んだ。
大陸が違う事と、反発しあう国があった事で、今の今まで手を結んでコトにあたるという事の無かった6ヵ国であるが、皮肉にも事ここに至り、歴史上最大規模の大連立政権が樹立された。
同盟は数あれど、これは初めての事だった。
不思議なのは、6ヵ国の王や皇帝を差し置いて、その大連立政権の代表が小さな島国にある東方三国同盟の鈴天将軍なのが、ちょっと意味が分からなかった。
東方三国は小さな国ではないが、決して大きくはない。そもそも東方三国は大連立政権の中に入ってすらいない。
のに。
何故そこであの姫将軍が出てくるのか疑問だった。
バルド王が言うには、此度の大同盟の立役者は鈴天将軍なのだそうだ。ゆえに、言い出しっぺの宿命か、半ば責任を押し付けられる形で代表の位置に収まったらしい。
これはスタンピード直後、東方三国だけが魔獣の進撃を受けず自由に動けたというのが大きいという話だ。
東方三国は、大異変の起こる少し前に魔獣の大襲撃を受けており、またそれを退けている。少しフライングでスタンピードの被害を受けた。
そのフライングのお蔭で、大異変の際、東方三国に押し寄せ、疲弊させるだけの魔獣があの小さな島国には存在しなかった。その為、大異変の世においては唯一自由に動けた国なのである。
世界が魔獣の襲撃に恐々とする中、彼女らはまず世界樹の庇護を受ける亜人達と手を組んだ。
世界樹の元で暮らす亜人は数千人と、世界規模で見ればそう多くはない。
ただ、亜人には、虐げられた歴史からか独自のコミュニティが世界中に無数に存在するらしく、正確には不明であるが、その規模は数十万人とも数百万人とも言われる程のものだという。
そうして東方三国と手を組んだ亜人は、東方三国の御旗を掲げ、鈴天将軍の号令の下、世界規模の援軍として各国との共闘を開始した。
これも初めての事である。
亜人には、苦難に満ちた忘れ難き暗黒の歴史がある。
その頃から比べれば今は地位向上したとはいえ、まだまだその差別的意識は根深い。
しかし、亜人はこの世界の窮地に、それらを全て水に流し、人間に手を貸す事を選んだ。
願わくは、その関係が一時的なものでなく、永劫のものになる事を望む。
たまたまバルドに寄った際、同じくたまたまバルドに居合わせた鈴天将軍と少しだけ話す機会があった。
ラナの事を尋ねたついでに、その経緯などを尋ねたところ、
「妾にも分からぬのじゃ……。あやつら、妾が何を言っても好意的に捉えて勝手に盛り上がって暴走しよる。
亜人達との会合の際、少し話が早くなるかと、あやつの……クリの名前を出したのじゃが……。何故か激しく持ち上げられてな……。あな恐ろしや。神か仏か地獄の閻魔か……。あれはもはや狂信者のそれであったわ。―――親友と言ったのは完全に妾の失言じゃ」
そう言う事らしい。
勇者、そして妖精王を神の如く敬う亜人達。そんな彼らの前に現れた神のマブダチ。
その興奮は推して知るべし。―――少し笑ってしまう。
そんな風に亜人によって御輿に担ぎ上げられた鈴天将軍の坐する東方三国は、今やその国の名を、東亜四国大同盟と改め、鈴天大将軍の名と共に、世界にその存在を轟かせている。
困惑気味ではあるが、元々上昇志向の強い将軍ゆえ、そこについては満更でもなさそうだ。
ただ、鈴天大将軍の名は瞬く間に世界中に知れ渡ったのだが、その容姿などについては触れられていない。巷では噂が噂を呼び、頭が切れ、腕の立つ大柄な将軍というのが通説であるらしい。
世界の人々は、天下の大号令とまで言わしめた人間と亜人の共闘宣言を、まさか齢12の少女が出したなどとは露程にも思っていまい。
経緯はともかく。
そうやって、大異変の危機を乗り越えた人々に次なる問題が沸いて出る。
それが大飢饉とそれに追随するパンデミックであった。
陽光の消えた世界で、草木がじわりじわりと枯れ始めたのだ。
森や林が消えるまで、そう多くの時間はかからなかった。
そうして起きた食料問題。
餓死者に加え、先の魔獣の襲撃による死者の弔いも満足に出来ず、世界中に疫病が広がり始める。
だけど。
それを救ったのもまた亜人達であった。
というのも正確では無いかもしれない。
亜人達は分け与えただけで、その食料の出所は実り多き世界樹の恵みが大半を占めた。
次々と枯れていく植物達の中にあって、枯れずに、むしろ周囲の植物が枯れた事で栄養過多気味に実る果実があった。
それは、鮮やかな赤を纏い、みずみずしく、甘く、栄養価も群を抜いて高い妖精の果実。アプーの実。
食べる事は勿論だが、アプーは肥料にする事で他の植物の成長を助ける。陽光がなくとも草木が育つようになる不思議な果実。
それは、ひとつの果実で数メートル四方の土壌を補う肥料であり、これによって食料の確保が可能になった。
アプーの恩恵により通常の数倍の速さで食料の確保が出来る様になり、飢饉は解消され、同時に蔓延する疫病も緩やかに終息していった。
たった一種の果実で、世界的問題を解決してしまう程の恩恵。
それこそが、母の樹と寄り添い生きたと言われる妖精達の名を持つ果実の名の由来なのだと、世界の人々は世界樹の偉大さを改めて、前以上に知る事になる。
そうして、計らずも世界にその存在のありがたさを知らしめる事になったアプーではあるが、高価な事は勿論、採取量も極僅かゆえ、地域にもよるが人間の市場に出回る事は殆どない。一度も目にした事が無い人々の方が多いくらい。それほどに希少な物である。
しかし、世界樹のある亜人の森には見るのも飽きる程にアプーの木は生えている。しかも、大異変以降、更にその本数が増大した。
妖精の住まう土地でしか芽吹かないアプーの種ではあるが、クリやナノがエディンを訪れた事で、今まで森に溜め込まれていた種が一斉に芽吹き出したようだ。
本来なら芽吹く隙間もないそれらではあったが、大異変で他の植物が枯れた事で、アプーの種が芽吹き、苗が成長する土壌が確保された。
そうやって、今や亜人の森は、石を投げればアプーに当たると形容される程の、アプー大森林へと様変わりしてしまった。
亜人の元に訪れた際に私はそれを目にした。
とても不思議な光景だった。
緑色の中に、点々と無数の赤が混じり、薄紅色をした花びらが風に吹かれて空へと舞い上がる。その中心には、霞がかった一際大きな一本の巨木。
興味がない物事にはとことん興味を示さない私。
そんな私が風景に見蕩れるというのはその時が生まれて初めてだった。
きっと、今のこの世界樹の周囲に広がる風景こそが、古の時代、幾多の生命を育み、支え、繁栄させてきた母の樹の姿なのかもしれない。
もしもこの場に彼がいたなら、彼はどんな顔でこの景色を見るのだろう。
そんな風に思った。