妖精のお供をするにあたって・5
『一応聞きますが何をしに来たのです? 私の元に戻る気になった、という事であるなら歓迎しますが』
ヘラヘラヘラヘラと腹が立つ。
イライラする。
「私、はお前のモノじゃない」
平淡を意識して言う。
けど。
イライラは増す一方。
『分かっていますよ。ただ、少し心配しているだけです。ちゃんとやれているのかとね』
―――心配。
心配?
強烈な吐き気がノドの奥から込み上げてきた。
猛烈な怒りが身体の底から込み上げてきた。
頭がひどく冷静なせいか、込み上げてきたそれらにやや困惑もした。
『感情を出すのは相変わらず下手な様ですね。表情も見えない。
ですが……、あなたの内には確かに感情がある。激しく溢れんばかりの激情がある。
―――ただ、理性的である事が人であるとする自身の思い、信念があるせいか、ひどく歪に見えますね。
その能面の下の、謀も、計も、理も、論も、どんな物も表には出さないあなたは、―――なるほど、素晴らしいことかもしれない。だから……あぁ、キリノ。私は余計に悲しい。冷たい表情と言葉。それがあなたへの誤解を生む。あなたを感情の無い血の通わぬ人形だと指をさす』
「お前が、私、を語るな」
目の前に映るメフィストにヒビが入った。
否。空間に亀裂が走った。
『けれど、あなたは気にしなくていいのです』
どんなに荒れ狂う感情の中にあっても、メフィストフェレスの声はハッキリと、理性的であろうとするクリアな頭の中へと流れ込んでくる。
二回、三回。
パキリと割れゆくガラスの様に世界に亀裂が走り続けた。
頭をかきむしりたくなった。
腹の底から叫び声をあげたくなった。
狂人の様に転げ回りたくなった。
『それは私の責任なんですから』
四回目で世界が割れた。
同時に、自身の左腕の甲から肘にかけて一直線に肉が裂け、ピンク色をした肉が見え―――直後に、真っ赤な血が溢れ、腕を伝って指先から滴り落ちた。
それはローブの下の肩や脚にも同様に起こり、私を赤くしていった。
殺してやる。
『キリノ!』
胸元から届いたナノの声で、一歩を踏み止まった。
一度歯を食い縛って、あらんかぎりの魔力を空に放り出した。
空気を震わせ、凄まじい爆音を伴って放出された私の全魔力は、空を突き、黒雲を吹き飛ばす。その広範囲に渡る雲の穴は、広いカーラン砂漠の頭上に一年ぶりの星の光をもたらした。
しかし、それも僅かな時間。
空を見上げながら荒い息を吐く私が呼吸を整えている間に、空には再び暗雲が立ち込めた。
『回復もせずに魔力を使いきる人がありますか』
愉快そうに笑ったメフィストフェレスが、ボタボタと全身から血を流す私に向けて言った。
『だ、大丈夫なの!?』
不安を顔いっぱいに貼り付けたナノの声。
「……だい、じょうぶ」
『大丈夫なものですか。―――私は回復魔法が苦手だと言うのに……。ナノさん、キリノは私に治療される位なら死んだ方がマシって人ですから、すいませんがこれを持って一旦竜の園に帰りなさい』
メフィストフェレスが懐から取り出した小瓶を手にする。
「お前、の、施しは受けない」
息も絶え絶えで拒絶を示す。私の見立てではあれの中身は回復用の物だろう。
『だそうです。ナノさん、お願いしますね。反抗期の娘は私の手には負えませんよ』
そんなメフィストフェレスの呆れる様な声の後、ナノが2つ返事で了承して小瓶を両手で受け取った。
それから、あ! と声を上げた。
そうして泣きの入った声を出す。
『でもでも~、竜の園は遠いなの~。竜は早いなのだけれども、園までキリノもつなの~?』
ナノが血を流し過ぎてふらふらとする私を見、それからメフィストフェレスを見る。
慌てているのかそれを何度か繰り返すのが、薄くなる視界の中でぼんやり映り込んだ。
『妖精の抜け道を使って下さい。私が手を貸せば、それで竜の園まで行けるでしょう』
コクコクと素直に頷くナノ。
両手には大事そうに小瓶を抱えている。
そうして、ナノが身体全体を使って妖精の抜け道を顕著させたところで、私は意識を失った。
☆
『やぁやぁ、お目覚めかな?』
目を開けると目の前に髪の長い女性の顔があった。
『……竜の園』
『正解。意外と冷静なんだね。 ―――事情はナノちゃんから聞いているけど……。まさか死にたくなる位にメフィストフェレスが嫌いとはね。血塗れの君が目の前に現れた時は、流石の私でもびっくりだよ』
女性。園の管理者はそう言って笑った。
「ご迷惑を」
『うんにゃ。私は良いけど、ナノちゃんにお礼は言っておきなね。今は丁度薬の材料取りに行ってるけど、凄く心配して、君の看病頑張ってたから。あとは……、まぁ、不本意だろうけどメフィストフェレスにも。彼の小瓶が無ければ、流石の私でもどうしようも無かったよ。私、魔法使えないし』
「……不本意です」
不満げに私が言うと彼女は口を開けて笑った。
下品過ぎない快活そうな笑顔が綺麗な人。
『一応、君の代わりにメフィストはとっちめておいたからね』
不敵に笑った後。
右、左、右と拳で空を切って、とっちめておいたの部分を体現してみせた。
それから管理者は真面目な顔をして、私に視線を落とす。
『ごめんね。君がこんなになった理由が知りたかったから、メフィストをぶん殴って吐かせて知ってるんだ』
「……構いません」
何を言わんとしているかを察し管理者にそれだけ返す。
『母親の事もね。聞いたんだ。まぁ、そっちは初めてあった時から薄々感じてたから……。確認? みたいな?』
寝ていたベッドから上半身を起こす。左腕に僅かなに痛みが走った。
全身から感じる軽い倦怠感の中、やや赤の滲んだ左腕の包帯が目についた。
「……やはり気付いておられたんですね」
『まぁ、一度……正確には二回かな? 会った事があるからね。君の生まれた経緯をメフィストから聞いた時は、流石の私も驚きを禁じ得なかったよ。
―――あっ、その時に、追加で殴っておいたからね。まだ足りないなら次に会った時は遠慮なくぶっ殺してやると良いよ。私が許す。どうせ不死身なんでしょ? 君のパパ』
とても悪い顔をして言われた。ニヤリと。口から八重歯がのぞいた。
ので。
次は私も遠慮せずに行こうと誓った。
『キリノーー!』
突然声がして、そちらを見る事も出来ない内に顔面に張り付かれた。
『心配したなのよ~』
顔面、に張り付いたままナノが言う。
少し涙も見せている。
「ごめん。ありがとう。ナノ、は頼りになる友達で嬉しい」
端から見れば、自身の顔を両手で包んでそんな言葉を述べる変な人。に、見えなくもない気がする。気にはしないけれど。
『当然なの! ナノは頼りになる友達だから!』
ようやく私の顔から剥がれたナノが、顔の前で胸を張った。
『ナノちゃん。キリノちゃんをあまり暴れさせちゃ駄目だよ。 ―――キリノちゃんも。君は2日も寝てたんだ。お腹も空いているだろう? 何か胃に優しい物でも作るよ』
「……大丈夫です。傷も治しました」
言って、左腕の包帯をほどいて見せる。傷痕などは見当たらない。
それを見せつける様に体の正面まで掲げ「もう一度カーランに」と出発の旨を言いかけたところで、凄く呆れた顔をされた。
『フレアやマーちゃんもそうだったけど、魔法使いってどうしてこう無茶をしたがる生き物なんだろうね? 流石の私も呆れてしまうよ』
言葉の後で、大きな溜息をつかれた。
そんなに変な事を言っただろうか?
無表情にしつつも、頭に疑問符を浮かべていると先手を打たれた。
『禁止。禁止! 禁止ぃー! 私が良いと言うまで竜の園から出る事は禁止! どうしても行きたいなら私を倒していきなさい』
「……魔王、を拳一閃でぶっ飛ばす英雄に勝てる気がしません」
『あっはっはっは! 流石は私。戦わずして勝利してしまった』
私が戦わずして敗北宣言を出すと、英雄は腰に手をあてたまま、口を大きく開けて笑った。愉快だと言わんばかりに。
笑う彼女の口元から、亜人特有の一際尖った八重歯が覗いて見えた。