妖精のお供をするにあたって・2
『そもそもね、魔導士のお嬢さん』頭を悩ませる私に、老樹が言葉を紡ぐ。『スノーディアとは、北の大陸の名前なのだよ。今は誰もそう呼ばないけれどね』老樹グランドエントはそう続けた。
更に続く。
『魔獣というのも、人がそう決めつけただけで、あのお嬢さんは魔獣ではないよ。生まれた時期までは知らない。極寒の北の地で木々は育たないからね。
ただ、悪戯者が妹と呼ぶなら、悪戯者よりは後に生まれたという事だろう。
そうして、北の大陸で生まれた彼女は元は妖精であった』
『同胞なの?』
ナノが問う。
『ふむ。そうなるね。樹の種族と雪の種族という違いはあったが、私も彼女も、君と同じ母レイアより生まれた眷属だ』
『樹なのにナノの眷属なの?』
『そうだよ。小さな眷属さん』
『知らなかったなの!』
『知らない事は学ぶ機会が多いという事だ。君のこれからはワクワクする事が沢山あるのだろうね』
老樹がそう笑うと、『それってなんだか素敵なの』と、ナノも笑った。
一本と一匹の話に横から入って問う。
「元は、という事は、途中で種族が変わったという事ですか?」
『そうだね。母の死と一緒に、彼女は妖精である事をやめたんだ。自ら母の灰に身を置く事で、妖精の身を捨て、灰人として魔王モンブランに従う道を選んだ。それも、何か思惑があった様だけど、詳しくは本人に聞くと良い。心内までは私にも分からないからね』
「……本人に。つまり、まだその妹は生きているのですね?」
『先にも述べたが、私の耳に北の地の話までは入らない。ハッキリとあのお嬢さんの生死を確認した訳ではないよ。 ―――ただ、あのお嬢さんには双子が仕えていてね。あのお嬢さんと体をわかつ双子だ。その双子の噂は時々耳にする。ならば、生きていると、私は考える。違ったらごめんよ魔導士のお嬢さん』
私は黙って頷いた。
『話を戻すよ?』
また頷く。
『再誕を果たした魔王モンブランが小さな人の子になってしまったのは話したね? 木々が言うには、その子が灰王になる前の人格であるようだ。少し分かりづらいかな?
―――順を追うとね。まず、母レイアの眷属である妖精。その666番目として、その子は世界に生を受けた』
『末っ子なの!? ラストオーダー!?』
妙に弾んだナノの声。
私の頭から離れて、私と老樹の間にある空中を嬉しそうに飛び回り始める。
『あの悪戯者もそう言っていたね。私にはそれが何を意味するか分からないけれど』
『末っ子はね! みんなに愛されるなの! たから、役目を2つ持って生まれてくるなの! 特別なの!』
『そういう役目なんだね。2つの役目を持つ眷属は私も初めて聞くね』
『ワクワクなの?』
『ワクワクだね』
『それは良かったなの! ナノの役目は探求なのよ! そう決めたなの!』
訳知り顔で語り合う一本と一匹。私には訳が分からない。ので、問う。
「……役目とは?」
『役目なの!』
「……ナノ、は少し落ちついて」
この子に聞いても埒が明かない。
『役目というのはね魔導士のお嬢さん』少しだけ微笑んだ老樹が問いに答える。
『私達母の眷属は、世界に役目を持って生まれてくる。と言っても生まれてすぐは漠然とだけれどね。私達は生きて、時に世界を見て、知って、各々の役目を見出だす。そうして、世界に足りない物を補う。
それが、私達が生まれながらに持った役目だよ。
先程、小さな眷属さんは探求だと言ったね』
『そうなの! ナノは知恵の種族ナンバーツーなので、賢くなりたいなの!』
ニコニコと笑ったナノが言う。
『とてもよい役目だね。妖精の聖域に留まる事なく世界を飛び、見て、聞いて、嗅いで、知って、理解する君にピッタリの役目だと思うよ』
『ナノもそー思うなの! 樹のお爺ちゃんは何にしたの?』
『私はね、繋ぎ結ぶ者だよ』
『なにそれ?』
『繋ぐのさ。命を、知識を。そうしてそれがひとつの輪になった時に、私の役目は終わるんだよ。とても長い長い時間が必要だけれどね』
『よく分からないなの』
『そうかもしれないね』
頭を傾げるナノの様子に、老樹がまた笑い、老樹の笑いにつられてまたナノも笑う。
それを少し眺める。問う。
「役目というのは、レイアの眷属ならば必ず持っている物?」
『何事にも例外はあるモノだからね。役目が2つある者がいる様に、無い者もいるのかもしれない。私が聞いた事が無いだけでね』
「先程のラストオーダーにはどんな役目が?」
『会った事が無いからね。私にそれは分からない』
『愛なのよぉ』
先程まで見せていた楽しげな表情をやめて、穏やかな表情と口調でナノが答えた。
『末っ子はね、愛を伝える者なの。だから、末っ子がいる間は世界に愛が溢れるなの。でも~、役目ではあるけれども絶対では無いなので、そこは役目を持った者の頑張り次第なのよ。末っ子は役目を2つ持ってるから大変なの。愛と、もー1つの何かを頑張らなくちゃいけないから。だから末っ子は特別なの。頑張り屋さんだから大切にしないといけないなの』
そこまで言って説明を終える。かと思ったら、『あっ』と何かを思い出したらしいナノが再度口を開く。
『そういえば、マーちゃんも特別なの。先代がずーっと特別だからって言っていたから間違いないなのよ。もしかしてマーちゃんも末っ子だったなの?
繰り上がっても末っ子の役目も繰り上がるから末っ子が妖精王になっても不思議じゃないし、むしろ特別だから妖精王の地位は堅い気がするなの。でもそれって、王様の役目も増えて凄く大変そうなの~』
早口で紡がれるナノの言葉を黙って耳にする。
特別、特別、特別。
何故かその単語だけが頭の中で反芻された。
少しだけ、イライラした。
『小さな眷属さん。マロン・ウッドニートが末っ子なのは間違いないと思うよ』
『どうしてそう思うなの?』
『私が述べた灰王になった末っ子モンブランと、君達の王様マロン・ウッドニートは同じ妖精だからだよ』
『そうなの?』
『そうだよ小さな眷属さん。彼女は、あの悪戯者とは逆なのさ。悪戯者は妖精の王から魔王になった。彼女は魔王から妖精の王へとなった。まだ蕾だった彼女は、母と共に燃えたと思われていたけれど。そうではない。蕾は灰と混じり、そこから灰王が生まれた。
つまりね、母の消えたその日に、世界から2つの妖精が消えて、2つの混沌が生まれたのさ。それがマロン・ウッドニートとスノーディアだ。
マロン・ウッドニートを私は見た事が無いけれど、二人は良く似ていると、木々が噂していたね。まるで親子か姉妹か、とね』
老樹、のこれまでの話を噛み締める様に考える。整理する。
老樹の話は私の求めていたモノとは違うモノであった。既に宛ての無くなった私の旅のヒントにはなったし、後々の役にも立つ。けれど、少なくとも今ではない。
だからか、なんの感慨も沸かなかった。
今はそういう状況にないのだから―――
―――この1年。
私達が混沌から逃げ出したあの日を境に、世界は一変した。
晴れる事のない黒雲は日の光を遮った。
世界は薄暗く、得体の知れない不安が人を飲み込んでしまった。
終わった―――或いはそんな風に、人々は世界を見ていたのかもしれない。怖さも、渇望も、怒りも何ひとつだって出て来ない。ただ、終わったと――――頭では妙に冷静であろうとする、空虚な感情。
あの小さくも生意気で、王様よりも偉そうな彼が居なくなった、ただそれだけの事で、苦しくも幸せだった日々がスルリと手の平から溢れていった。
ある者は世界の破滅を予見する。
ある者はそれに涙し、不確かであった希望を放り投げ捨てた。
バルド領内に留まらず、世界からいくつもの村が消えた。人が消えた。人の営みが大きく衰退した。
村を捨て、王国に流れる民も少なくない。今やどこの王国も難民で溢れている。
それは、まともに対峙する事もなく、混沌に破れた私達の罪。
ただ逃げるだけしか出来なかった。逃げろと言った彼の判断は正しい。私達ではどうしたって混沌に勝てなかった。時期が早過ぎた。最善だとは思わない。思いたくない。1人を犠牲にして生き残ったのだから。惨めだ。とても惨めだ。
惨めなまま、再戦はおろか私達はバラバラになった。
大事な事を伝えようとする程、動かなくなる自分の口がニクかった。上手く言葉に出来ない歯痒さが―――
『キリノ、大丈夫なのよぅ』
酷い顔でもしていたのか、ナノが私の顔の正面で小さく微笑みかけてきた。
―――大丈夫。
きっとまだ大丈夫。
いつも楽しげに笑う彼が笑えば、大丈夫な気がする。
今、彼は何処にいるのだろう?
この薄暗い世界を知っているのだろうか? 何処かで見ているのだろうか?
今の世界を見て、彼はなんと言うだろう?
怒るだろうか? 嘆くだろうか?
例えば、どちらの顔を浮かべても、最後は暗い世界を冗談だと笑ってくれる気がする。それだけで光が戻る気がする。
終わったなんて世界の戯れ言を笑って吹き飛ばしてくれる気がする。
それは、なんの確証もない私のただの願望で、なんの保証もない希望だけれど。生きているのか死んでいるのか、そんな事すら分からないのに。
大丈夫。
大丈夫。
例えどうにもならなくとも、あの悪戯っぽい朝日みたいな笑顔を見れば、きっと誰もが元気になる。今日も明日も生きる為の力が沸いてくる。
調子に乗るからそんな事は絶対口にはしないけど。それでもまぁ、会いたかった位は言ってあげても良い。からかってくる様ならド突き回すし。