妹の頼みを聞くにあたって・4
『そう警戒しないで欲しいな』
母の灰から生まれたあの日以降、会う事も無かった妹が妖精の聖域にやって来たのは数週間前の事であった。
当初、髪の色と翼が無くなっている事以外はあの時と同じ姿をしていたスノーディアが、唐突にやって来た事に俺はかなり困惑して、最大限の警戒心を持って対応した。
そりゃそうだろ?
俺はスノーディアの事を何も知らない。
会ったのは樹の燃える前日、時間に換算しても一日と一緒にいっちゃいない。
それは向こうも同じな訳で……。
「何しに来た?」
長い年月、互いに接触もなく、生死さえも分からなかったスノーディアが今更、何をしに来たのか。見当などつく筈もない。
『あっ……うん』
それだけ言うとスノーディアは黙り込んでしまう。
正直、何を考えているのか分からず不気味ではあったが、スノーディアの様子は何かを企むというよりは少し緊張している風であった。その緊張が、久しぶりだから、って訳でもないだろうが……。
互いに出方を伺う、とでも云うのか、話すには若干の距離がある立ち位置が、長年埋まる事のなかった二人の溝を表している様でもあった。
『妖精王様』
俺とスノーディアが互いに沈黙し、にらめっこに興じていると横から声を絞ったリュウフが話し掛けてきた。
リュウフの声に、正面、スノーディアから視線を外す事なく応える。
「目的が分からん。全員に、いつでも逃げれる様にしとけと伝えろ」
俺の言葉にリュウフが二つ返事で返し、静かに離れる空気が背中越しに伝わる。
声までは聞こえていないだろうが、スノーディアがこちらの様子を少し戸惑いがちに見ているのが目に入る。
リュウフが離れてから十分に間を空けて、俺の方から口を開く。
「ダンマリってのは、何か言えない事でもしに来たのか? また樹に火でも点けるか?」
『違うっ……。そんな事はしない』
スノーディアが慌てて否定する。
「なら何しに来たんだ?」
二度目の問いに、二度目のダンマリ。
止められない音。止まらない音。ただ流れる自然の音。普段は浅い感触の風に揺れる葉音が、妙にハッキリと耳の深くで聞こえた気がした。
言葉の無い時間。自然の声だけの時間。
自然の音は、何人にもどうこう出来ない物であるがゆえ、ずっと聞いていたい気になる。力強さと、落着きが共存する不思議な声。
俺は、スノーディアの話を根気良く聞きだそうなどとは思っておらず、何の返答もないスノーディアに、帰れ、と言い捨て様とした直後に、ようやくスノーディアが口を開いた。
『頼みがある』
俺とは視線を合わせる事なく、やや俯き加減にスノーディアが言う。
なんだろう? デジャ・ビュでは無いが……、こう、説教中の妖精に酷似したこの雰囲気は?
弱気というのか、スノーディアからは敵意だとか悪意だとか、そういった負の感情は見られなかった。
あの日見た、薄く笑うスノーディア。
アレと、いま目の前にいる人物が同じだろうかと少し不安になった。
だがしかし、相手が弱気なら強気になるのが俺である。
ムクムクと沸き上がる俺のヤル気と元気。シオシオと萎む警戒心。
「頼みねぇ……。人に頼み事がある時は、相手の目を見て言え」
雰囲気のせいか、若干説教臭い台詞を返す。
説教は良い。
自然と立ち位置が出来上がるから好きだ。
こちらが上、相手が下。俺は偉そうにするのが好きだ。
で無ければ王なんていう質めんどくさいポジションにはついていない。
王は好き勝手やれるのが楽しい。
決め台詞は「俺がルールだ!」である。当然、妖精からは大ブーイングだが……。
そんな上司にしたくない妖精第一位が、その嫌な部分を前面に押し出す中、俯きがちだったスノーディアがゆっくりと、しかししっかりと顔を上げる。
そうして、俺の顔を正面に見据えると『頼みがある』ともう一度、先程よりも強く、そう口にした。
スノーディアとしばらく視線を合わせる。心意を問い掛ける様に、心意を探る様に。
目をそらさず俺を見続けるスノーディア。
「知ってると思うが……」
少しだけ間を空け、続ける。
「妖精は外と不干渉がルールだ」
そう言い放つと、スノーディアが何かを言いかける。それよりも早く更に続ける。
「しかし、それは相手が他種族だったらの話だ。妖精の……いや、妹の頼みだ。聞くだけは聞く。話してみろ」
開きかけ、半開きになった口をポカンと開けたまま閉める事も忘れたスノーディアが、驚いた様子でこちらを見つめ続けていた。
「レイアの顔で間抜け顔だと違和感あるなぁ」
『……間抜け顔って……』
「まぁ、それはともかく、だ」
自分で言った軽口を、自分で軽く流して話を促す様に言葉を紡ぐと、スノーディアは顔を引き締め直した。
それから、少しだけ言葉を選ぶかの様に口元に手を当てて、話始める。
『灰王の三柱は知ってるよね?』
「ああ。灰王が生まれた直後に散々暴れまくってたアレだろ?」
『うん。……実を言うと僕は今、灰王の元にいる』
「……へー」
今まで何処に居たのかと思っていたが、そんなやさぐれてそうな所に身を置いていたのか……。
聞くだけは聞くって言ったものの、何か……続き聞くのやだなぁ……。
『単刀直入に言うと、三柱を倒すのに協力して欲しい』
おっと、キナ臭くなって参りました。やはり聞くんじゃなかったかな。ちょっぴり後悔。
けどまぁ、問題ない。
我が伝家の宝刀【不干渉がルールだ】には、些かの錆も付いていない。
聞くとは言ったが、引き受けるとは言ってないもんね。
目には見えない小さな沈黙ののち、問う。
「聞くが、それらを倒してどうする?」
どんな頼みかと思えば……。
なんだそりゃ?
灰王の元での出世狙いか? まさか母の時の様に、灰王に叛意を翻すつもりなのか?
――――論外だな。
そんな事に協力するつもりは更々無い。
伝家の宝刀を抜くまでも無いなこれは。
『守りたい人がいる』
適当に流して、キリの良いところで断るかと打算しつつ、溜め息ともつかない小さな吐息を吐き出し、やや呆れた様子で彼女を見ていた俺の耳に、スノーディアのその言葉がハッキリと届いた。真剣な眼差しと共に。
沈黙。
今度はこちらが。
今日は耳障りな程に聞こえていた葉音さえ声を潜めた。
止められない音。止まらない音が止まる。
一度、深く息を吸い込み目を瞑る。そうして、止まっていた音を自分から掴みに行く。
力強い音。おちつく音。
葉音がザワザワと騒がしくなった所で、目を開け、スノーディアを見る。
俺の言葉を待っているのか、微塵もぶれる事なく見据え続けてくる。
もう一度、目を瞑り、考える。
――――うん。やっぱりあの薄ら笑いの人物と同一とはとても思えないな……。
まさかこの期に及んでニセ物なんて事もあるまい。
沈黙は肯定、――――なんてのは勿論状況にも寄るわけで、そんな事を思いながら沈黙する俺に、不利と思ったのか、断られまいとスノーディアが策やら何やらと話始めたが、それらをほぼ聞き流した。
そんなのは引き受けてからいくらでも聞けば良いのだ。
「よし、分かった。引き受けるよ」
『……え?』
息つぎもそこそこに、喋り続けるスノーディアの話をぶった切る様に言った。
何とも妙な表情をしたスノーディアと目が合う。先程見たものと良く似た間抜けな顔。スノーディアの顔。
「うん。協力するよ」
悪戯っぽく笑って再度告げる。
『……でも、妖精は不干渉だから……』
何故かこちらの台詞を奪う形でスノーディアが言う。
君は協力して欲しいのか欲しくないのかどっちだ?
「ふん。そもそも、それも俺が作ったルールだからな。初代にして現役の妖精王なめんなよ。作るのも俺なら、無くすのも俺だ。俺がルールだ!」
愉快を声色に乗せて、小さな体で胸を張り、腰に手を当てがって決め台詞を吐いておく。
『そ、そう……』
ややひきつった表情でスノーディアが俺の宣言に返事をし、一度、静かに目を閉じる。
それから、ゆっくりと顔を上げ、俺を見る。
そうして、『ありがとう、クリ』と柔らかく微笑んできた。
「ああ、任せておけ」
スノーディアにそう言った後、妖精の聖域を見上げる様に首を少し上に向け、辺りに響く様に少し大きな声で告げる。
「お姉ちゃんが困ってるぞ? お前らどうする!?」
『『『『『やるー!!』』』』』
俺とスノーディアを中心に、四方八方、コソコソと盗み聞きをしていた妖精達の元気な声が、妖精の聖域中にこだました。