妹の頼みを聞くにあたって・3
先程とは風の流れが変化する。
全身を撫でながら吹き抜けていく風の出処に顔を向けると、今や当初の形とは大きく変化してしまったなだらかな小山。そこから滑り落ちていた風は、半円形の抉れた大地の中央に集束し、強風となって足元の草を揺らしていた。
衝突直後こそ風と共に頬に当たっていた砂埃の感触も、僅かな時間で立ち消えていく。
「こ……」
こえ~……。
右手を振り挙げただけで地形が変わっちゃったよ。
三柱とは聞いてたけど……。えっ? なに? そういう事出来ちゃうの?
今のが俺目掛けてだったら死んでたよね、絶対。
『貴様が我が王に取って変わるなど』
「タ、タイム!」
半パニックに陥る俺に届けられたティアマットの言葉を遮る様に慌てて待ったをかける。
その際、ティアマットの憤怒の表情が目につき、すぐさま視線をそらした。
やっべぇ~。
怒ってる? 怒ってるよね? もう見るからに。まぁ挑発したのは俺なんだけども。
これは大ピンチではなかろうか? このままでは本当に死んでしまうかもしれない。
俺は死ねない。まだ死ぬ訳にはいかない。
まだ熟れてない、と一昨日食べずに取って置いた果物を食べなきゃいけないし、そろそろアプーの花も咲く頃だ。アレを肴に宴会するのが毎年の楽しみなのだ。
だからまだ死ねない。
だから、あの……、右手に魔力集中させるのは止めませんか?
そんな勝手なお願いが届く訳もなく、十分に溜まりきった魔力球をティアマットが撃ち込んでくる。
わーお、きっと当たったら骨も残りませんな。
そうして、思ったよりも超早い速度で飛んでくる魔力球に向け、片手を突き出す。
当然あんなものを俺が受け止めるなど出来る訳もないのだが、そのまま、あわや消滅という直前、ティアマットの放った魔力球は辺りに僅かな風だけを残し、音も無く消えてしまった。
僅かに眉を潜めたティアマットが訝しげにその様子を見ているのが視界に映った。
『流石は妖精王といったところか』
怪訝そうな表情そのままにティアマットが少しだけ誉めてくる。
誉めてくるならティアマットにはまだ余裕があるのだろう。
余裕のある敵に誉められても腹立つだけである。
「はっはっはっ! ティアマット君も中々のものだが、そんなもの幾ら放ったところで俺には届かんよ!」
実際はかなりの速度だったのでいっぱいいっぱいなのだが、相手が余裕ならばこちらも虚勢を張っておかねばなるまい。そして、出来る事ならこれで諦めてくださいお願いします。
物分りの良い奴なら、通じないと体感したここでアプローチを変えてきそうなものだが……。
『では、試してみるか』
俺の言葉にティアマットがそう返し、無表情のまま幾つもの魔力球を自身の周囲に漂わせる。
あらやだ、何て物分りの悪い奴なんでしょう。
「嫌いじゃないけどね。そういう愚直な奴」
そうして放たれた十数発の魔力球の全てが小さな俺に向けて突っ込んでくる。
面倒、もとい一個一個をご丁寧に消すのは無理なので、両手を回して周囲に丸ごと防御を展開する。
これで俺にティアマットの攻撃は当たらない。
俺の四方から飛来した魔力球は先程同様、俺に直撃する前に全て消えてしまう。
無駄。無駄なのだよティアマット君。
余裕の高笑い。
『妙な技だ』
腰に手を当て高笑いする俺に向けてティアマットが言う。
続ける。
『魔力で打ち消している訳でも無い様だが……』
そこで少しティアマットが考え込む様に間を空けた。
かと思いきや、唐突に魔力球を一発放つ。
防御を展開したままなので当たりはしなかったが、その不意打ちにちょっとだけビックリして俺の高笑いが止まる。
び、びっくりしたぜこの野郎……。
だがしかし、何度やっても当たらんよ。
不意打ちの一発を消して空中で余裕の仁王立ちをかます俺に構わず、ティアマットがやや首を上げて右手の空を眺めていた。
おやおや、余所見とは余裕だなティアマット君。
それとも途方に暮れているのかな?
どちらにせよ、俺に出来るのは自分の身を守るだけで、攻撃の手段など持ち合せちゃいないのだけれども。
そんな事を思っていると、少しの間、空を見上げていたティアマットがゆっくりとこちらに向き直す。
『魔力ではなく、妖精だけが持つとされる特種な力による転移系の魔法、といったところか。通常ならば魔力同士のぶつかり合いでどちらかが消滅しそうなモノだが……、転移魔法にそんな有用付加を持たせる事が出来る辺り、やはり独特な力なのだろうな』
あ、はい。
―――――くそ、この野郎……、さっきの不意打ちは何か試しやがったな。
ティアマットの読みはほぼその通りで、なんの事はない、妖精の抜け道で攻撃を全部何処かに飛ばしただけである。
転移の陣が魔力での展開ならば、転移よりも魔力同士の衝突が優先されて転移陣が破壊されてしまうのだが、妖精の抜け道は魔力じゃない。相手の魔法では壊れない。
人間に、魔族に、魔獣に、灰人にと、様々な種族が跋扈する世界において、弱小たる妖精はある意味コレ一本で生き抜いて来たと言っても過言ではない。
妖精は身を守る事、逃げる事に関していえば大変優れた種といえるのだ。
「見抜いた事は誉めるけどねティアマット君。見抜いただけじゃ俺に攻撃は当たられないぜ?」
とは言ってみたものの、実際問題、力を使えば疲れるし、いつかは枯れる。並の妖精なら五回も使えば力は空っぽだろう。そうなる前に妖精の抜け道でスタコラ逃げるのだ。
逃げるぜぇ~妖精は。超逃げるぜ? 妖精によっては相手を散々小馬鹿にしてから逃げるので達が悪いとも言える。それはさぞかし悔しかろう。
対峙したところで攻撃手段は持ち合せていないので防御一辺倒だしね。
俺達が逃げずに戦う相手と言えば、虫とか小動物位のもんである。
妖精界一の武闘派リュウフとヘラクレスカブトムシの激闘などは記憶に新しい。負けてたけど……。
しかし、今回は逃げる訳にはいかない。
なんせ妹の頼みだからな。そもそも逃げるつもりなら最初からこんな所に来ちゃいない。
まぁ、正直帰りたくて仕方無いのだけれども。
さて……、妖精パンチを見舞ったところでティアマットに効くわきゃないし、攻撃手段が無いというのは事実だが、策も無く来た訳でもない。
と言うより、お膳立てはスノーディアが済ませてくれている。
後は、どう近付くか、そしてティアマットに触れるか、これだけだ。
スノーディアの話では触るだけで良いらしい。
後はこちらでやる、と。
――――今になって思う。
触るだけとか楽勝じゃん? と考えていた自分が浅はかであった、と。
とてもではないがアレに触る難易度は楽勝なんてモノじゃない。難易度トリプルAだぜ。お金でどうにか解決出来ませんかね? 無一文だけど……。
さてさて、どうやって触ったらいいものか……。
俺とティアマット。
互いに攻め手を思考し、静寂が支配する時の中で、風に揺れる草の音だけが意識の片隅に届き、流れていた。