妹の頼みを聞くにあたって・2
重たげな扉が開くと、何故か日の光が差し込む空間へと辿り着いた。
なだらかな小山。風の切れ間に鼻を擽る草の匂い。
城に入り、中を進み、扉を潜ると外に出る、という字面にすると普通だが、体感すると不思議な事象に思わず首を捻る。
左に顔を向けると案内をしてくれた女性がいて、そこから更に身体を捻って後ろを見ると、先程まで歩いていた城の中が目に映り込む。
扉を潜って気付かぬ内に転移した、という訳でもない様だ。
どういう事か尋ね様と女性に顔を戻すのとほぼ同時、『よく来た、妖精王』という声が耳に届く。
視界は、女性、正面の小山と通り抜け、ぐるんと半周、右の平地へ。
草の絨毯が敷き詰められた緑の平らな大地に、何とも場違いなテーブルと椅子が並べられ、その1つに大柄な男がこちらに身体を向けて座っていた。
男を視界に捉えた後、誰に促される訳でもなく椅子、ではなくテーブル、丁度、男と対面となる位置に腰を落とす。こういう場でキチンと椅子に座れないのが、身体の小さな妖精のやや残念なところである。
「いや~、着いて早々、やっぱりお帰り下さいって外に放り出されたのかと思ったよ」
そんな軽口を言いながら男の反応を見る。
『すまないな、城が空より落ちた際に半壊してしまってな。ろくにもてなしも出来ん』
僅かに笑みを浮かべながら男が返す。
「いいさ、別に。多少、灰王の城というのがどういう物か興味もあったが、草の匂いがするこっちの方が俺は落ち着く」
『そうか』
それから、少しの沈黙。
別に緊張している訳でもなかったが、鳥の声に釣られてぼんやりと空を眺める。
『それで今日は何の用だ?』
そう声を掛けられ、見上げるのをやめて、正面を見る。
男が大柄なせいか、やっぱりちょっとだけ見上げる事になる。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど……、何でもそちらさんはレイアの復活を希望されているとか」
探る様に男へと視線を向けると目があった。
男。――――ティアマットはそらす事なく『のちのちはそのつもりだ』と答える。
「困るんだよ、そんな事をされては」
『何故だ? 妖精は母の復活を望んではいないのか?』
ティアマットが少し意外そうな顔を見せた。
「望んでいない訳ではないが、今じゃない。まだ早過ぎる。今、復活してもあの悲劇が再開されるだけだ」
『粛清か……。だが、母がせずともそれは我ら灰人が先導して行う。それが灰人の存在意義だ。結局、復活しようとしまいとそこは変わらない。咎人がいる限り終わらない』
「咎人ねぇ……。人の寿命などたかが数十年。あの頃の者達と今の者達。種族としての繋りはあれど、何の関係もない。罪などとうの昔に時効だろうに」
『我らはモンブラン様の意思に従うまで。他は関係ない』
「そのモンブランとて咎人の虐殺は望んじゃいないだろ?」
『今の王は、な』
「王は王だろう」
『俺はアレを王とは認めん。今のアレはただの動く器だ』
「ならどうする? 頭をすげ替えるか? あの子を殺して」
『それが最善だと思えばそうするまで』
少し間がある空気が流れてから、話を再開させる。
「わからんなぁ。何故そう簡単に殺す? それ以外の選択肢はいくらでもあるだろうに」
『求めているのは妥協ではなく、理想だ』
「はぁ、さいですか」
僅かな会話でこの堅物の相手が何だか面倒になってきて、溜め息と共にそう返す。
『俺こそわからんな』
「ん?」
『何故、中立であるお前達がわざわざこちらに干渉してくる? 王が何者であろうと、咎人がどうあろうと、お前達には関係のない話の筈だ』
「……少し勘違いしてるな」
『勘違い?』
「今まで互いに交流が無かったんだ、君らが妖精の事を知らないのも無理からぬ話ではあるのだが……。俺達はな、ティアマット、面白可笑しく毎日が過ごせたらそれで良い。誰が王だの滅ぼすだの、そんな面倒臭い事に巻き込んで欲しくない。だから俺達は中立という、言いかえれば無関心というポジションを選んだんだ」
『ならば、余計に首を突っ込むべきでは無かったのではないか?』
「い~や、今回ばかりは首を突っ込まざるを得ないな。なんせ君らの目的がレイアの復活だと知ってしまったからね。最初に言っただろう? ―――――困るんだよ、レイアに出て来て貰っちゃ。アレは子離れ出来てない母親だ。復活すれば必ずこちらに干渉してくる。俺はこの数千年、今も反抗期真っ只中でね。母の干渉ほど不愉快なモノは無いんだ」
しばらく、ティアマットは口を開かず、何かを逡巡する素振りを見せた。
こちらの意図を読みかねているのか、或いはただ呆れているだけかもしれない。
そりゃそうだろ。なんせ数千年の今まで不干渉を貫いていた理由がただ面倒臭いからなどというお粗末様な答えだ。
勿論、本気で面倒臭かったからなどという理由ではないが、モンブランやスノーディアの名を出してしまうと、後々の火種になりそうなので自重した形だ。
今回の干渉が一方に肩入れしての行動だという事は隠しておきたい。
図式としては、灰人同志の対立で咎人側という訳でも無いが、不干渉である以上、内輪揉めだろうと干渉するのは御法度だ。
あくまで、レイア復活がこちらの中立を潰す行為だとする忠告止まり。レイアが妖精にちょっかい出すからやめてくれ、と。
これならば一方への肩入れとはなるまい。
実際、スノーディアのお願いを了承し、既に他の妖精達は行動に移してしまっているだろうから、中立という立場は崩れてしまっているが、その事をティアマットはまだ知らない。
知らないならばわざわざ教えてやる必要もない。
やや置いて、
『……つまりお前の我が儘という事か?』
「まぁ、そう取って貰って構わないよ」
『だったら、余計にお前の我が儘に付き合うつもりはないな。こちらはこちらで好きにやらせて貰う』
言い終わるとティアマットが椅子からゆっくりと立ち上がった。
そうして、踵を返して場を離れようと歩を進め始めたティアマットの背後に、依然、正面を向いたまま言葉を届ける。
「殺すのか、あの子を?」
『頭をすげ替える。それが最善だ』
互いに背を向けたままの会話。
「ティアマット、お前は今の王が気に入らないみたいだが、お前が王を選ぶ様に、王とて部下を選ぶ権利はある。そうは思わないか?」
『……何が言いたい?』
「俺が灰王なら、お前の様な部下はいらない」
ティアマットの方は見ずに、あくまで淡々とした口調で告げる。
緑の穏やかな空気と不穏な空気が混じり合い、場に拡がっていく。
そんな空気など知らぬとばかりに、鳥の囁きと涼しげに揺れる草の音だけが、相も変わらず佇み続ける中、
「俺が灰王に取って変わるのも面白そうだ」
かさついた薄ら笑いを顔に張り付けて、下から舐めるようにティアマットの背中を見上げて言い放った。
途端に、二色だった空気をドス黒い殺気が覆い、塗りつぶしていく。
『王を愚弄するか。 ――――身の程を弁えろ、妖精風情が』
「お前こそ誰に口聞いてると思ってる? ――――身の程を弁えろよ、灰人風情が」
激しい衝突音が響いたのは、この直後の事であった。