妹の頼みを聞くにあたって
「え? なにこれこわい」
意気揚々、鼻唄混じりにやって来た灰城で、先ず俺の目に飛び込んで来たものは、晴れやかな青空には酷く不釣り合いな赤黒い血溜りが拡がった城の出入口。
辺りにはむせ返りそうな程に充満した血の臭い。鼻唄混じりに来たもんで、それらを肺いっぱいに吸い込む羽目となった。
「えらいところに来てしまった。もう帰りたい」
『今帰られては困ります』
到着早々にそう嘆いた俺に落ち着いた口調の声が届けられる。
『お待ちしておりました妖精王様』
「いえ、人違い、もとい妖精違いです」
顔の前で違う違うと手を振り否定してみせる。嘘だが。
『警戒なさらずとも妖精王様の来訪はスノーディアより承っております』
「あ、さいですか」
『どうぞ、御案内致します』
そう言って声の主、見るに城使いのメイドさんだろうか……。
美人だがやや愛想に欠けそうな女性が俺を城へと招く。
「お邪魔しま~す」
奥へと進む女性の後を追う様に足を動かしつつ、か細い声で一応挨拶するが、友人宅ならいざ知らず城に入るのにそんな挨拶が必要かと問われると難しいところである。まぁ、友達居ないけどな!
城の中はシーンと静まりかえっていて、広いせいかやたらと物悲しく感じた。
「随分静かなんだな」
広く、凝った装飾が要所々々に施された城内を見渡しながらそんな感想を述べる。
『御存知の通り、皆出払っておりますゆえ』
こちらを見る事も歩を止める事もなく女性が答える。
御存知ありませんけど?
あの野郎、えらく端折りやがったな。
まぁ、そんな端折った説明だけの頼みを聞いた俺も俺なんだけど……。
あの野郎とは勿論、俺の前を歩く女性を指している訳ではなく、古い友人、いや、俺に友達は居ないんだった。古い兄妹の事である。
兄妹といえば聞こえは良いが、大して親しくもない。
ただ、ちょっとした義理がある故、彼女のたっての願いを無下にするのも忍びないと、話も録に聞かずにオッケーを出した。出してしまった。
ちょっと、いや、かなり馬鹿な選択ではあったが、これで約束を果たせたと解釈しよう。
上手くいけばの話だが……。
数週間前、俺に頼み事をしに来たあの野郎の名はスノーディア。同じ母を持つ妹だ。
妹と言っても、義理の、に近いかもしれない。
妖精が樹の種族であるなら、彼女は雪の種族。
まして今の彼女は妖精と違って性別というものを持っている。色々と複雑な妹なのだ。
そんな複雑な妹と初めて会ったのは、母レイアが死ぬ前日の事だ。
その時になるまで俺は樹の種族以外の眷族がいるなど知りもしなかった。
何故、母はスノーディアの存在を黙っていたのか?
何故、樹の精霊たるレイアが雪の種族を生み出せたのか?
疑問も色々あるのだが、肝心の母が居ないのでその答えを知る事は出来ないだろう。
スノーディアと会った翌日、母は依り代たる巨木を焼かれ、その7日後に燃え尽きた。
火を点けたのは俺以外の樹の種族達。
虚ろな目で、揺らめく松明を手に持ち、無機質な表情で、まるで動く死体の様に次々と巨木に火を放っていた。
そして、そんな樹の種族達の背後。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて眺めるスノーディアの姿。
会ったばかりの彼女がどういう意図で、どんな決意の元でそれを実行したのかは俺には分からない。
ただ、俺はそれを止め様とはしなかった。これは母が受けるべき報いだと、本気でそう思っていた。
願わくは次に会う時は、昔の優しい母に生まれ変わります様に。
そんな事を思いながら焼けゆく母を見送った。
意外な事に、そんな俺の願いは直ぐに半分叶った。
半分だけ。
俺はその場に居なかったので何が起きたのかは見て居ないが、同胞達によれば、母の灰の中から母が出て来た、との事だ。
ハッキリ言って意味不明であった。
興奮した様子で早口で捲し立てる同胞達の話だけでは埒外が明かないと現場に急行すると、そこには確かに母が居た。
一糸纏わぬ姿の母が、巨木の灰が拡がる大地に立っていた。
正直訳が分からなかった。
訳は分からないが戦慄し、驚愕した。
母が灰より出でる前、自らを母の怒りの化身と名乗る人物が灰より生まれ、それは怪物を産み出し、母の敵を滅ぼそうとここ数日暴れ回っていた。
その怪物達の対応に四苦八苦している最中の出来事である。訳が分からない事ばかりで俺の頭が追い付く筈もなかった。
混乱する頭の中、とにかく状況を把握すべくレイアに声を掛け、返答を待つ。
レイアはゆっくりこちらに振り返ると、たっぷり間を空けて、言い放った。
『残念だけど、あの糞ったれは死んだよ』
薄ら笑いを浮かべて彼女は俺にそう言った。
その薄ら笑いに再び戦慄する。
顔こそレイアそのものであるが、俺の脳内でその表情は数日前に見たそれとリンクした。
「……スノーディア……か?」
おそるおそる問う。
『そうだよ、兄さん』
それだけ言うと彼女は微笑んだ。優しく。
そうして呆気に取られる俺を置き去りにして、彼女は何処かに飛んでいってしまった。
とても彼女の後を追う気になどなれず、レイアの姿をしたスノーディアとはそれっきり会う事はなかった。
あれから長い歳月が流れた。
世界には様々な種族が繁栄したり、争ったり、ザ・ワンが灰王を討伐したり、なにやら世界は忙しそうだが、妖精はその全てに無干渉を貫き通した。
殺し合いなど勝手にやってくれ。妖精を巻き込まないでくれ。
その大義名分を得る為に、色々と苦心、努力したのだ。今更誰の干渉も受けるつもりはなかった。
なかったのだが、そんな俺の元にスノーディアがやって来た事で俺はあっさりとその意思を翻した。
いや、別にあっさりって訳でもないが、その理由を語ったところではたして他人に理解出来るかは微妙なとこだろう。
理由のひとつは、母が燃え尽きる前に俺に言った言葉。
『スノーディアを頼むわね』
確かにレイアはそう言った。
自らを葬った仇のスノーディア相手に救いを求めた。
俺はそれを母がスノーディアに向けた最初で最後の愛だと解釈した。
だから、長年、生きているのかも分からなかったスノーディアが突然俺の元にやって来て、そうして頭を下げた時に、あの約束を果たすならば今しかないと、スノーディアのお願いを二つ返事で返した。
正直言えば、スノーディアを信用して良いものかという思いもあったが、頼み事の際、彼女は確かにこう言った。
『守りたい人がいる』と。
それが決定打となった。
妖精を迷いなく利用し、母を笑って亡きモノにし、薄く笑う。そんな人物といま目の前で真っ直ぐに俺を見つめてくる人物が同一だとはにわかに信じがたかった。
俺は軽いが、馬鹿ではない。つもりだ。
そんな俺から見て、スノーディアからは昔の様な暗い感情を読み取る事は出来なかった。
暫し思考ののち、長い年月が彼女を変えたのだろうと楽観的に考える事にした。
スノーディアのお願いをここで理由を付けて断る事は容易いが、それはスノーディアに生まれたその感情を壊しかねない愚行だ。
是非ともその感情はもっと大きく育てて貰いたい。芽吹いた種を育て、花咲かせ、それがまた実をつけ、違う誰かに拡がっていく。母もきっとそれを見越して俺にスノーディアを頼んだのだろう。
「分かった。兄さんに任せなさい!」
そうして俺は可愛い可愛い妹の為に一肌脱ぐ事を決意したのである。妖精達も巻き添えにして。
☆
『この先です』
兄貴風を吹かせた俺が情緒たっぷり、感傷的な回想に浸っていると女性がそう言って俺を現実へと引き戻した。
あの血溜りを見てからは兄貴風など強風となって何処かに流れていってしまい帰りたくて仕方がないのだが、今更「やっぱキャンセルで」などと言える訳もなく、と言うか本人も居ないし、もう俺に逃げ場などなかった。
そうして、鬱々とする気分の俺を放ったらかしに、物語は着々と進んでいくのである。
紙をめくるパラッなんて擬音ではなく、重たげなガコンと扉が開く音を添えて。