悪魔のお供をするにあたって・17
『寝ぼすけちゃん、そろそろ起きてくれるかい?』
スノーディアのそんな声を夢うつつでぼんやりと聞いて目を覚ました。
耳元で囁かれた様に届いたその声。
それも当然で、目を開けた僕のすぐ近くにスノーディアの顔があった。
薄い意識の覚醒と共に、体で感じる風の感触。
でも、それはそれとして、先ずは目の前の顔に向けて円滑に行動しようと思い、「おはよう」と挨拶した。
スノーディアは、片眉を少しだけ上げて、何だか不思議なものでも見る様な顔をした。
それから少しだけ口元を緩めて、『はは、君はアドリブよりも台本を重んじるねぇ』と言ってきた。
『暴れないでくれよ? それはそれで楽しい未来が待ってるかもしれないがね』
そう言ったスノーディアが、正面、遠方に目を向ける。
同じように目を向けると、途端に横なぐりだった風が目に飛び込み、起き抜けの寝ぼけ眼の僕を無理矢理に叱咤する。
視界の先には白い雲と青空が広がっていて、ようやく自分がスノーディアに抱かれて空を飛んでいるのだと理解した。
真上を見上げれば、お日様は頂点まであとちょっとのところまで来ていた。昼前くらい。
昨日はとっても夜更かしして、スノーディアやカナリア達といっぱいお喋りした。
とっても素敵で楽しかったけど、僕はいつの間にか眠ってしまったみたい。
残念。
残念だけど、『たまにやるから楽しいんだよ』と言ったスノーディアの言葉から察するに、きっとまたチャンスがあるに違いない。その時はもう少し頑張って起きていようと思う。
それから、少し身を乗り出して、真下に顔を向けると、結構な早さで飛んでいると自覚出来る。ただ、その割りに風の感触が弱い気もする。
「どこに行くの?」
居ずまいを正してスノーディアに顔を向け直し、尋ねる。
飛んでいるのもびっくりだし、今が昼前で、そんなに寝ていたのかともびっくりしたけど、スノーディアが平気そうな顔をしているので、きっと平気なんだろうと思う。この人が余裕だと、何故か僕も余裕だった。安心できた。
『目的地はもううっすら見えて来てるよ』
そんな答えが返ってきたので、もう一度正面、進む方向へと目をやる。
白と青の風景の凄く遠くに、薄い霧にでも隠れたような緑の色が加わった。
「レイアの樹……」
緑色に目を凝らしながら、そう呟く。
『ああ、そうだよ。僕らの……君の故郷だ』
少しくすぐったい柔らかな口調で、スノーディアが告げた。
僕の故郷。なにげなく忘れていた事実。今は樹の種族じゃなくなってしまったけど……。
気がついたら、少しだけドキドキしていた。
落ち着こう、そんな言葉は頭で反復して、視界に映る緑色を眺め続けた。
☆
『スノーディアだ!』
『ホントだ』
『スノーディアキタァ!』
『みんなー! スノーディアが来たなの!』
『魔王いる?』
『子供がいる』
『あれが魔王?』
『スノーディアの子供じゃないかな?』
『かな?』
樹と呼ぶにはあまりにも規格外の大きさ。
雲に頭がかかるのではないかと本気で思ってしまう。
広げた枝葉も広く、風が吹き抜ける度に、葉が、まるで潮の満ち引きの様な音を奏でる。
不思議な事に、数多の枝葉に陽光を遮られる事なく、巨木の根元にも光が溢れ、他の草花の成長を阻害する事なくキラキラと降り注いでいた。
僕らがレイアの樹の根元に降り立つなり、沢山の樹の種族達が興味津々といった様子で、わらわらと周囲に集まり始める。
僕が樹の種族だったのは、ずっと昔の事。
たがら、当然と言えば当然なんだけど、沢山の樹の種族の中に、僕の知っている顔は1つもなかったのが、ちょっとだけ残念だった。
『ようこそ妖精の聖域へ』
『お名前は?』『どこから来たの?』『魔王ってほんと?』
『何しに来たの?』『果物食べる?』『先ずは唄おうよ』
『それとも踊る?』
『いいね!』『いいね!』
『踊ろう!』
矢継早に届く質問に、どう答えたらいいのか、どれから答えたらいいのか判らなくて、ちょっとたじろいでしまう。
たじろいでアタフタしていると、どこからともなく華やかで明るい花のラッパの音色が響く。コンコンとクルミの太鼓もそれに続いて、あっという間に音楽祭。
曲調も何もない好き勝手な音を奏でる音楽隊が、僕らの周りを楽しそうに囲う。
『待て待て! 君達。僕らは遊びに来たんじゃないんだから! 王から何も聞いていないのかい!?』
興奮の一歩手前。るつぼに落ちるのも時間の問題。樹の種族達の四方八方から飛んでくる怒濤の質問攻めに僕が面食らっていると、少し呆れた顔をしたスノーディアが樹の種族達をそういさめた。
ピタリと止む音楽。
シーンと静まる空間に、止めるタイミングを間違えた、プァっとハズレたラッパの音が響いた。
『寝てた!』『わたしも』『僕も!』『ナノも!』『カンも!』
『俺は聞いてた』『なになに?』『聞きたい聞きたい』
『でも忘れた……』『意味ない』『忘れたら意味ないなの』『ない』
『どうしようか?』『どうする?』
『やっぱり踊る?』
『『『『『『いいね~』』』』』
ふたたび一斉に始まる音楽隊の行進。
プァァ~コンココンプァプァ! やっぱり好き勝手でむちゃくちゃ。でもみんなとっても楽しそう。
『駄目だっつぅーの!』
少しキツい口調のスノーディアが言って、深く溜め息をついた。
元々の樹の種族の陽気な性格もあって、場は早くも混乱気味になりつつあった。
『怒った』『怒られた』『真面目さんだ』『スノーディアは真面目さんだ』
ピタリと止んだ音楽の後に、全く悪びれた様子もない樹の種族達が、そんな言葉を吐き出して可笑しそうに笑った。
『君達の王様はどこだい?』
先程よりは少し小さく溜め息をついたスノーディアが、そう尋ねる。
『いない~』『王様もう行った』『出掛けた』『た』
我先にと口早に答える樹の種族達。
『そう……。予定通りだね』
『予定通りだって』『予定通り?』『俺知ってた』
『寝てた』『なになに?』『忘れた』『予定通り!』
なぜだか勝手に楽しそうな樹の種族達。
『余裕なところ申し訳ないけどね、予定通りなら、もうすぐここにこわーい悪魔がやってくるよ』
スノーディアがちょっとだけ悪い顔をして、脅かす様に告げた。
樹の種族にあてられたのか、スノーディアもちょっと楽しそう。
『怖いって』『怖いの?』
『悪魔だって』『それは大変だ』『大ピンチだ!』
『どうする?』『どうしよう?』
『もうすぐだって』『もう来ちゃう?』
『アイツらを呼ぼう!』『そうだアイツらだ!』
『いいね!』『呼ぼう!』
『アイツら?』
アイツら、アイツらと騒ぎ始まめた樹の種族達の言葉に、僕とスノーディアが互いに顔を見合わせた。
誰か助っ人を呼ぶのかな?
『せー、の!』
『『フェアリーレンジャー!』』
おそらくその場にいた全ての樹の種族達が声を張り上げ叫んだ。
直後、ボフンッという音を出して周囲に煙が立ち込め始める。
『ティーティディディッ、ティティティ。ティーディティディッ、ティティティ』
煙の中、そんな音楽も聞こえてくる。楽器なぞ知らぬ存ぜぬとばかりの、口による合唱。
『3番! フェアリルーン!』
シャッキーンと叫びながら煙の中から躍り出る一匹の樹の種族。空中でぶわっと決めポーズも忘れない。
『5番! フェアリカーン!』
続けて、またも煙の中から樹の種族が飛び出し、同じようにズバーンと叫んでポーズを取り、並ぶ。
一体、何が始まったのだろう、
『7番! フェアリサリー!』キラーン。
『9番! フェアリヒューイ!』ブュワワン。
『11番! フェアリスラン!』パリーン。
以下、効果音とポーズこそ違えど、次々と煙の中なら姿を現す樹の種族達。もといフェアリーレンジャー。
そんな小さき者達に向かい合いながら、横目でスノーディアを見ると、スノーディアはとても冷ややかな眼でフェアリーレンジャーを見つめていた。
ティアマットに見せた眼よりも、ずっと冷たい気がする。
そうして、しばらくは我慢して見ていたスノーディアだったが、155番が飛び出してきたところで限界に達したのか、『あのさぁ』と口にした。
続けて、
『まさかと思うけど全員言うのかい?』と告げた。
僕も全く同じ事を思った。
『今は665番までいる』
最初に飛び出してきた、えっ~と、3番フェアリなんちゃらが、質問の答えを口にする。
聞いている感じ、番号が奇数で増えている事と、1番が不在だった事を思うに、全部で332匹の口上を見ないといけないのか……。
長くない?
『……まとめて出てこいよ』
うんざりした顔のスノーディアが、表情をそのまま言葉に変えたかの様な声色でポツリと呟いた。
僕も全く同じ事を思った。