悪魔のお供をするにあたって・16
陽が落ちて、暗くなる頃。
部屋の窓から見上げた先、暗いはずの空には、浮かぶこの城よりも更に高い、薄く白い霧の様な雲が浮かんでいる。
それよりももっと遠く。
輝く砂粒の中にあって、一際鮮やかに映る月は、右半分の上弦よりも進んで、満月の手前。きっと明日には綺麗な真ん丸になる。
一人、椅子に座って、月とにらめっこ。
僕が笑うと月の顔も笑ってみえる。僕が泣くと月の顔も泣いてみえる。全然似てないけど、僕の鏡の様な顔をする。
目はあの点で、鼻はあれ。口はその下の点に違いない。間違い探しというよりは、絵を描いてるみたい。
月に目鼻を描きながら、物思いにふける。
昼間はびっくりした。
びっくり? 薄い雲を枕にして、月が首を傾げたので答える。
びっくりというよりは、困った、かな?
禍が使える様になれば、何かが変わるかなって思った。
別に劇的な変化を望んだ訳じゃないけど、少しでも先に進めるかなって。
上手くいった? 右から左に流れた雲にあわせて、月がまた、今度は反対に首を傾げた。
うん。途中まではね。
禍の使い方は分からなかったけど、上手くいった。
でもまさか、赤ん坊の話になるとは思ってなかった。
予想外のニーグの言葉に、頭が真っ白になってしまった。
まだまだ、スノーディアみたいにはいかないみたい。
月がちょっと笑った気がした。
どうして笑うの? 君、雲で顔を隠すのは卑怯だぜ? 意地悪そうな顔でスノーディアの真似っこ。
似てるかな?
コンコン。
静かな部屋に小さくノックの音が響いた。
ニーグかな? 音に気を取られている間に雲から顔を覗かせた雲が、自分の予想を告げてきた。
うん、僕もそう思うよ。昼間、話の途中で逃げたからね。きっとその話をしに来たんだろう。
「どうぞ」扉の外のニーグに向けて返す。
良いの? と、お月様。
良いよ。 ―――もう策は考えてあるぜ? 本日二度目のスノーディアの真似っこ。
『やぁ、お喋りに来たぜ?』
扉に向けていた顔を慌てて月へと向け直す。
真似っこしてたら、扉を開けて本人が来ちゃった……。予想外……。
君、まだまだだぜ? お月様が意地悪そうに笑う。
君までスノーディアの真似っこしないで。
ちょっとムスッとする。
『ご機嫌ナナメかい?』
「え? いや、違う、スノーディアにじゃなくて……お月様が」
『月?』
お月様のせいでスノーディアに変な顔をされたじゃないか。絶対また不思議モンブランとか思われた。
『ああ……、綺麗だね。明日は満月だ』
月に向かって口をへの字に曲げていると、いつの間にか僕のすぐ側までやって来たスノーディアが、窓枠に手をついてお月様を見上げていた。
窓から吹き込む空気が、花の様な甘い匂いを届けてきた。
スノーディアの匂い。僕の好きなにおい。
甘い匂いに安心して、おもわず緩みそうになった顔を慌てて引き締める。しかめっ面みたくなる。
「何かよう?」
しかめっ面のまま、ぶっきらぼうに返す。―――あ~あ、感じ悪い。最悪だ。
昼間は、ヘタレなんて言っちゃったし、絶対嫌われた。
スノーディアも少しキョトンとしてる。それはちょっと怒ってる様に見えなくもない。
不安になってスノーディアから視線をそらす。
怒ってるかな? 怒ってるよね?
お月様は、肝心な時には知らん顔。なんにも答えてくれなかった。
お月様が助けてくれないので、おそるおそるスノーディアの顔に目をやる。
ギョッとした。
スノーディアが歯を見せて、満面の笑みで僕を見ていた。
凄い笑顔。
こわい!
こわい!
これは完全に僕を敵と見なして―――
「ほんと可愛いな君は!」
思いっきり抱き締められた。抱き上げられた。
訳が分からず、演技も忘れて、されるがままになる。
『アハハハハハ!』
凄い笑ってる。凄い抱き締められてる。
あれー?
あれー?
『ちょっと! スノーディア!』
混乱する僕に追い討ちをかけるが如く、扉を勢いよく開け放ったブラウニーが怒った顔で、そう叫んだ。
隣には少し怒った顔をしたカナリアもいた。
『いや~、我慢出来なくてさぁ』
『水の泡も良いとこだわよ!』
『ブラウニーの言う通りです。なので、さっさと代わってください』
『やだ』
カナリアの言葉を拒否したスノーディアが、うりうりと頬と頬を擦り寄せてくる。
揉みくちゃのめちゃくちゃ。
『柔らけ~。ほっぺたってこんなだっけ? すげー』
『ちょ……っ! 言い出しっぺが破ってんじゃないわよ!』
『そうです。スノーディア。ズルイです』
『君らは僕のほっぺでも触ってなよ? 空いてるぜ?』
『いらんわ!』『いりません!』
そのまま、僕の耳元で言い合いを始める三人に囲まれて、更に揉みくちゃのめちゃくちゃになる。
もう何がなんだか分からない。
『わしのほっぺも空いとるぞ?』
これまたいつの間にか部屋へとやって来たバーバリアが、自分の頬をチョイチョイと指でつついて混乱に加わってくる。
『かたい』
『ごわごわ』
バーバリアの左右頬をつついたパンシーとナンシーも参戦。
見れば、バーバリアの後ろにアビスもいる。
無口なアビスとは余り話した事はないけど、彼が怖い人では無いことは知っている。
『は、な、れ、な、さい! スノーディア!』
『い、や、だ、ね!』
スノーディアの顔を両手で鷲掴みにして、ブラウニーが僕とスノーディアを引き離しにかかる。
それをスノーディアが必死に耐える。
力任せの鷲掴みゆえかスノーディアの顔が凄まじく変形していた。変な顔。凄い変な顔。
その顔が可笑しくて可笑しくて、声に出して笑ってしまう。
ゲラゲラケタケタと笑い続ける。
可笑しすぎて涙も出てきたけど、これはきっと良い涙。楽しい涙。
しばらくヒーヒーと大笑いして、ハッとなる。
楽しいのは駄目なのだ。しっかりしないと駄目なのだ。
スノーディア達も、僕があまりに笑うものだから全員がキョトンとしている。
やってしまった。
失敗した。
『良いんだぜ? 笑っても』
嬉しくなる言葉。
スノーディアが微笑みかけてくれるが、失敗した僕は肩をすぼめて小さくなって、スノーディアから視線をそらした。
『ここにはあの三人は居ないよ』
「……でも、―――見られるかも、しれない」
『構うもんか。君が笑いたいなら、いくらだって笑って良いんだぜ?』
『そうです。笑ってください』
カナリアが言って、スノーディアの後ろから、顔を鷲掴みにする。
そのままスノーディアの顔を横に引っ張る。
引っ張る。
『あのひゃあ、痛いんひゃけど』
変な顔で、変な声を出すスノーディアに吹き出してしまう。
またケラケラケラケラ。
また涙を流してヒーヒーヒー。
楽しい良い涙だけど、笑っているといつしか笑いは終息していって、最後には涙だけ残る。
頬を伝って口に吸い込まれる涙は、少ししょっぱくて、だからって訳じゃないけど、何だか寂しくなって、スノーディアの腕の中で声を出して泣いた。
笑って泣いてと忙しい。
僕がしばらくスノーディアの腕の中で泣いて、落ち着いてくると、双子が何やらガタガタとテーブルと椅子を動かし始めた。
『レッツ』
『パーリィー』
そう言った双子の脇、テーブルの上に山の様に置かれたスイーツと果物と飲み物。
甘そうな物ばかり。
でも、―――少しワクワクした。
果物じゃない。今の状況が、だ。
いつも静かな僕の部屋。僕しかいない僕の部屋。
そこに、今はこんなにも人がいる。
みんな笑顔で笑ってる。だから、きっと楽しい、素敵な事が始まる。
そんな予感しかしてこなかった。
『わっはっはっ! たまにはモンブラン様も夜更かししてもええかもしれんのぅ!』
『毎日でも良いですわ!』
『おいおい、ブラウニー。―――こういうのは、たまにやるから楽しいのさ』
言って、スノーディアが僕を椅子におろすと、果物をふたつ掴み、内ひとつを齧る。
『ほら、美味しいものを食べたら気分も上がるというものだよ』
そう言いながら、スノーディアが僕に白いクルミ程の大きさの果実を差し出してきた。
それを素直に受け取る。柔らかい手応え、でもそれなりの感触。
『あっ、それ!』
僕は、何やら少し慌てたブラウニーの言葉よりも早く、果実をひとかみ。
柔らかな歯ごたえと、甘い香りがいっきに口の中に広がるのが心地良くて――――
んんッ!?
「甘い……」
うぇー、と舌を出して言う。
何だこれ……メチャクチャ甘い。
『あははははは!』
そんな僕を見た途端、スノーディアが腹を抱えてケタケタ笑い始めた。
『それは、中の汁を他のスイーツなどにかけて食べる物です。普通そのままでは食べません』
コップに注がれた水を、僕に手渡しながらブラウニーが説明してくれる。
「先に言ってよ……」
遅いよ、説明……。
甘過ぎて、体の中がモアモアする。
『スノーディア!』
スノーディアをきつく睨んだブラウニーが怒る。
絶対スノーディアはわざとだ。知ってて僕に渡してきた。
『うっ、くふぅ、だって、可愛いとからかいたくなるじゃないか』
『確かに』
酷い。カナリアまで……。
『わっはっはっ! 何事も経験じゃよ。のぅ、アビス』
笑いながらバーバリアが果物を掴み、アビスへと放り投げた。
無表情のままアビスはそれを受け取ると、小さく頷き、果実を口にした。
スノーディアとブラウニーが僕の隣で、何やら肩を震わせていたのは気のせいではないだろう。
『うっ……ッ』
齧った途端にアビスの表情がいつもの三倍固くなった。
『それハズレ』
『それアタリ』
パンシーとナンシーが可笑しそうにクスクス笑う。アタリなの? ハズレなの?
『からい……』
アビスがそう言った途端、アビス以外の全員が大きな声で笑った。
少し忙しくなるので次話の更新遅れます