魔王のお供をするにあたって・2
「そこ行くお嬢さん、どちらかへお出掛けかな?」
城の廊下。ニーグを引き連れて歩くモンブランにそう話し掛ける。
モンブランは少しだけ足を止め、こちらに僅かだけ目を向けただけで、すぐに興味がないとばかりに歩みを再開させた。
無表情ならまだ良かったが、おもいっきりしかめっ面をされた。
大体、人がああいう顔をする時は、つい表に出してしまった表情を誤魔化したい時だ。ツンデレの『ばっ、ばっかじゃないの!?』が良い例だろう。
『散歩だ』
通り過ぎぎわ、後ろを歩いていたニーグが彼女の代わりに答えを投げてきた。
位置的に、モンブランの真後ろにいるニーグに、先程の表情は見えてはいないだろう。
見えても問題は無いだろうけどね。ニーグは脳ミソまで筋肉の単純な男だし。
散歩 ―――か……。
知ってるよ。
けど、お前にゃ聞いちゃいない。
頭でどんな悪態をつこうと、表には決して出さない。出してやらない。
僕は小さく笑い僅かに肩をすくめた後、「二人とも、いってらっしゃい。気をつけてね」と二人の背中に向けて発した。
遠回しに、やや控え目に、単独での行動に制限を、注意を促す。
届くかは知らないが、これが今の僕に出来る最大限の気遣いだった。
☆
メフィストとの色気の欠片も持ち合わせない密会から数日が経った。
城に戻ってから、正直どんな顔をして彼女の前に立てば良いのか分からなかった。
考えただけで苦しくて、胸が締め付けられる思いで、頭も痛くなってきた。
頭痛の原因が、密閉された洞窟に長時間居た為の酸欠だから、などと云う事もあるまい。一応、空気穴くらいは開いてるし。
如何に頭が痛かろうと、彼女の演技かどうかの見極めはしなければならない。
普通に、普通に、と、まるで想い人を前にする恋する乙女の様な心境で彼女の観察を始めた。恋とかした事ないけど。
そうして改めて観察すると、ピーク時、術を施す直前よりは元気そうだ。
だが、やつれ、ほつれ、健全健康良児童と呼べるかと聞かれると難しいところである。
しかし、今は食欲も、元気な頃と同程度に戻っているのを見るに、彼女はその波を乗り切ったのだろう。適応力と誉めるべきか、心が歪んだと嘆くべきか……。
咎人とはいえ人である。
人がただの肉塊へと変わる道程が自分の目の前で行われるなど、辛いだろうに、泣きたいだろうに……。
ニーグが嬉しそうに話していたのを真に受けるならば、彼女はそれらの光景をじっと眺め、ニタニタと薄ら笑いを浮かべたらしい。悪い顔というやつだ。
馬鹿正直なニーグの事ゆえ、その話は事実だと思うが、モンブランのそれが演技だと思いたい。
いや、この際、別に演技じゃなくたって構わない。
前世、とでもいうのか、樹の種族であった事は覚えている様だが、それを含めても彼女はまだ幼い。いくらでも更正出来る。こちらがしっかり正してやれば良い。
消えない傷にはなるかもしれないが―――、
安心していいぜ? 善いも悪いも僕が全部ひっちゃかめっちゃか引っ掻きまして頭から綺麗サッパリ利息も含めて全部徴収してあげるよ。
得意だぜ? そういうの。
『凄い悪い顔してるわよ?』
思考に没頭していると、横からブラウニーのそんな言葉が聞こえてきた。
「……生まれつきじゃないかな?」
『悪化した!?』
なにやらわざとらしく茶化すブラウニーに、小さく溜め息をつく。
別に悪い溜め息じゃない。気が抜けただけ。良い意味で。
「何か用かい?」
『別に用はないけど、最近少し変よ? モンブラン様を凝視してるかと思ったら急にしかめっ面したり、かと思えば今度は悪い顔したり』
「……そう」
子供は親の背中、もとい、この場合は顔を見て育つというのは、どうやら本当らしい。親では無いが、保護者には違いない。
しかし、全く自覚が無かったな。
けど……、そうだな、言われてみれば、初日に、演技を見抜いてやろうと露骨に視線を向け過ぎたかもしれない。前以上に寄り付かなくなったのは警戒させてしまったからか……。
僕もまだまだだぜ。
『なに達観したみたいな顔してんの』
「……君は、心理学でも学んでるのかい?」
『はぁ?』
「いや、こっちの話」
いやはや、恐れ入ったぜ。
ブラウニーの、この人の感情を読み取る能力。もしかしたら彼女ならモンブランの演技も見抜いているのでは? とも思ったが口には出さないでおいた。
知ってしまえば、あの子の努力が無駄になる。
『それで、悪い顔して何を企んでたの?』
「別に企んじゃいないさ。暗黒面に堕ちた天使をどうやって元に戻そうか、って考えてただけだよ」
『何よそれ? 暗黒面に堕ちた天使って……、スノーディア?』
「僕は堕ちちゃいないよ。自分から突っ込んだだけさ。全速力でね」
言って、カラカラと笑ってみせる。
この体が、白い翼の天使様だった事なんて遥か昔の事だ。
それにこの体は―――
『なんでも良いけどさぁ、手伝いが必要なら声掛けてね。絶対よ?』
ビシッと指をさして念を押し、ブラウニーは優雅にスカートをひるがえすと、そのまま振り返る事もせず去っていった。
「手伝いねぇ……」
ブラウニーが去り、僕以外誰も居なくなった部屋でそう一人、ごちる
策はある。もう何百年も前から試行錯誤を重ねたとっておきのやつが。
本当なら実行に移すのはまだ先の話だと考えていたが、事ここに来てそうも言っていられなくなった。
それもこれも優しいモンブランの登場で全て前倒しになった、というだけの話。
目的にも、計画にも、些かの変更もない。
ただちょっと、小さくか弱い少女を助けるという追加案件が増えただけ。それだけ―――
その筋書き通りでいくならば、ブラウニーが前面に立つ事はない。
彼女はちょっと特殊だ。
元人間の咎人。それ自体は別に珍しくない。カナリアだって元は咎人だし、カナリアに限らずその他の二桁ナンバーは全部元咎人だ。
二桁はカナリアを筆頭に全部で8人。序列17位まで存在する。
世界中を巡り、優秀、かつ協力的な者を集めた。全員、僕が集めた。
今も咎人狩りと称して各地を回り、適当に昼寝でもしてるだろう。
そんな優秀な人材の中にあって、ブラウニーは唯一戦闘に向いてない。
優秀な人材を求め放浪中の僕の前に彼女は突然現れ、自分から家来にして欲しいと言ってきた。
いや、正確には、下僕、だったけど……。
当時は、人材確保の手段として、黒い翼を前面にひけらかして神々しさを演出したものだが、どうやらそれが彼女の琴線に触れたらしい。
初対面での、まさかの下僕懇願にはかなり引いた。
しかし、その熱心さに根負けして、禍に耐えられたら、という条件付きで彼女の意向を承諾。しつこいのが面倒くさかっただけというのもあるが……。
承諾後、適当な穴に数匹の魔獣を入れて、殺し、禍溜りを作って、その中に彼女を放り込んだ。
大した禍量でも無かったが、長時間留まれば、禍は徐々に侵食し、体を蝕み、やがて死ぬ。仮に耐えきれたとしても、意思を持たない魔獣の様な知恵無き物にでも堕ちるのが関の山だ。
あまり気は進まなかったが、そうなったらキチンと僕が責任持って処理してあげるつもりであった。鬼畜に堕ちて生きるのも辛かろう。
体を鍛えている者ならともかく、ただの村娘だった彼女に耐えられるとは思えなかったのだ。だからこそ優秀な者を探した訳でもある。
だが、僕の予想に反し、彼女は耐えた。
その驚異とも呼ぶべき鋼の精神力で、禍の侵食に耐えきり、その場にあった禍の全てを飲み込んでみせた。
以来、約束通り、彼女は僕の下僕、もとい部下として生きてきた。
しかし、戦闘はからっきしだ。そこらの魔獣よりちょっと強い位。逆にいえば、その程度の禍で意思を持っている事が、彼女の驚くべき事であり、彼女の執念の力を感じられずにはいられない。
動機はやや不純だけど。
そんな彼女だからこそ、僕はカナリアを含む他の部下達よりも、ブラウニーには全幅の信頼を寄せている。
彼女の信仰心はメフィストとて敵わないと思っている。
僕が死ねと言えば彼女は喜んで死んでみせるだろう。
だから、―――彼女には一番キツい役をやってもらう。
それが彼女に対する、僕の信頼の証でもある。