魔王のお供をするにあたって
『それで、結局消してしまった訳ですか』
「おいおい、人聞きの悪い。別に消しちゃいないぜ? 隠しただけさ」
『似たようなものだと思いますがね』
「ちがーう! 全然ちがーう!」
少しふて腐れてそう返した。
モンブラン様の記憶を、ちょいちょいとイジって消したのが一週間前。
今僕がいるのは城の外。
小さな森にある小さな洞窟。その内部。
彼と会う時は、いつもここを利用している。
彼との会話は表立って話す内容じゃない、というのは勿論あるのだが、彼は人間で、僕は灰人。
本来ならいがみ合う筈の両者が、こうして仲良く肩を並べてお喋りするのは、実に不自然だ。内容如何に関わらず、一緒に居るだけで悪い評判が立つに決まっている。
ゆえにこの場所なのだ。
この洞窟には入り口と呼べるものは存在しない。当たり前だけど出口もない。まぁ、その気になれば壁を破壊して出るんだけどね。
出入り口が無いのは当然ながら機密保持の為である。
特に価値もない小さな洞窟とはいえ、誰が来るか分からない。
ならばいっそ塞いでしまおう、という話になって、その話が出たその日の内に天井を崩落させて蓋をした。
蓋をしたら当然、入れないし出られないのだが、彼の作った魔具、通称「どこでも陣」で中と外を行き来き出来る様にしてある。
これで密談しても、えっちぃ事をしても誰にもバレない。後者はしないけど……。
余談、というか、ここだけの話。
魔具の起動の為の合言葉は「スノーディアちゃんは可愛い」である。
合言葉は僕の発案とはいえ、毎回自分で自分を可愛いと言うのは、ちょっと馬鹿みたいだし、恥ずかしい。
そんな羞恥を覚える僕とは対照的に、彼の方が合言葉を口にするのは平気な様で、むしろ毎回一言も二言も多い。
怪しまれない様に、時間をズラして入るのだが、何度か隠れて彼の様子を伺った事がある。
初めは単純に好奇心だった。
彼が、一体どんな顔をして「スノーディアちゃんは可愛い」と言うのか見てみたかった。
そうして、隠れて見ていた彼は、聞いているこっちが恥ずかしくなる程に僕を敬い、誉め称えた。
それらを具体的に言葉にすると、「スノーディアちゃんはとても魅力な方である」「私の心の友であり、崇拝すべき女神である」「優しく、気高く、そして美しい」等々、およそマトモな頭とは思えない言葉を、それはもう大層な身ぶり手振りを交えつつひとしきり述べ、最後に「きっと今日も、スノーディアちゃんは可愛い」と言って転移していく。
馬鹿である。
馬鹿だが、彼は賢い。
魔導士としては勿論、その他の事柄についても良く知っている。
先日などは、服の作り方と処方薬の作り方を彼から学んだ。
とかく役に立つ男なのだ。
馬鹿だけど。
そんな役に立つ男。名をメフィスト・フェレスという。
先程、彼の事を人間だと言ったが、それはもはや見た目だけの話。
彼と知り合ったのは、30年程前だか、その頃から彼は一切変わっていない。老いないのだ。
彼にその事を尋ねてみたところ、『ちょっとうっかり人魚の血を口にしまして』という答えが返ってきたが、人魚の血にそんな効果が無い事は知っている。
知っているのだが、その時の彼は嘘をついている様には見えなかったので、半信半疑ながら、そうなんだろうと思う事にした。
『これからどうするおつもりですか?』
こちらが本気で悩んでいるというのに、露骨に興味津々といった笑顔でメフィストが尋ねてくる。
多少腹立たしいが、彼に悪気はない。
メフィストは、僕から相談を受ける事を至上の喜びとでも思っている節があるので、僕の悩みを聞きたくて、そしてそれを解決したくて仕方無いのだろう。
たぶん。
僕自身、それを理解しているからこそ、毎度毎度、こうして呼び出しては逢引きの様な真似事をして相談に乗ってもらっているのだ。
もう一度言うが、彼は馬鹿だが、賢いのだ。
「とりあえずは現状維持。モンブラン様を殺されない様にするのが最優先事項だからね。ただ……」
『ただ?』
「どうもモンブラン様の様子がおかしい」
『それは、記憶を無くしたゆえ。或いは、以前の記憶が戻ったから、という事でしょうか?』
「以前の記憶、僕やカナリア達と過ごした記憶は消してしまったからね。以前の優しいモンブラン様は居ないよ。かといって、復活以前のモンブラン様と同じかと聞かれると、それも違う」
『私はどっちもあなたからの話でしか知りませんので、明言は避けたいところですが……、具体的にどう違うのです? 例えば性格とか、言動とか』
「んんー、先ず、そうだなぁ……。性格はちょっと荒くなった。説明が難しいんだけど、何処ぞの傲慢な姫だか女王みたいな性格になった」
『妾とか言うんですか?』
「いや……それは言わないけど……。一人称は、私、だな」
『……そうですか』
「なんでちょっと残念そうなんだい?」
『言えば分かります。ちょっと言ってみて下さい。妾は―――、そう、スノーディアだ、みたいな、ちょっと偉そうな感じで』
「……妾はスノーディアじゃ」
『いいですね。グッときました』
「……で?」
『いえ、グッときますね、というお話です』
「……怒るぜ?」
『すいません。話をもどしましょう。他にはどんな変化が?』
「あとは、一番おかしなところが、ニーグと出掛ける事が多くなった」
『咎人狩り、ですか?』
「そうだ。明らかな変化だ。大きな犬を見ただけで、チビって気絶していた時とはえらい違いだ」
『まぁ、以前の記憶が無いのですから分からない話でもないですが、それにしたって変ですね』
「だろ? 今の人格が以前のモンブラン様で無いとするなら、考えられるのは復活以前のモンブラン様の人格が表に出て来た可能性。そこに特段不思議はない。そう思ってた」
『でも、あなたは違うと思ってる訳ですね』
「ああ、違う。あの頃のモンブラン様とは違う。賭けてもいいぜ?」
『違うというなら違うのでしょう。となると……、では一体どこから湧いてきた人格なのでしょうか?』
「そこ! そこなんだよ」
メフィストの疑問に、大きく頷き同意する。
復活以前のモンブラン様が第一の人格とするならば、優しいモンブラン様は第二人格だ。そして今は、何処から飛び出して来たのかも分からない謎の第三人格が絶賛活躍中である。
僕の同意の後、メフィストは真面目な顔付きで目を瞑り、思考に没頭してしまった。
しばらく静かに待つ。
やがて、ゆっくりと目を開けたメフィストが、『ひとつお聞きしますが……』と口を開いた。
「なんだい?」
『スノーディアさんを含めて、他の方への対応はどういった様子ですか? ニーグについては先程聞きましたので、それ以外の方で』
「んんー、そうだなぁ。……僕の事は少し下に見てる、かな?」
『ほう、それはそれは。御愁傷様です』
「なんだいそれ? ……あとは、カナリアちゃんやブラウニーちゃんとは基本的に口を利かないかな。特にカナリアちゃんの事は露骨に避けてるね。目付け役を解任したくらいだし。必要ない、って言われたらしい」
『カナリアさんは失業したわけですね。では、ティアマットはどうです?』
「何か……誉めてる。ティアマットも満更じゃなさそうで、色々と教えてるみたいだ。僕の教育係としての立場は完全にないね。とかく、誉めるんだよティアマットを。君程露骨じゃないけどね」
『私程、あなたを崇拝している人はそうはいませんよ。信仰心ならば誰にも負けないと自負しております』
「……別に誉めたわけじゃないからな?」
感じた呆れを包み隠さず表情と声に乗せて、そう吐き出した。
『ええ、分かっております。なんならいっそ、逆に罵倒し、蔑んで頂いて結構です。どんな仕打ちを受けようと、あなたへの信仰心が僅かにも揺るがない事をお見せしましょう』
「……見たくない」
冗談抜きで見たくない。
『それは残念』
「いや、君の事はいいから、結局どう思うんだ?」
『ふむ。そうですね。さっきも言いましたが、私はあなたからの情報でしか知りませんので、ハッキリと明言は出来ないのですが……』
「ですが?」
『おそらく、演技、ではないでしょうか?』
「……はぁ?」
メフィストの言葉に目をまるくする。今、演技と言ったのか? 奥義じゃなくて?
『演技ですよ。ティアマットが理想とするモンブラン様の役。その演技』
「いや、でもな」
『記憶は消した、それは重々承知しておりますが、しかし、それとて破れないというものではないのでしょう?』
「ああ、まぁ……」
『ならば破ったのでしょう。あなたの術を。――――以前、あなたから聞いた話では、術を破るのに魔力などは必要ない。必要なのは気合いだ、とお聞きしました。そうであるなら、禍が使えない今の状態でも破る事は可能でしょう』
「……でも、だぜ? 仮に破ったとして、何故演技する必要がある? それだと―――」
そこで言葉を詰まらせた僕に、メフィストが小さく頷く。
『ご自分で仰ったじゃないですか、モンブラン様は優しい、と。――――心配させたくないのでしょう、あなた方を』
「――――だから演技か……」
メフィストの言葉に、頭を抱え、僅かにうずくまる。
ティアマットの理想とする主君。それを形作れるなら、自分は殺されはしない。
僕らに余計な手をわずらわせる事もない。
そうやって、自分が演技し続けて時間を稼ぐ。
そう考えているのだろう。
僕の、何とかするという言葉を信じて―――
『あなたすら欺く一流の演技です。いくらティアマットとて気付かないでしょう。モンブラン様は天才子役の才能がありますね。或いは詐欺師か――――。まぁどちらにせよ、いや、実に聡明だ』
「聡明なものか。馬鹿だよ、馬鹿。 ――――本当に、馬鹿な子だ」
大馬鹿者だよ、君は。
顔を押え、うつむく僕に気をつかってか、メフィストが洞窟から出ていく気配がした。
この洞窟には誰も来ない。
ゆえに誰にも見られる事はない。どんな密談をしていても、えっちぃ事をしていても、泣いていても。
ただ、ちょっと不満があるならば、入る時同様、出る際の魔具の起動にも「スノーディアちゃんは可愛い」と言わなければ外に出られないという事だろう。
気をつかった筈のメフィストの合言葉のせいで、涙がちょっとへっこんだ。