悪魔のお供をするにあたって・12
朝起きて、いつもと同じ一連の習慣。
カナリアにおはようを言って、お風呂に入って、それから大食堂に向かう。
大食堂に着くと、珍しく朝からスノーディアがテーブルについていた。テーブルと言っても、大きな楕円型の方ではなく、二人では少し手狭な小さな四角いテーブル。
それを暖炉の前に設置し、スノーディアはその横に引っ張って来たであろう椅子に腰を掛けていた。対面には難しい顔をしたバーバリアが座っていて、テーブルの上に置かれた白黒の模型を睨んでいる。
『……待った』
『おいおい、バーバリア。待ったはワンゲーム一回だけだぜ?』
『そこをなんとか』
そんな事を言い合いながら、何処となく楽しそうなスノーディアとバーバリア。
ブラウニーの用意した朝食を取りながら、テーブルの何かに勤しむ二人を眺めていると、
『まだやってたんですか……』
直立不動で僕の後方に立つカナリアが、そんな事を呟いた。
『39ゲーム目だよ。バーバリアが諦めてくれなくてね』
『ふん、勝ち逃げなど許さんわい』
『バーバリアさんは負けず嫌いですから』
『軽い気持ちで勝負を持ち掛けたのは失敗だったよ』
少し困った様に、やれやれとスノーディアが首を振る。
楽しそうではあるのだが、ちょっと疲れている様にも見える。
「あれは何?」
スノーディア達のテーブルに目をやりながらカナリアに尋ねた。
『駒を使った遊びだそうです。私もルールは分かりませんが。昨日の夜からずっとやっておられます』
淡々とした口調でカナリアが答えをくれた。
「ふ~ん」
あんまり面白くなさそうだったので、そんな言葉しか出てこなかった。
なので、そんな遊びの事など頭から追いやって、朝食を再開。今日は何をして遊ぼうかという事を考えながらもくもくと料理を消化した。
料理を平らげ、テーブルでひと息ついていると、大食堂に騒がしい人がやって来た。
『おう、いたいた。おはよう諸君!』
そんな軽快な声を発したのは、この城で1番煩くて、1番体の大きな人、ニーグその人。
『おはようございます、ニーグさん』
騒がしいニーグに先陣を切って挨拶を返したのは、やっぱり直立不動のカナリア。
次いで、僕もカナリアを習って「おはようございます」と挨拶。
ニーグは僕を見て、一度ニカッと笑うと、そのまま僕へとズンズン近付いてきた。
そのあまりのあまりな勢いにびっくりする事も忘れ呆けていると、ニーグはその勢いままに僕を脇へと乱暴に抱えた。
『ちょ、ちょっ!?』
バーバリアとの駒遊びをしていて反応の遅れたスノーディアが、慌てた様子で椅子から立ち上がった。
スノーディアが立ち上がった拍子に、テーブルの駒が揺れ、倒れる。それを見たバーバリアが悪い顔で微笑んだのを僕は見逃さなかった。
『お待ち下さい』
そんなスノーディアよりも早く、踵を返して去ろうとするニーグの前に立ち塞がったのは直立不動のまま手だけで進路を遮ったカナリアであった。
『モンブラン様を連れてどちらに行かれるおつもりですか?』
少しキツい口調のカナリアが、ニーグに問い質す。
ニーグはそんなカナリアを見て、またもニカッと笑うと『散歩だ!』と愉快そうに言い放った。
『ニーグさん、困るぜ? 勝手に城の外に連れ出して貰っちゃ』
カナリアの隣に並んだスノーディアの言葉を、ニーグに抱えられながらじっと、耳にする。
『たまには外に出ねぇと強くなんねぇぜ?』
何故だか少し勝ち誇った様な顔をするニーグ。
いつだってこの人は豪快で自己中心的、でも、この人が居ないと城は静まりかえって寂しかったりもする。ちょっと不思議な人。
スノーディアは、ニーグの言葉に少しだけ眉をひそめて、考える素振りを見せた。
次いで、口を開く。
『ティアマットさんに聞いたのかい?』
『いや、勘だ!』
勘と答えたニーグだけど、その横顔は自信に満ちている様だった。多分、この人の事だから自分の勘というモノを疑っていないのだと思う。そういう人。
ただこの人の勘とか言葉を鵜呑みにすると、人生、とっても酷い目に遭いそう。
『勘だが、お前の反応を見るに当たりらしいな!』
そう言ってニーグが大口を開けてカラカラと笑う。
どうやら今回は勘が正しかったらしく、そう指摘されたスノーディアが少し面白くなさそうな顔をした。
事実なんだけど、頷きたくない。そんな風。
ニーグは野暮で粗暴、喧嘩が好きで大雑把。仕事を任せると嬉々として取り組み素早く処理するが、抜けも多いので、結局、見直す羽目になる。そのくせ勘だけは鋭く、そのせいか自分を賢いと思いたがり、自分の賢さに浸って楽しんでいるのだ。というのが以前、僕に語って聞かせたニーグに対するスノーディアの性格診断。
先程のニーグの自信に満ちた横顔を見て、成る程、と他人事のようにひとり納得する。このまま事が進めば、被害を被るのは自分だという自覚が僕には足りないらしい。
『けど』
少し語尾をつよめてスノーディアが攻勢に出た。気がする。
『分かっていて外に連れ出すのは関心しないな。何かあったらどうするんだい?』
『俺が付いてて何かがあると思うのか!?』
出た。根拠も何もない自信。過信と言っても言い。
何だか、凄いいい加減な事を言っている気がする。
『とにかく、勝手に連れ出すのは駄目だぜ?』
『ティアマットの許可は貰ったぞ?』
『…………はぁ?』
その言葉に、スノーディアが呆けた顔を見せた。
『じゃ、連れてくからな!』
ハッハッハッと高笑いをして、ニーグがスノーディアとカナリアの二人を押し退ける。
『カナリア!』
脇に担がれ正面しか見えないのだが、背後のスノーディアの声がカナリアへと飛んだ。
その言葉が背後で飛び交った後、ニーグの隣に駆け寄ってきたカナリアが『お供します』と静かに告げた。
『おう!』とニーグ。
僕さえ連れ出せるなら、他は頓着しないみたいだ。
こうして僕はニーグに連れられ、初めて城の外へと出る事になった。
スノーディアには悪いのだけど、前からちょっと考えていた。城の外に出る事。
なので、僕はちょっとだけドキドキした。僕の正直で素直な気持ち。
早鐘を打つ鼓動のせいか顔全体に熱を感じる。あとニーグに抱えられている脇にも、少し。
今から何処に行くのか、何をするのか、何ひとつだって分からないけど、きっとそれは慎ましくも劇的で、在り来たりでも新鮮な。そんな冒険が始まるに違いなかった。
ニーグとカナリア。二人に伴われ城の出入口を潜る。
いつもは近付く事すらしない、出来ない、あのケルベロスもこの時は不思議と怖くなかった。
ケルベロスを尻目に尚も進み、その先へ。
ふわりと体が浮き上がったと思うよりも早く、落ちていく体。
突き抜ける雲。
何故だろう。今はちっとも怖くない。
落ちて、落ちて、落ちて、進む。
ふと、青臭い葉の匂いがした。何処か懐かしい土のにおいと一緒に。
眼下に目をやると、地平に向かい広がっていく木々の風景が目に飛び込んできた。ちょっと息を呑む。
そんな風にして辿り着いたのは、僕にとっては、善き物の象徴と言っても大袈裟ではない、深く、緑が鮮やかな森の中であった。