悪魔のお供をするにあたって・9
風呂場を後にして僕らが向かったのは、スノーディア曰く、殺風景な僕の部屋。
テーブルと幾つかの椅子と、ベッド。他には何もない。強いて挙げるなら二つの窓くらい。
部屋に入るとスノーディアは、脚でチョイと椅子を滑らせ開き、その上に僕を座らせる。
次いで、対面に椅子を用意すると自分も腰掛けた。
そのままスノーディアが足を組むと、口元に手を当ていつもの思考スタイルに移行する。
真似して足を組んでみた。ヘンテコだけど何とか形にはなった。
『……呑気だねぇ、君は』
スノーディアが小さな溜め息をつく。
『さて、困った事になったね』
スノーディアがそう言ったので、そうなのか? と尋ねると、『そうなのさ』という返事が戻ってきた。
『でも……、そうだね。千年以上変化が無かった現状を考えれば、やっと運が向いて来た、って事なのかもしれないね……』
そう言ってスノーディアはまた何かを考え込んでしまった。
僕と違って何かと考える事が多いらしい。
ややあって、
『真似っこモンブラン様。さっきの翼をもう一回出せるかい?』と尋ねられた。
黙って首だけ横に振った。
『……それは出せないのかい? それとも出したくないのかい?』
そう問われたので、「スノーディアと一緒が良い」とだけ答えた。
『もう恋人気分でペアルックかい? 胸を触らせたからって気が早くないかな?』
そんな事を言われたが、良く意味が分からない。
ポケ~としていると、『色は違うけどね』と言ってスノーディアが突然に翼を大きく広げた。
その翼は黒くて大きくて、先程見た僕の翼と良く似ていた。似ていないのは色だけ。
今の今までスノーディアには翼など無かった。
突然、目の前に現れたスノーディアの黒い翼に驚いていると、
『お揃いが良いんだろ? 真似っこしてごらん』と声を掛けられた。
驚きの余韻を残しつつも、頷き、翼~、翼~と祈ると、すぐに僕の背中に白い翼が姿を見せた。
色が違う。その事に不満を覚え、色も変えてやろうと祈る前にスノーディアに止められてしまう。
『僕も昔は白かったよ。だから、そのままで良い。それが良い。とても綺麗だよ。僕はそっちの方が好きだよ』
そうスノーディアが誉めて、好きだと言って来たので、単純な僕は気を良くして色を変えるのを止めた。
『白いって事は、禍を使った訳ではないのかな……。うんん? 何だろうなこの感じ。禍でも魔力でも無い……。そうだな……レイアの……』
そこまで言ってスノーディアは、ハッとした様な表情を顔に張り付けた。
張り付けたと思ったらすぐにそれを剥がして、口元に手を当てた。いつものスタイル。
少しだけ目を瞑ったかと思ったら、スノーディアがもの凄く悪そうな顔で微笑んだ。
ニコッ、ではなくニタァと。
もの凄く悪そうな微笑みだけど、さっきティアマットが出て行った後に見せた顔よりは怖くなかった。見た目はさっきと同じなのに不思議だなぁと思った。
『モンブラン様』
急に名前を呼ばれてドキリとした。
向けたスノーディアの顔はもう悪そうな顔をしていなかった。
『その翼、また消せるかい? 出来れば普段は隠しておいて欲しいんだけど』
折角お揃いなのに何故隠さないといけないのか、とちょっとだけ不満だった。
ただ、いつの間にかスノーディアの黒い翼は消えて見えなくなっていたので、僕も真似っこして消す事にした。
消えろ~消えろ~と祈り、僕が翼を消すと、スノーディアが微笑んで頭を撫でてきた。
誉めて貰えてちょっと嬉しくなって、へらっと笑うと、『良かったよ。出来なければ毟ってやろうかと思ってた所だ』
スノーディアが心底意地悪そうな顔で、そんな怖い事を口にした。
背すじが震えた。
『毟られたくないなら翼は出さない事だね』
ニコニコ笑顔で、そう念を押されたので首をブンブン縦に振っておいた。
『それはそれとして、本来の教育やら生活面の事も考えておかないとね。またリヴァイが怒り出す前に、ね』
そう告げたスノーディアが椅子から立ち上がる。
次いで、
『今から、ティアマットの所に行くけど、君はどうする? お留守番しておくかい?』
「行く」
『そうかい。じゃ、一緒に行こうか』
そうして、僕はスノーディアと手を繋いでティアマットの元へと向かった。
☆
スノーディアに手を引かれ、やって来たのは大食堂。
僕が食べ物を詰め込む拷問を受けた場所である。
その部屋の真ん中。大きな楕円形のテーブルと並ぶ椅子がある。その一角にティアマットが座っていた。腕を組み、何やら難しい顔をして。
『ティアマットさん、ちょっと良いかい?』
怒る様にも見える難しい顔のティアマットに、なんの躊躇いもなくスノーディアが話し掛ける。
『なんだ?』
ティアマットが瞑っていた目を開け、スノーディアを見る。
『うん。ちょっと相談なんだけど』
『再教育についてはお前に任せる。俺に子育てについて相談されても良い返答は返せんぞ』
『任せて貰えるのは嬉しいんだけど、今回の相談はそれとは別……? まぁ、関係なくはないけど』
『何だ? 珍しく言い難そうじゃないか』
『ああ、うん、そうだね』
スノーディアが小さく頬を掻いた。
『とにかく用件を聞こう』
『んんー……。 ――――――咎人を城に招きたいんだけど』
『駄目だ』
『……にべもないね』
スノーディアが苦笑いを浮かべて言う。
『当然だ。咎人を招くなど、正気とは思えん』
顔色を変えずティアマットが淡々と返す。
『必要な事なんだよ。教育にあたって、この城に』
『説明は不要だスノーディア。どんな理由があろうと、咎人を入れるなど論外だ』
『一応は僕の部下なんだよ。信者と言った方がいいかな』
『奴隷であろうと部下であろうと信者であろうと、だ。我が王の安全を蔑ろにしてまで優先すべき事ではない。それに、我が王の肉体が弱いと言ったのはお前だスノーディア。ならば余計に城に入れる訳にはいかん』
表情や口調こそ変わらないが、キッパリと拒絶するティアマットに、スノーディアが小さく溜め息をつく。
『取りつく島もないね』
スノーディアが呆れにも似た笑いを浮かべる。
『仕方無い。咎人を招くのは諦めるよ』
『諦めた顔には見えんな』
ティアマットが小さく笑う。
『招くのは諦めるぜ? 代わりに貢ぎ物を受け取る許可が欲しい』
『貢ぎ物?』
『そう。まぁ、教育、育児に関する援助物資だね。色々あるけど、さしあたって急ぎの物は、服と薬だね。何故必要かの説明は良いよね?』
『……言いたい事も必要なのも理解出来る。だが駄目だ。何を仕込まれるか分かったものではない』
『信用ないなぁ』
スノーディアが少しだけ肩を竦めた。
二人の会話中、僕は大人しくブラウニーの持って来た果実を齧って話を聞いていた。
ブラウニーの持って来た物は良くて、その咎人という人の物は駄目らしい。その違いも理由も僕には分からないけど。
『お前の事は信用しているさ。だが、咎人など論外だ』
『しかしねティアマットさん』
『現実問題必要だと言うのだろう? 分かっている。それならばスノーディア、お前が作れば良かろう』
『……いやいやいや、作れたらこんな相談はしないさ』
ちょっぴり焦った様子のスノーディア。
『学べば良い。手段は問わん』
『いや、出来る保証もないし、第一、覚えるにしてもそれには時間も掛かるぜ?』
『言っただろう、信用していると』
ティアマットがそう言い、少しだけ愉快そうに笑った。
そのティアマットの顔を見たスノーディアは何か言いたげに開いていた口を閉じると、溜め息混じりに項垂れた。
『分かったよ。教えを乞う事自体を禁止されるよりはずっとマシか……。薬剤はともかく、……服……服かぁ』
そう言ってテーブルに腕を伸ばしたスノーディアが更に項垂れた。
良く分からないけどスノーディアが落ち込んでいる様だったので、その口にひと口サイズの果実を押し込んで慰めた。
『うん、美味しい』とスノーディアが言うので、もうひとつ押し込もうと皿に手を伸ばしたら、皿の真横に顔を近付け大口を開けて待ち構えるブラウニーの姿があった。何だかちょっと興奮した様子で。
反射的に身の危険を感じて、伸ばしかけた手を引っ込めた。
『ところで、スノーディア』
そんなブラウニーなど眼中に無い様に、ティアマットが口を開く。
『なんだい? 気でも変わったかい?』
『いや。そうではないが……その咎人とやらは信用出来るのか?』
『まぁね。変わったヤツではあるけど……。 ――――スノーディアちゃんの心配をしてくれるのかい?』
からかう様にスノーディアが笑うと、『一応な』と、ティアマットが小さく鼻で笑って返した。
『そいつの名は?』
ティアマットに尋ねられたスノーディアがポリポリと小さく頭を掻いた。
『メフィスト・フェレス』