悪魔のお供をするにあたって・2
魔王になったのは遥か昔。
一時はせっせこせっせこ自慰行為に勤しむ思春期の様に人間を殺していた時期もあった様だが、今はそれもない。
あった様、というのも周りの反応からそう推測しただけで覚えていない。
そう、覚えてないのだ。
古い記憶。この体になる前。
母との記憶。多種族との記憶。面白おかしく過ごした日々。当たり前だった日常。
時間の流れと共に入る亀裂と、母への反逆。今でもまぶたの裏に貼り付いて離れない粛清の日。
その記憶の最期。
悲壮な決意を伴って放たれた葬送の火。
裏切りに涙する母の絶望に満ちた顔。
火を消すという選択肢すらも放棄し、ただゆっくりと、静かに涙し、迎えた母の最期。
ここまで。
☆
次に気付いた時、僕は椅子にふんぞり返って偉そうにしていた。
混乱する僕に届けられたのは、頭を垂れ、一様に膝をついた面々から放たれる『お帰りなさいませモンブラン様』『御帰還お待ちしておりましたモンブラン様』という祝福の声。
僕に向けられているとは露程にも気付かず、思わず後ろを振り向いてキョロキョロしてしまい、その場に居た者達に不審な目を突き付けられてしまった。
何か良く分からないんだけど、モンブラン様とか言って敬われているのは理解出来た。多分、モンブランというのは僕の名前なんだと思う。でもその他の状況が全く分からない。
混乱する頭に送り込まれたのは、『準備は整っております』という、意味は分からないけど意味の分かる言葉。
今にして思えば、「何の準備?」とただ一言が言えなかった事が悔やまれる。
頭にはあったのだ。何の準備が整ったんだろう? って。
しかし、考える間もなく次に届けられた『如何なさいますか?』という急かす様な声に、思わず「じゃあ、お願いします」と言ってしまった。
僕が言った途端、面々は立上がり、真面目な顔で『必ずやモンブラン様に勝利を』とか『咎人共に罰を』とか、ちょっと笑ってしまいそうなクッサイ台詞を口にして何処かに行ってしまった。
一人取り残され、静寂が包む広間でぽかーんと間抜けな顔を晒す。誰も居ないのでその顔を見られる事はなかった。
それから、しばらく待っても誰も戻って来なかったので、座っていても埒があかないと、建物を探索する事にした。
探索して、先ず分かった事は、ここが城であるという事。
次に思った事が、城って何だろう? という疑問。
いや、分かるんだよ? 建物を見て、ああ、城だなというのは理解出来るんだけど、そんな単語を口にした事なぞ今の今まで一度だってないんだ。あの頃にそんな物なんか無かったし。
ないのに城だと分かる不思議現象。ミステリー。
状況把握に赴いた筈が、更に混乱するという珍事に遭遇。しまいには広すぎて迷い、元いた椅子のある広間に帰れないというイベントまで発生。
ビクビクと半泣きになりながら建物を彷徨った。
彷徨い彷徨い不安がピークに達して「おかぁーさーん!」と大きな声で、自分達が葬った母レイアに泣いて助けを請うたが、母や同胞達が迎えに来てくれる事はなかった。
当時、一番下の666番目として生を受け、散々甘やかされて育った僕に、この局面を冷静に受け止める器などなかったのである。
そうして、彷徨い、辿り着いたのは建物の出入口。
出入口を出ると、大きな雲が広がっていた。
下に。
それでようやくこの城が空に浮いているのだと理解した。
理解しただけでは大して状況は変わらない。
脱出を試み、空を飛ぼうと思って見たが飛べず、それが更に焦燥を掻き立てた。
空を飛べないなら落ちたら死んでしまうと背筋を震わせ、城へと引き返す。
そうやって振り返り、出入口の方に目を向け、そこで初めて、その左右を守る番犬二匹に気が付いた。
出る時に気付かなかったのは、下ばかり見ていたせいだろう。
その番犬はとてつもなく大きかった。
足は柱の様に太く、色は漆黒の影の様に黒い。
気付き、そのあまりの大きさに絶句する僕に向けられたのは、真っ赤に塗り潰された鋭い眼。
そこで僕は気絶した。
☆
気絶から目覚めると、誰かの膝枕で寝ていた。
母レイアが死んだという実感が無かったせいか、なんとはなしに母だろうと思い込み、膝にしがみつくと『起きたかい?』と声を掛けられた。
似ているけれど母とは違う声にビックリして飛び起きると、やっぱり似ているけれど母とは違う顔をした女性がにっこりと微笑んできた。
似ているけれど全然知らないその顔に、とにかく何か言わなければと思い「やぁ、おはよう」と、か細い声で言う。
何か変な事でも言ってしまったのか、女性は少し不思議そうな顔をして僕を見た。
その顔に、まずは自己紹介が先だったのかなと思い当り、「モンブランです」と名を告げた。
『頭でも打ったのかい? 勿論、知っているともさ』
一瞬だけ怪訝な顔を見せつつも、女性はすぐに笑顔を作って返してきた。
その優しそうな笑顔に、少しだけ安心して、続けて、「誰ですか?」と問うた。
女性はやっぱり不思議そうな顔をしてから、すぐに笑顔を作って「スノーディアちゃんだけど…………何かの遊びですかモンブラン様?」と答えた。
スノーディアと名乗る女性の自己紹介を受けた後、依然として彼女の膝に乗ったまま、キョロキョロと辺りを見回した。
そうして分かったのは、やっぱりここが全然知らない場所であるという事と、スノーディアの他に同じ顔をしているけれどもショートとロング、髪の長さが違う二人の女性がスノーディアの後ろに並んで立っている、という事。
「ここは何処ですか?」とスノーディアに尋ねた。
『ここは、』と何かを言いかけてスノーディアが言葉を止める。
そうして、スノーディアは口元に手を当て、何かを考える素振りを見せた。
またまた変な事を言ってしまったのかと、不安が募る。
ややあって、
『僕の名前分かるかな?』とスノーディアが尋ねてきたので「……スノーディア」と答えた。
スノーディアは、『ですね』と苦笑いして見せた後、『後ろの二人の名前はお分かりかい?』と別の事を尋ねてきた。
初めてみるので名前など知る筈もなく、小さく首を振って知らないと示した。
スノーディアはまた口元に手を当て、何かを考え込んでしまう。
少しして、
スノーディアが後ろを振り返り、『一桁だけ集めて来てもらえるかな? あ、ティータンは除いてだよ』と後ろにいた二人に告げる。
二人はお互いに顔を見合わせた後、『『分かった』』と口を揃えて話し、何処かに行ってしまった。
しばらく、不安をいっぱい心に担いで待つ。何が起こるのだろう。何を怒るのだろう。
そんな心境を察してか、スノーディアが『大丈夫だよ』と頭を撫でてくれた。少しだけ荷物が軽くなった。
誰かを待っている間、スノーディアは、ここが何処だか分かるか? 自分の目的は覚えているか? と色々と尋ねて来たが、その全ての質問に、分からない、知らないと返した。
スノーディアとそんなやり取りをしている中、一人、また一人と集まり始める知らない顔。同時にまた集まり始める不安。
そうして、最期に入ってきたのは大柄な男と、あの双子。
大柄な男は部屋に来るなり『おう! 起きたんですかい!』と不必要な程の大きな声を僕に向けて発した。
突然の大声にビクリと震え、相変わらずのスノーディアの膝の上で胸元に隠れる様に縮こまる。
『ニーグさん、急に大きな声を出すからモンブラン様が怖がっているよ』
『お、おおぅ。悪い――――のか?』
ニーグと呼ばれた大柄の男が罰の悪そうに頭を掻いて、首を捻った。
『なぁ、モンブラン様、何か変じゃないか? 体が子供みてぇに小さいのも変だと思ったけどよ。何か……なぁ?』
誰に言うでもなく、ニーグがそう言葉にし、疑問を投げ掛ける。
『みんなに集まって貰ったのは、その事についてなんだよ』
脅える僕を落ち着けようと背中を擦るスノーディアの手が温かかったのを覚えている。
『勿体ぶらずに結論を言えスノーディア』
『うん、リヴァイさん。あのね、』
総勢7名の視線がスノーディアへと無遠慮に突き刺さる。膝上の僕ごと。
『モンブラン様、記憶が無いみたいなんだ』