悪魔のお供をするにあたって
『あまりぃ溜め息ばかりおつきになっては幸せがお逃げになりましてよぉ』
今日何回目かになる溜め息を吐き出した俺にそんな声が届けられた。砂糖菓子の様に甘ったるい、そんな声。
「そうは言うがな、こうやる事も無いと退屈ではなないか?」
玉座に深く座り、手摺りに肘をついた俺が項垂れる様に体重を預けてそう返す。
同じ体勢を作る事が多いせいか、敷かれた綿袋が歪に傾きゴワゴワして居心地が良くない。
『何か趣味でもお作りになられては? お紅茶です』
「俺が趣味に勤しんでどうする」
紅茶の入ったカップを受け取りながら肩を少し竦める。彼女に、実は最近、何か始めようかと考えていた事を見抜かれたのを察して、早めにおどけておいた。
『ここで溜め息ばかりおつきになるより幾分かは健全かと思いましてよぉ』
件を言い当てた彼女はクスクスと、イタズラっぽく笑い畳み掛けてくる。
笑う目元とは対照的に、その眼は俺の内を覗くかの様にギラギラと光ってみえた。
気を抜くと緩みそうになる頬を意識して締める。行き過ぎてひきつってしまわぬ様に、そこにも細心の注意を払っておく。内心はどういう状況であれ、外面は余裕を崩さない。
別に崩したからどう、という話でもないのだが、昼夜問わず行われる彼女の飽くなき捜索活動は、発見報告からの涙涙の御対面とは程遠いバッドエンドしかもたらさない。
からかわれる事を極端に嫌う俺は、だからこそ、隙は見せない。
例えば、そう、口に含んだ紅茶がとてつもなく熱かったとしても表情は一切崩さない。ニュートラル。
あっつい……。
澄まし顔で、ヒリヒリと痛む口内と格闘していると、クスクスとまた笑われてしまう。
それでちょっと不機嫌になる。
『そう言えば、前にお話したワタクシの王台が出来ましてよぉ』
俺の不機嫌さを察知してか、彼女が話題を変えてくる。
「王台? ……ああ、あの話か。そうか……どの位で出てくるものなんだ?」
『そうですわねぇ……。二百年程?』
「それはまた、気の長い話だな」
『じっくりと愛情をかけてやりませんとぉ……。ですが、産まれれば必ず良き手足となりましょう』
その日が楽しみで待ちきれない、と云った様子を隠す事なく笑顔の彼女が言う。
「そうだなぁ」
中身の伴わない、無難で曖昧な言葉を口にしておいた。
俺の手足は二本づつあればそれで良い。これ以上増やされとも逆に動き辛いだけである。歪にカタカタ、自重でフラフラ。
そうして、紅茶が冷えて、第三者の介入があるまで、彼女は王台、ついては、めくるめくその先の未来を言葉に変えて、俺に愉しそうに語って聞かせた。
☆
『チョリーッス!』
静かな玉座の間に、そんな陽気な声が響く。
退屈しのぎに、明るい人生設計を聞いていた俺は話を手振りだけで打ち切らせ、陽気な声の持ち主に顔を向けた。
向けた先、俺を前にして緊張など微塵も見せない青年と、その隣、丸眼鏡を鼻にチョコンとかけた青年が中央まで歩み寄って来るのが視界に収まった。
「珍しいな、お前らがここに顔を出すなんて」
『扱き使う上司に言ってくれ』
陽気な青年がそう言って、忌ま忌ましそうに顔を逸らした。
『アレに気に入られたのが俺達の運のツキだよ』
と、眼鏡の青年。こちらも忌ま忌ましそうに、この場に居ない上司に向けてそう愚痴る。
『それでぇ、何の用かしらん?』
俺に代わって隣の彼女が二人に尋ねた。
陽気な青年が、んー、と頭を軽く掻いた後、『用って言うか、報告?』隣の青年に顔を向け、尋ねる様に答えを寄越した。
それを受けた眼鏡の青年は、小さく肩を竦めた後、こちらに顔を向け直し、『デブが死んだらしい』と口を開いた。
『またなのぅ?』
呆れた様に女性が言う。
俺も同じ事を思ったので、代弁したと言っても差し支えないだろう。
「何故だ?」問う。
『んー、詳しくは知らないんだけど、人間に負けた? らしい』
「あなた達ぃ、……報告ならばもっと詳しい話を持ってらっしゃい。こっちも暇じゃなくてよん?」
そう言って、彼女は小さく呆れ顔を浮かべて青年達を見、小さく溜め息をついた。
いや、暇だが……。
それは口に出さないでおいた。
『小間使いじゃないんだっつぅーの』
陽気な青年がボソリと呟く。
『何か言ったかしらん?』
俺と話す時と比べて、トーンがふたつは低そうな冷たい目と声。
『……何も』
一瞬だけ青年はビクリと体を震わせたが、すぐにまた飄々とした態度に戻った。
ただ、目が泳ぎ、彼女と視線を合わせようとしないので、それが強がりであろう事が見てとれる。
そんな強がりを見せる青年に、ちょっぴり同情を含んだ目を向けていると、『どうなさいますぅ?』と、隣から問い掛けられた。
しばし逡巡する。フリをする。
のち、
「人間の領域ならば、メフィストに調べさせろ」
俺がそう告げると、彼女はすぐに返事は返さず、少しだけ何かを思考する素振りを見せる。
しかしそれも僅かな時間の事。彼女は『畏まりましたわぁ』と小さく微笑みながら返事を寄越した。
それから、彼女は俺から離れ、玉座の前に立つと小さく一礼し、踵を返して玉座の間を後にした。
彼女が去った後、玉座の間にしばらく沈黙が流れる。
そうして彼女が完全に去った頃合を見計らい、陽気な青年が『イケ好かない女』と、ポツリと溢した。
「そう言うな。アイツも、お前達も同じ俺の家族だ。仲良くやってくれ」
『スピカも、顔は良いんだけどなぁ』
玉座の間の入り口に顔を向けながら、眼鏡の青年が言う。
確かに彼女、スピカは顔は良い。妖艶とでも言うのか……。ただ、ちょっと性格に難がある。
具体的に言うとS気質。俺にもその片鱗を少し見せるが、他の者にはかなり露骨にそれをぶつける。
『カズキ、あんなのが好みなのか?』
『いや、俺は年下派だから。――――10歳くらい』
『「きもっ」』
俺と、陽気な青年カズマが同時に声をあげた。
『どうせ俺はキモいよ』
半分開き直る様に、カズキがそう吐き捨てる。
「まぁ、ここで人の趣味をとやかく言うつもりは無いが……。程々にな?」
それだけ言って話題を終わらせておく。
場所が場所だけに、スピカに限らず、ここには変な奴しか集まらないのだろう。
「それで、お前らこれからどうするんだ? 折角来たんだしゆっくりして行けば?」
『そうしたいけど……うちの上司、人使い荒いから』
そう言ってカズマが一度大きく溜め息をついた。
「溜め息ばかりついてると幸せが逃げるぞ」
スピカに言われた台詞を嘆息するカズマにまんま転用する。
『そう思うならメフィストの奴に仕事回さないでくれよ。結局、それ俺に回ってくるんだぜ?』
『俺達に、だ』
カズマが俺にジト目を向けて、カズキが俺も同じだと訂正を求めた。
「いや、まぁ、な? 分かるだろ?」
そう誤魔化し笑って流す。
人間の領域で起こった出来事であるなら人であるメフィスト・フェレスに任せるのが一番良い。余計ないざござが無くて済む。
『あぁ、そうだ。これ渡してくれってよ。メフィストが』
カズマから差し出されたものを受け取り、眺める。
それは何の変哲もなさそうな石コロであった。動物の形に似ているからという理由で、そこらに落ちているのをただ拾って寄越した。そんな風。
「何だこれ?」
『さぁ? モンブラン様に渡せば分かるって言ってたぜ?』
へー、そう、――――分からんが? はて?
まぁ、後でじっくり考えるか。
なんせ時間は腐る程に余ってる。退屈な程に。もはや退屈をもて余すのが趣味では無いだろうか?
ご趣味は?
退屈をもて余す事です。
良いご趣味です。面白いですか?
いいえ、退屈です。
一人二人役を演じ、自分と自分で会話を楽しむという、おままごと世代御用達な特技を脳内劇場で実演していると、カズマが『じゃあ、俺達帰るぜ?』と、告げて来た。
慌てて幕を降ろして閉幕。「ああ、気を付けてな」と俺が返すと、カズマが愉快そうに笑う。
『気を付けてか。悪魔に言う台詞じゃねぇぜ魔王様』
言ってカズマが踵を返し、背中を向けたまま手を振る。
そうして二人は去っていった。
一人玉座の間に残された俺は、玉座に深く座り直し、手摺りに体重をかけるいつもの体勢で、メフィストから贈られた石コロを静かに眺めた。