聖剣のお供をするにあたって・22
それは一見すると、世を儚み、今まさに大空へと飛び立たんとする薄幸の少女に見えなくもない。
少女、実際は少女って年齢層よりはちょっと上なのだが、背が低いので少女というスタンスを貫いてしまおう。
首筋、背筋、足筋と真っ直ぐピンと伸ばして、それでいて表情には張りがない。どこを見ているのか判別も困難な瞳と、小さくも自己主張の激しい薄紅色の唇が、見る者をドキリとさせる。
そんな少女が立つのは城の先端。一番高くて、一番細くて、一番落ちたら痛いところ。
時折強く吹く涼風が、眩暈を覚える程の高さを指差し早く飛べよと急かす様で、見ているだけのこっちの心臓にも良くない。
けどまぁ、それ以外は概ね平和。
空は青いし、大きな雲に程よく隠れた日射しも空気も温かい。
殺伐としているのは世界を満たす空気じゃなくて、目には見えない空気の方。あれ? どっちも見えないな。
さてこの少女。名をキリノというのだが、
案の定高いところにいた。
案の定仁王立ちで。
あーあー、んーんー。うん。
ノドの調子は良好だ。
良好だけど、何て声をかけるべきか悩む。
急に声を掛けたらビックリして落ちる。
などとは露程にも思っていないが、何故か声をかけるのが躊躇われた。
とは言え、このままオメオメ帰っては何しに来たの分からない。
コホンコホンとわざとらしい咳をしてから、「おう、奇遇だな」などとわざとらしく宣う。
キリノの事なので、とうの昔に俺には気付いていただろう。物理的だけでなく、魔力的に物を見る彼女の視野は意外と広い。
でもって、勇気を振り絞って声をかけたけど、びっくりする程華麗に無視された。
マイハート挫けそう。
それでもめげずに二歩目を踏み出す。あらやだこの道凄く不安定。
「デザート持って来たんだけど、食べる……よな?」
言って、半ば無理矢理キリノの前に果実をひとつ差し出す。
キリノは無表情のまま俺に目を向け、少しだけ間を空けて、果実をゆっくりと受け取った。
取り合えず、買収。
取り合えず、賄賂。
取り合えず、きっかけ。
「これ、食った事ある?」
おっかなびっくりな俺が尋ねると、『ない』と簡潔にキリノが返してきた。
「そうか。俺も無い。初たいけーんって奴だな」
冗談めかして言って一人で笑う。
笑わないと今にも泣きそうなのです。
マイハート砕けそう。
「よし、じゃあイタダキマス」
告げて皮ごと囓る。
俺に少し遅れてキリノも果実を口にする。
うん。
「甘っ……」
不味い訳では無いが、甘すぎる。濃度の高い砂糖水でも飲んだみたいだ。一口で胸焼けだ。
どう考えてもチョイスをミスった。
『甘い』
キリノが淡々と感想を述べた。
正直言って、俺はもういらない。甘過ぎるゆえ一口で十分満足。いっそ棄ててしまいたい位。
人間サイズであったならば、甘過ぎるとはいえクルミ程の果実のコレを我慢して食べる事も出来るだろうが、妖精の俺はコレを腹いっぱいまで詰め込まねばならない。
もはや苦行。血糖値爆上げ。
ただ、キリノが甘いと言いつつも二口目を口にしたので、持ち来んだ帳本人がここでもういらないとも言えず、どうにかこうにか流し込む様に全てを胃におさめた。
気持ち悪い。死にそう。
お互いに食べ終えたところで、本題に移りたいのだが、言葉と一緒に違うモノが口から出てしまいそうで、しばらく無言が続いた。
そうして俺が一人荒ぶる胃袋と闘う中、長い沈黙を破ったのはキリノであった。
『ごめん』、と。
キリノは沈黙を破るだけでは飽き足らないのか、俺の度肝まで抜いて来た。
キリノの言葉に荒ぶる胃がキュッと締まった気がする。それだけ意外な言葉だったのだ。
「……いや、何が?」
暴言を吐いた俺が謝りに来た筈であるのに、逆に謝られてしまった状況に激しく困惑する。
俺は知らず知らず謝られる様な事をされたのだろうか?
しばらく思い当たりを探ってみたが特に何もない。
何だろう? 逡巡しながら何気なくキリノに目を向けた。
目が合う。
合った途端に、キリノが露骨に視線を外してきた。
何だ? 珍しいな。ここまで狼狽えるキリノはそうそう見れるもんじゃない。
目の泳ぐキリノの様子に、俺はますます困惑、混乱する。
やや間を空けて、
何かを決意した様に、キリノが小さく息を吐いてから、
『まだ怒ってる?』
キリノが少し戸惑いがちにそう尋ねてきた。
怒る? 何の話だ?
俺、怒ったっけぇぇああああ、――――ああ、怒ってるってアレか。フレアの件か。
最近、俺がキリノに怒ったとしたらそれしかない。
むしろ本気で怒った事自体、その一度だけだ。
フレアに対して禁魔法だか禁術だかを行ったキリノに、感情に任せて怒り、罵倒した。
確かに怒ったのだが、むしろアレは冷静な判断が出来なかった俺の方に非がある様に思う。アレはフレアが望んだ事なのだから。キリノは悪くない。
暴言を吐いた俺の方がキリノに悪かったと思っている位だ。
思って、反省して、一度は謝罪したが、それでもキリノが怒っている風に見えて――――。
成る程。
俺はキリノが怒っていると思っていて、キリノはキリノで俺が怒っていると思っていた訳か。
俺達のここ数日のギクシャクはお互いに勘違いした結果か。
何て事はない。ただそれだけの事か。
「あっはっはっはっは」
戦々恐々としていた先程まで自分が馬鹿馬鹿しく思えて、腹を抱えて笑う。
なにより、キリノがキリノらしからぬ悩みと云う物で、ここ数日、鬱々としていたかと思うと可笑しくて仕方無かった。
そうして息が詰まる程に笑い、過剰な程に空気をタダ食いする俺に、キリノが眉をひそめて困惑の表情を向けてくる。何が可笑しいのか、と目が問うてくる。
そりゃ可笑しいだろう。笑うしかないだろ。
キリノも、
いつも我が道を我が物顔で突き進むこの少女も、
人並に悩み、悶々とした時間を過ごすのかと、当たり前である筈のその事に今更気付いた自分が、何とも間抜けで可笑しくて、これを笑わずして何を笑う。
希薄ゆえ表には顔を出す事も少ないが、彼女にもちゃんと感情はある。怒るし、哀しむ。
その二つがあるのなら、きっと残りの二つの材料もあるだろう。
物も感情も同じ。
材料が無ければ、何かを作り出す事は出来ない。
感情があるなら悩みだってあるのは当たり前だ。余り想像も出来ないが、きっと恋だってするだろう。
どんなにポーカーフェイスを貫いたって、彼女も一人の人間であるしい。ただ、ちょっとポーカーフェイス過ぎて周りが気付き難いだけ。天才と称される大魔導士キリノ様だって悩むのだ。
そんな当たり前を、今更ながら再認識したのだ。
ひとしきり笑ってから、
「怒ってないよ。 ――――怒ってない」
口の端は崩さず、当然を言葉に混ぜ込んで一笑に付した。
『……そう』
キリノはそんな俺の言葉に尚も戸惑いながらも、それだけ口にした。納得したかどうかは分からない。
「いや、でも――――クックックッ、お前がなぁ」
腰に手をあて、小馬鹿にする様に言うと、途端にキリノがいつもの無愛想な表情に戻る。
ちょっと腹を立てる様に。でも何処かスッキリと、気の抜けた様に。
そうして、キリノは小さく『フンッ』と吐き出すと、ふらっと宙に浮き上がる。
それから、一度俺に顔を向け、不満を声にたっぷり乗せて『あれ、甘過ぎ』とだけ言い残して何処かに飛んで行ってしまった。
「クックックッ」
キリノの言葉に、治まりかけていた笑いの種がまた芽吹く。
アイツ、俺が怒っていると思っていたから、あの甘ったるいだけの果実を我慢して食ったみたいだな。
俺が荒ぶる胃袋と一人孤独な闘いを続ける最中、多分キリノも一人胃袋と闘っていたのかもしれない。もっとも俺と違ってキリノの胃袋は宇宙だ。
まぁ、それを考慮してもアレは一種の拷問だっただろうな。
芽吹き、花開いた笑いの果実は、胸焼けに追従する吐き気を伴いながら、しばらく俺の体を駆け巡り続けた。