姫君のお供をするにあたって
喜怒哀楽。
どういった状況下であったとしても、感情という物は常に平行な形を取り繕ろおうと努力を忘れない。無意識に消費して、また無意識に満ちていく。
出荷量こそ無限で底をつく事もないし、受入先も大量在庫を全て放り込んでもまだまだ余裕がある。あるのだが、基本的に得られる感情は同時に一つだけであるらしく、哀の感情が入った心の倉庫に、どれだけ力を込めて商品名【楽】を押しても潰れるばかりで1ミリだって入らないのだから、心とは不思議な空間であると思う。
フレアが死んでから一週間。
一時は哀で埋め尽くされた俺の倉庫も、努力を怠らない心のお蔭で御多分に盛れず、それらを消費してしまってからは、静かに平行を保っていた。
保ってはいるのだが、許容範囲を大きく越えた感情が空間を押し広げてしまったらしい。
新しく広がったその空間。成る程、これが世にいう心にポッカリ穴が空いたよう、と言うヤツだろうかと一人納得。
納得して安心して脱力してキュウと腹が鳴る。あれ? 空きっ腹の間違いだったかな?
俺の腹の音は、すぐ近くにいた御婦人二人にも聞こえたらしく、腹が鳴った途端に二人と目があった。
その視線にちょっぴり気恥ずかしさを覚えて、「いや~、あっはっは」と笑って適当に誤魔化すと御婦人方は口元に手をあて小さく笑った。
「姫さんの様子はどう?」
誤魔化しついでにそう御婦人の一人に話しかける。
彼女は少し困った様な顔で小さく首を振って、『変わりませんわ』と返してきた。
姫さんというのは勿論アイゼン王国の姫君リョーシカで、彼女はフレアの死後、ずっと部屋で塞ぎ込んでいる。いや、暴れている。
一通り泣いて、泣き疲れたら部屋で力いっぱい暴れて、暴れ疲れたらまた泣く。これの繰り返し。
マトや城仕えの者では、この荒ぶる姫君をどうにも出来ず、彼女の相手は現在、彼女の母親である王妃とアクアが二人掛りで慰めているような現状である。
でもって、先の俺の腹の失態を耳にした御婦人の一人こそが、何を隠そうアイゼンの王妃である。隠した覚えもないが。
もう一人、王妃の隣に立つ御婦人ことアクアに目をやる。
彼女は少々お疲れ気味の様子で『少しお痩せになった様でございますし、心配です。どうしたものですかねぇ』と嘆息混じりに呟いた。
リョーシカは飯もまともに食ってないのだろう。国が建て直しやらで大変な時に、全く困った姫さんである。
ただまぁ、理由が理由ゆえ、皆あまり強くも言えず、ほとほと困り果てている様子。
今まで俺自身にもそこまで余裕が無かったというのもあるのだが、加えて、女性の、まして年頃の少女の相手など出来かねるとリョーシカとの接触を見送っていた。
しかし、流石に事ここに至って、体調に異変を来す前に何とかした方が良さそうだと感じる。
俺にどうにか出来るかは別にして、フレアの事が大好きで、姫君であり、弟子であり、
――――いや、それらを抜きにしても、フレアが目をかけ可愛がっていたリョーシカを放って置くというのは不味いかと思い始めた。フレアに怒られそうだ。これがまた怒ったら怖いんだよ。
「俺が話してみて良いかな?」
二人に尋ね、お伺いを立てる。ここで断られたら口は出さないで置こう。変に横槍入れて拗れさせては本末転倒だし、何より二人の仕事を増やすだけだ。
俺の問い掛けに王妃が僅かにアクアへと目を向ける。それを受けてアクアが答える。王妃は俺の事をあまり知らない為、答えをアクアに一任したのだろう。
『ええ、お願いします。ですが先代様』
「分かってる。記憶弄ったりなんて妙な事はしないよ」
それをやれば事は簡単に解決するだろう。だが、当然するつもりはない。
それがどんなに苦しく、辛い事であっても、それは人が成長する為の大事な試験。大事な糧。
人の手を借りる事は別に良い。借りる事自体もひとつの成長の形だろう。
でもズルは駄目だ。
モンジィ宅で灰振り撒いて無かった事にした俺が言うのも何だけども、それはそれである。自分の事は棚上げしていくスタイルは健在だ。
「んじゃ、ちょっくら話してみようかね」
『ありがとうございます。それと、申し訳ありません。本来なら母親である私の役目である筈でしょうに』
許可が出た所で、踵を返してリョーシカの部屋へと向かおうとしたら、そう王妃が声をかけて来た。
「いやぁ……、そんなに気にしなくて良いんじゃないかな? 適材適所で行こうよ。――――と、忘れてた。アキマサにちょっと遅れるって言っておいてくれる?」
王妃と、それからアクアにそれだけ言って、俺はリョーシカの部屋へと向かった。
どうでも良いけど一国の王妃に安定のタメ口。小さい体格で態度だけはデカイ妖精である。治さないけど。
デカイ態度のままリョーシカの部屋へと向かう。
リョーシカの部屋、というかドアは、俺の体のサイズを前にドアとしての役割を放棄、所々に穴が空いていて、外から中が丸見えの状態であった。
そうして小さい体でリョーシカの部屋へと足を踏み入れる。不法侵入。
部屋の中に入ると、ドアに背を向ける形でベッドにすがるリョーシカの姿が視界におさまった。
「おーおー、ひでぇなぁ。被害総額いくらだこれ?」
荒れ果てボロボロになってしまっている部屋を見渡しながらリョーシカの背に向け言う。
ボロボロになって部屋を着飾る、元、美しい装飾の家具に、元、綺麗な壁紙。どれもこれも高そうな物ばかりだ。俺の金じゃないから良いけど。
リョーシカはビクリと体を強張らせた後、勢い良く振り返り『勝手に入って来てんじゃないわよ!』と、眉を吊り上げて睨み、怒鳴りつけてきた。
成る程。目の下の隈は酷いし、髪も爆発気味、頬も少しやつれている様に見える。
これは王妃やアクアで無くとも心配するだろうな。
『出てけ!』
側に落ちていたボロ雑巾の様なぬいぐるみを投げつけながら、リョーシカが叫ぶ。首が無いので何の動物か分からない。四足歩行の何か。
的の小さな俺にぬいぐるみを当てる技量は持ち合わせていない様で、むしろ届く腕力すら無いのか、ぬいぐるみはポトッと俺の手前の床で這いつくばった。
『何しに来たの!? 出てけ!』
再チャレンジ、とばかりに何か投げようかと辺りをまさぐる素振りを見せたリョーシカだが、結局、適当な物も無かった様でキツい言葉だけを投げて来た。
「姫さんの泣きっ面でも拝んでやろうかな、って」
『泣いてないわよ!』
そりゃ、今は、な。
ここ一週間、泣く、暴れるを繰り返すリョーシカ。今は暴れる時間なんだろう。
正直、泣いてるよりかは幾分かやりやすい。年齢に関わらず女の涙程手に余る物もないと俺は思う。
「フレアの奴も……まぁ、泣く事はそうそう無かったが、怒るとそりゃあ手に負えなかった」
俺の言葉に一瞬だけリョーシカが苦い顔を見せる。しかし、すぐに怒った表情を作り、『何で今、大紅君様の話するのよ!』と叫ぶ。ちょっぴり涙を浮かべて。
「いや、だから、姫さんの泣きっ面拝みたいからさ」
『悪趣味!』言ってそっぽを向く。
リョーシカの言葉にケケケと笑っておいた。
それから、そっぽを向いてしまったリョーシカに構わず話し掛ける。
「最初に怒ったのは……ああ、そうだ。騙してパプリカ食わせた時だな。アイツ、パプリカ嫌いだっからな。アイツの誕生日にだまくらかして食わせたらキレてた」
そう話し、一人クックックと笑う。
リョーシカは俺から顔を背けたまま黙って聞いていた。
「結局、俺と住んでる時にフレアのパプリカ嫌いは治らなかったなぁ。ここではどうだったんだ? 治った?」
俺の問い掛けに、リョーシカが横目を僅かに向けてくる。
そうして少し間を空けてから、『どうだったかしら……。お歳がお歳だし、そんなに食べる方じゃなかったから……。でも、そうね。言われてみれば残してた気もするわ』と、語った。
「あっはっはっは」
『でも、私にはちゃんと食べなさいって言ってたわよ。私も……嫌いだから』
「クックックッ、自分は棚上げしてか? フレアらしいな」
俺も人の事は言えないけどな。それは口に出さないで置いた。
一通り笑ってから会話を続ける。
「フレアの奴、パプリカ嫌いを指摘した時の言い訳になんて言ったと思う?」
『――――食べなくても死にはしない、とか?』
少々戸惑いがちにリョーシカが答える。
「ほぼ正解! 良く分かったな」
『私も同じ事言ったから……』
「あっはっは、そうか。フレアの奴、どんな顔してそれ聞いたんだろうな」
俺がクックックッとまた笑う。
それから俺はフレアとの思い出を語り続けた。若干脚色混じりに、面白可笑しく。
最初こそ憮然とした態度で聞き、たまに受け答えを行っていたリョーシカであったが、徐々に態度も軟化して行き、自分とフレアとの思い出もポツリポツリと俺に話し始める様になる。
そうして、凍った万年氷が溶け出し、中の物が顔を出す様に、いつしか笑いも混ざる様になる。
泣いているなら、中々こうは行かないものだが……。
喜怒哀楽。
どれかの入った心の倉庫に、別の何かは入らない。
リョーシカの中に占拠し続ける感情を消費して、楽を押し込んでやる。ほぼ無理矢理。
無理矢理だって入れば良いのだ。
押し込んでやれば、入りさえすれば、何かの入った空間に、別の何かは入らない。
行き当たりばったりに近いのだが、まぁ、今回は上手くいったと云う事で。
ただ、ひとつ誤算があるとすれば、盛り上がり過ぎてアキマサの呼び出しをすっかり忘れてしまっていた事だろう。
別に良いか、アキマサだし。