魔女のお供をするにあたって・5
『駄目。出来ない』
マトやリョーシカ達の中心。
辛そうに地面へと横たわるフレアに向けて、解毒を試み様としたキリノが言って、魔法を中断してしまった。
「何故だ!? お前なら出来るだろ!?」
懇願する様に叫ぶ俺の言葉にキリノが数度首を横に振った。
「お前に出来なきゃ誰が出来るんだよ!? 無理でも駄目でも何とかフレアを助けてくれ! 頼むよ!」
『解毒、自体は可能、だけど……』
そこで言葉を切ったキリノがフレアを見る。キリノの顔は、困惑に満ち、どうすべきか悩んでいる風であった。
「解毒出来るならしてくれよ! 何が駄目なんだよ!」
キリノは少し躊躇する素振りを見せた後、重そうに口を開き説明を始めた。
『毒、というよりも呪いに近い。かなり強力な呪い。それとは別に……フレアにはもうひとつ別の呪いの類いが付与されている』
「別? 呪いが二つって事か!?」
『そう。 ――――不老長寿の術という禁術。ただし不完全。不完全なのは良い。重要じゃない。問題、は、クイーンビーの呪いを解こうとすると、そちらも解けてしまう、という事。解けば一気に時の反動が押し寄せる。数百年。とても人の身で受け止められる時の力じゃない』
何だそれ!? このまま解毒しなければ毒で死ぬ。解毒しても時の力、つまり寿命で死ぬって事か!? そんなもん八方塞がりじゃないか。
どうする!? どうしたら良い!?
ポンポンと跳躍する発想は、どれも着地する事なく意識の彼方に飛んでいってしまう。
気ままに闊歩、それでも怒涛に押し寄せてくる焦りが、俺を不安で煽り、しまいには隠れていた恐怖とさえ仲良しこよしで手を組んでクーデター。暴徒化したそれらが体を占拠する。
静粛に、静粛にと声をあげる冷静党は、意思表明もそこそこにただ公式発表のみに終止して、蜂起せずに燻る。
肌が溶けたと感じる程の汗を全身で咀嚼していると、苦しそうなフレアが小さな声と共に唸った。
それだけ。それだけで治安部隊により暴徒制圧が俺の中で行われていく。不安も恐怖もいまだ残党が暴れてはいるが、抵抗が弱くなった。
フレアに意識があるのかは分からない。彼女は力なく横たわり目を瞑ったままだ。
「キリノ――――解毒、してやってくれ」
顔を向ける事なく隣のキリノにそう頼む。
キリノは少し間を空けてから『分かった』と、いつもの淡々とした口調で告げた。
どっちにしたって、どうしたって結果が同じなら痛くない方が良いよな?
どうかな? 分からないな。無理強いかな。
キリノが中断していた解毒を再開し、淡いエメラルドの光がフレアを包み込んだ。
苦しそうにしていたフレアの表情が柔らかくって、ついでとばからにその顔に深い皺が何本も刻まれ始める。
解毒と同時に、数百年分の時の力とかいう訳の分からないものがフレアの体を貪り始めたのだろう。
しかし、選択としては間違いでは無かったのかもしれない。勝手だがそう思いたい。
蝕む毒の暴力から解放されたフレアが意識を取り戻した。
そうして、フレアはゆっくりと目を開け、その視線をキリノに向けた。
フレアは一度大きく、でも弱々しい呼吸をすると、やや間を空けて、搾り出す様に言葉を紡ぎ始める。
『キリノ導士。昼間の話、覚えてるかしら?』
そう問い掛けられたキリノがフレアから僅かに視線を逸らす。
『あの話、お願い出来ないかしら?』
キリノは外した視線をチラリと一瞬だけ戻して、『でも……』とだけ口にした。キリノにしては珍しく、目が泳ぎ、戸惑っている風であった。
『あなたにしか頼めないの。お願い』
キリノは何かを思考する様に目を瞑り、次に目を開けた時には何かを決意する様に『わかった』と応えた。
『ありがとう』
静かに微笑んでフレアがキリノに礼を述べる。
「何だ? 何の話だ?」
俺の言葉が届いていないみたいに、キリノが杖を両手に持って呪文を詠唱し始めた。
「おい……。 ―――おい! 何をしようとしてるんだよ!?」
ほぼ怒鳴り散らしに近い態度でキリノに答えを求めた俺の耳にフレアの落ち着いた声が届く。
『……クリ』
しゃがれた小さな声でフレアが俺の名を口にする。
「フレア! ここだ! ここにいるぞ!」
俺が声をかけると、焦点の合わない虚ろな目をフレアが俺の方に向けてきた。
『ごめんなさい。怒ってる?』
「怒る訳ないだろ。怒る理由も謝られる理由もない。大体、怒られるなら俺の方だ。何も言わず居なくなって悪かった。一人にしてすまなかった」
『私は―――ウチは別に怒ってへんよ。……あんな、ウチ、知っとったんや。クリがあの森に、家に、戻って来とったん』
ゆっくりと、小さく、途切れ途切れにフレアが言葉を紡いでいく。
「そうか……。俺の帰る場所は妖精の聖域じゃない、あそこだからな。でも――――遅すぎるよな。帰ったらお前、居なくて、家も、荒れ果てて」
苦しい。毒にも呪いにもかかった覚えはないが、胸が詰まって、窮屈で、言葉が口から出る事を許否しているみたいだ。
言葉は外出を拒み、肺は空気の訪問を許否した。
出る事も入れる事も出来ず、ただ苦痛に耐えた。底の見えない恐怖に弄ばれながら。
『せやけど、戻って来てくれたんやろ……だから、ごめんな。今まで、ずっと、住んどったんやろ? 会いに行けんでごめんな。ウチ、あんたに嫌われたんやと思って、恐くて』
「嫌う理由が無いだろ。―――――あそこに居たのは……、離れただけなのか、死んだのか分からなくて、俺には探しようもなくて……。嫌われたから会いに来てくれないのかとか、そんな事、色々思って」
『アホやなぁ……嫌う理由が無いやんか』
言って、フレアが小さく、ほんとに小さくケケケと笑った後、腕を俺へと伸ばしてくる。彼女の腕は骨が明確に浮き出る程にやせ細っていた。
『なんや、泣いてるんか? あんたが、泣くなんて初めてちゃうか?』
フレアに指摘されて初めて自分が泣いている事を認識する。
「そう、か?――――そうだったかな? ―――――そうかもな」
『腹でも痛いんか?』
「ハハッ、ハ。……そんな顔してるか?」
『しとる』
「なら、……なら」
どんなに搾り出そうとしても続きが出てこなかった。
『重症やなぁ、これは、優しく看病したらんとあかんなぁ』
無言。
無言。
返してやりたいが、口が動くばかりで空気が音を奏でる事はなかった。
ゆっくりと、しかし確実にミイラの様に痩せ細っていくフレアの姿が滲んで見える。
『フレア』
険しい表情をしたキリノがフレアに声をかける。
『本当に、いいのね?』
最終確認とでも云う風にキリノが尋ねる。
フレアは潤いとは程遠いカサついた唇を僅かに動かし、それを了承の意としてキリノに示した。
『……分かった』
それだけ言うとキリノは両手に持った杖の先を、地面に軽く打ち付けた。
途端に、フレアを乗せる様に魔法陣が地面に展開された。
『楽園の果実』
キリノが呟く様にそう口にしたと同時、描かれた魔法陣が半周、一度赤黒く輝き鮮明になった後、そのまま急速に萎み消えてしまった。
後には、俺の頬に触れていた腕をポトリと溢したフレアだけが残った。
「何だ……お前、今何した……。――――今何したんだキリノ!」
先程まで満身創痍だった筈の俺の声であったが、キリノの所業を前にして、怒りを巻き込んで塊となって飛び出した。
キリノは一言も発さず、ただ無言で俺に拳を突き出してきた。
そうして、拳を開き、握っていたソレを俺に見せつける。
キリノの手に握られていたのは、紅く輝く宝石。ルビーの様なそれは、夜の中にあっても尚、篝火の明りを受けてキラキラとキリノの手の平で輝いていた。
『楽園の果実は』
眉を潜めて怪訝な顔で宝石を見る俺にキリノが語りかける。
『生ある者の魂を力に変える大魔導士ルビーの生んだ禁魔法。この宝石の中にフレアのソレを取り込んだ』
淡々とした口調で説明するキリノ。
そんなキリノの態度。いつもと変わらない筈のその態度に、弾けた様に怒りが沸き上がった。
「お前! 分かってるのか!? 今、お前が殺したって事だぞ!?」
怒りに任せてキリノを睨みつけ、憎悪に任せてそう怒鳴りつけた。
ドロドロと溶けて溢れ出す醜悪な感情が、正常な思考を堕落させていく。
その後も俺は幾つかキリノに暴言を吐いたが、頭に血が上って
何と言ったかは覚えていない。
ただ、キリノはそんな薄汚い罵りを、何の反論もせず、表情も変えず、静かに受け止めていた。
そのキリノの無表情に引き摺られる様に、俺の怒りも急速に萎み、鳴りを潜めていった。
そうして、冷えた頭で――――分かってる。キリノは悪くない。悪くない。彼女はただ望みを聞いただけ。望んだのはフレアで、キリノの意志じゃない。
ただ死ぬのが数秒早まっただけ。死にゆく彼女はただ消える事を良しとせず、形を遺す事を選んだ。
それが彼女の意志なら誰にも文句を言う権利はない。キリノはただそれを少し手伝っただけ。
『これは、あなたに』
膝を僅かに曲げ身を屈めたキリノが、俺に宝石を差し出し、受け取れと促してくる。
俺が――――俺にこれを受け取る資格があるのか……。
結局、何も出来なかった。運命は変えられず、した事と言えば彼女を一人、森に置き去りにして、悲しませて、怒らせて、――――最低だ。糞だな。
『一緒に居てあげて』
抑揚の無い声でキリノがそう言った。
その一言で頭の黒いモヤが一気に晴れた様な気がした。
そうして、急き立てられる様に、キリノの手に乗る宝石を両手で受け取る。
渇れたと思っていた涙がまた溢れてきた。
――――小さい。
俺よりもずっと小さい。
けど――――そうだな。姿形はどうだって良いんだよな。お前は気にしないんだったな。
紅い顔をした宝石が照れた様にキラキラと瞬き、えっへっへっへと笑った気がした。