魔女のお供をするにあたって・4
『さぁさぁ、入って入って』
嬉しそうな表情をしたフレアがそう言って俺を招く。
招かれたのはフレアの自宅。
出会った森から遠く離れた別の森の中にあるフレアの自宅は、小さな別荘とでも云う風な木製の小屋であった。
小屋の入口前にある柵に突っ立って、来い来いと手招きするフレアに嘆息する。
足の裏に刺さった木のささくれが体を固定して、それから森の澄んだ空気の壁が全身をガシッと固めている。
まぁ、ようするに入りたくないだけなのだが、オッケーを出してノコノコこんな所まで付いて来てしまった時点で往生際が悪いと言わざるを得ない。
そうして、嫌々ながら始まったフレアとの半ば軟禁に近い動静を探る事もままならない同棲生活であったのだが、習慣化とは怖いもので、ひと月もする頃にはすっかり快適なものとなっていた。
元々ものぐさ、と云う程ではないが、妖精の聖域を出て以来、フラフラと世界をまたにかける浮浪者みたいな生活をしていた俺の日々と言えば、食って寝て景色を楽しむ毎日であった。
勿論、目的が無い訳でもなかったが、あてもないので結局フラフラしているのと大差ない。いつか目的に辿り着ければ良いなぁ、ってなもんである。
そんな中にあったせいか、フレアの家は実に快適であった。
意外と世話好きやし、と語ったフレアの言葉に嘘はなく、何を頼んだ訳でも無いのにフレアはあれやこれやと世話を焼いてくれる。
もはやヒモである。
このままでは駄目になりそうだ。
余りに快適な日々に危機感を覚え、同棲ひと月目にして働く事を決意。
森の中、適度に拓けた場所を開拓。畑を拵えた。
植えるのはもっぱら野菜である。俺の食事量などたかが知れているが、仕事と言えば畑仕事位しか知らないので自然とそうなっただけの話。
畑を始めた当初、やれ自働種蒔きだ、自働水やりだと、何かとフレアが魔法で手伝おうとしてきてくれたが、「こういうのは丹精込めて自分の手でやらなきゃ駄目だ」と言い含めた。
半分その通りだと思う。もう半分は、仕事を取らないでくれ。というお願いに近かった。
魔法での栽培を取り止めたフレアであったが、俺の仕事をどうしても手伝いたいらしく、作物の育成に疎いという彼女に適当な雑用をお願いすると嬉々として引き受け、それらをこなす内にいつの間にか畑の世話は二人での仕事となった。
☆
『これは交互に植えるんか?』
苗を両手に乗せたフレアが尋ねてくる。
普段は魔女全開と云った類の服を着るフレアであるが、畑仕事の時は汚れを気にせず作業出来るラフな恰好をしている。
「そうそう。コイツは虫がつきにくいんだ。だから、こっちのと交互に植えてこっちのにも虫をつきにくくする」
二種類の苗を交互に指差しながら説明していく。
『うん。――――こんくらい?』
「うん。ばっちり」
適度に距離の空いた苗を見て、指でオッケーと輪を作る。
「んじゃ、今日中に全部植えちゃうか」
『はーい』
それからその日は夕方まで二人で苗を植えた。
☆
『ウチ、これ苦手なんや』
皿の野菜を端に寄せながらフレアがそう語る。
「食え」
『嫌や。あんな、これを食わんでも生きていけると思うねん』
「子供じゃねぇんだから……。それとも俺の作った野菜が食えないと?」
『ウチも手伝ったし、断る権利くらいはあると思うんや』
そうフレアが唇を尖らせ、拒否権を主張してくる。
食べ物の好き嫌いにそんな権利はない。
「しょうがない奴だなぁ。――――ほら、口空けろ。あーん」
フォークを両腕に抱え、野菜を突き刺してウリウリとフレアの口元に持っていく。からかうように。
『うっ、クッ。そんなんされても……』
尚も渋るフレア。仕方無いのでとっておきの呪文をかけてやる。
「美味しくな~れ、美味しくな~れ。ほら、絶対美味くなった。キラキラ輝いて見えるだろ? 騙されたと思って食べてみろ」
フレアは、『うぅ』と唸ると『子供やないんやから』とブツブツ言いつつも口を開け、意を決した様に野菜を口に入れた。
そうして、何度か咀嚼したフレアが『苦い』と顔をしかめた後、『騙された』と項垂れる。
「そりゃまぁな」意地悪そうに俺がケケケと笑った。
☆
「あちゃー」
『猪やろか?』
「だろうな」
荒らされた畑に苦々しく目を向けて言う。
ご丁寧に口を付けていない作物まで踏み潰す始末。
『今夜は焼き豚にしよか?』
「……何も殺す事ないだろ。別に商売してる訳じゃないんだ」
『せやけど……腹立つやんか』
若干眉を吊り上げたフレアが憮然として吐き捨てた。
「まぁ、な。とは言え、殺すのは流石にな。ただ、場所覚えちゃったらまた来るだろうし、何か対策しないとな」
『柵で囲んでしまうんか?』
「そうだな。……面倒だが。 ――――はぁ。何日かかるやら」
『えっへっへっへ』
俺が頭を掻いて愚痴ると、愉快そうに笑ったフレアが俺の顔を覗き込んでくる。
それでフレアが何を言わんとしているのか悟る。
「……分かった。緊急だしな、許可しよう」
何より面倒だ。てへ。
『任しといてや!』
元気良く答えたフレアが、畑に向けて手をかざす。
物の移動や操作はフレアの十八番である。
俺が見つめる中、木々が次々と加工されていく。
加工され木の杭となったそれらは、畑を囲む様に地面へと刺さり、それに板が次々とくっついていく。
そうして、手作業ならかなりの時間を必要としたであろう畑の柵があっという間に出来上がった。
見ていて爽快だな。
大量の木々、杭、板、これだけの物を頭の中でどう処理したら同時に操れるのだろうか。便利な頭である。
見慣れたとはいえ、何度見たって理解出来た訳ではない。
「出来ました!」
柵の完成に伴い、フレアがビシッと敬礼してみせる。
「ご苦労様。ありがとう」
『えっへっへっへっへ』
「あとは――――そうだな。獣避けも吊るして置くか」
『あのきっついやつか』
「あのきっついやつだ」
『アレ、な~』
「特別に磨り潰す役を与えようか?」
『……ええわ』
渋い顔をして断るフレアの様子が妙に可笑しくて、真新しい柵に体を向けつつ「遠慮すんなよ」と口にして、ケケケと笑った。
☆
「何があったんだ?」
崩れ落ちた自宅を呆然と眺めながら、隣でヘタり込むフレアに尋ねる。
『……失敗した』
またか。おそらく新魔法の実験でもしていたのだろう。
初めて会った頃と同様、死にたがりは健在の様だ。
困った奴だ、と少し険しい顔を作る。
『ごめん』
俺のその表情を怒っていると捉えたのか、申し訳ないといった表情を顔いっぱいに貼り付けたフレアが謝ってくる。
「別に怒っちゃいないが……」
事実怒っている訳ではない。ただ、畑にいた俺の耳にも届いた程、森がふっ飛んだんじゃないかと思う程の爆音であった為、相当に危険であっただろう。
「怪我してないか?」
『……してへん』
「なら良いけど」
『嘘! した!』
「………」
『あかん、これは優しく看病して貰わんとあかんかも』
言って、フレアがおよよと地面に項垂れ、吹けば飛ぶような儚くか弱い女性を演出して見せる。
そんなフレアを横目で一瞥する。
大根にも程がある。
虚偽の申告は受付ていない。
「畑戻るわ」
『あれ!?』
「家、直しとけよ」
『えぇ……そんなアホな……』
☆
「今夜は冷えると思ったけど、やっぱ降ってきたな」
閉ざしたままの窓から外を眺めて言う。
外では静かに雪が舞い降りてきていた。
『積もるやろか?』
「どうかな?」
『寒いさかい、今日は一緒に寝よか?』
さぁ来いとばかりにベッドに横になったフレアが、ニカッと笑って掛け布団を大きく開き、招く。
「ヤだよ。また押し潰されちゃたまらん」
『大丈夫やて。今度は気を付けるさかい』
「寝相に気を付けるも何も無いだろ」
『なんとかならんか?』
「なんともならんな」
『せやろか?』
「せやな」
ケケケと笑って寝室のテーブルに設置されたいつもの寝床に向かう。
後ろではフレアがぶー垂れていたが気にせず布団に潜る。
――――布団が冷たい。
冷たいのも最初だけだろう、しばらくすれば温かくなる筈だ。
しばらく冷たい布団に、耐えて、
耐えて、
耐えきれなくなって布団を出た。
それから何も言わずモゾモゾとフレアの布団に潜り込んで、『えっへっへっへ』と笑うフレアの声を子守唄代りに、触れる大きさの全然違う手を暖具代りにして、夢の中へと旅に出た。
☆
『どうかしたんか?』
「……いや、何でもない」
この感じ……。間違いなく保険として施しておいた術が発動した。
マロン……妖精の聖域を出たのか? 何故だ?
いや、この際理由は良いか。出た事実は変わらない。
まだ数百年はあそこを出る事は無いと踏んでいたが、見通しが甘かったな。
『腹でも痛いんか?』
「……そんな顔してるか?」
『しとる』
「なら腹が痛いんだろうよ」
そう告げると、フレアが小首を傾げて『何やそれ?』と呟いてから、『悪いもんでもつまみ食いしたんか?』ケケケと俺の真似をして笑った。
本当に痛めているのは頭かな。それとも、心か。
「畑行ってくるよ」
『今日は新しい苗植えるんやろ? ウチも行こか?』
「いや、いいよ。先にちょっとやる事あるから、植えるのはそれ終わってからかな」
『ほな、昼に弁当持っていくさかい向こうで食べよか』
「……おぅ」
そう返事を返して、畑へと向かった。
とにかく、先ずはメフィストの奴に会いに行こう。予定より早い動きでどこまで対応出来るか分からないが。
そのまま畑を通り過ぎ、一度自宅の方に顔を向ける。
言った方が良いだろうか?
だが、言えばフレアの性格上、絶対に付いてくるのは目に見えてる。彼女を巻き込みたくはない。
フレアと過ごした十年。言葉にしてしまえば一瞬だけど……。
自分の今までの無意識な行為と、これからの意識した行為。
目的をなす為に、万事に手を染める。
果たしてそれは、何処まで正しくて、正しくなくて、許されて、許されないのだろう。
日常は何の代わり映えもしない退屈な日々だが、いざ手離すとなると、なんと離し難いものだろうか。捨て辛いものか。吸盤でも生えてるんじゃなかろうか?
十年過ごした森を離れたのは、いつもと変わらない朝の事であった。